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議論は深まったのか

間違ったことを言った人がそれを反省するわけでもなく「議論が深まったからいいじゃないか」と言うバターンがあり、それが腹立たしい、という話が時々目に入る。

このような事はどこの世界にもあるようで、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』でも、カーネマンが批判者を論破した後に話したらそのように言われた、みたいなエピソードがあった気がする。(後で探してみよう)

こうしたことを言われたら、確かに腹が立つかもしれない、と思う。怒りとまではいかないとしても、釈然としない感じというか。
そしてなぜそう感じるのかと考えてみると、「議論が深まった」というそれ自体は否定のしようがないからではないか、と思う。

しかしながら、その否定できない意見はすでに神の視点というか、第三者の観点から放たれているものでもあって、それを言ったからといって元の言及にあった間違いが消えるということではない。
また同時に、かつての立場を離れて第三者の立場(神の視点)に移行しているということは、その発言者はすでにかつての自分の発言が有効ではないことを暗に認めているとも言える。

つまり、「議論が深まったからいいじゃないか」というのは「私は間違っていたからその観点から話を続けることはできない」と言っているのと同義である。

そのように考えれば、ある程度は腹立ちも収まるかもしれないし、またあらためて、その人と同じ第三者の観点から「たしかに議論は深まった。ではこの後にどうしようか」と考えていくこともできるかもしれない。