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巨大な本を読む

きっかけは何だったか、最近になって本を読むときの態度を少し変えた。

A・B・C・・という複数の読みたい本があるとして、今まではこれらを併読したいと思ったとき、Aを30ページまで読んだあとにBを新たに読み始めると、

「はあ、また1ページめからスタートか・・」

とか、

「Aもまだ読み終えていないのに・・」

とか、あるいは

「まだCもDも読まなきゃいけないのに全然進まない・・」

みたいになって、慢性的にモチベーションが低かった。

しかし今は、そのBの1ページめなら「ABという本の31ページめ」として読むようにしている。

もっと言うと、自分が人生で読む本は「巨大な1冊」なのであって、生まれて初めて読んだ本から死ぬ直前まで読みかけていた本をトータルで1冊として考え、それが合計何千ページなのか何万ページなのかはわからないが、今読んでいるページはその「巨大な本」の途上である、と思うようにしてみた。

これにより、「はあ、また1ページめからか〜」とか、「読みかけのAをまだ読了していないなあ・・というか読みかけの本ばっかりやんけ」といった自己嫌悪やプレッシャー、焦りなどに巻き込まれることからは距離を置くことができ、純粋に今この瞬間に読みたい本、の読みたい場所、に集中しやすくなった気がする。

またこれにより、再読の1ページ1ページもまた、今までの態度であればノーカウントに近かったが、それらもやはりその「巨大な1冊」の中の「新たに読んだ1ページ」に気兼ねなく加えていけるようになった。

その本を最初に読んだときの或るページと、2度めに読んだそのページとはもう別の内容である、という前提で。

それは以前にここに書いたことにもつながるが、

ようは同じことの繰り返しのようでいて実は同じではない、ということ。スチャダラパーもそんなことを歌っていたっけ・・

ultimate breakfast & beats

結局のところ、物事の区切り方・単位の問題ということではある。本の1冊1冊という単位が無用なモチベーション・ダウンを誘発していたのであって、価値の対象を抽象的な「1冊」から即物的な「1ページ」や「1行」に置き換えたことで気の持ちようがけっこう変わった。

そしてこの考え方(の転換)は読書に限らずあらゆる行動にも応用することができるとも思う。昨日も今日も同じような作業の繰り返しのようではあっても実際には1つ1つ何かを追加しているのだと考えることができる。

1つのプロジェクトがいつまでも終わらなくても、その構成要素の1つ1つは確実に進んでいるのだと。いわゆる「手戻り」が発生したとしても、俯瞰的に見ればそれはウネウネと曲がりくねる1本道の道程だったのだと。そう考えることはできる。

ついこの間までやっていた仕事に使った資料の中で、こんなことを言っていた人がいた。

世界は一冊の本である。旅をしない者は1ページしか読まない。

アウグスティヌス(五世紀)

これを勝手にエディットして、「人生とは一冊の本を旅することである」みたいなことを思っている。