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何に熟達したいか

同じテキストのヴァージョンごとの差分を知りたいときにbitbucketを使っているけど(もちろんGitHubでも出来る)、先日その話をした同僚からそれ、Wordでも出来ますよ、と教えてもらった。

とくにその方法を調べてはいないけど、良い情報だと思う。Wordやるじゃん、と思った。それはWordのよくあるコメント機能とかではなく、2つの異なるファイルの違いをちゃんと示してくれるらしい。

ただ同時に、それもちょっと違うんだよなとは思う。Wordの機能に熟達することは危険というか、Wordの機能に依存してしまうとWordの開発者の下に立たなければいけなくなる。自分で「こうなってくれたらいいのに」と思う希望はどこまで行ってもその開発者の気分ひとつで、叶えられたり無視されたりすることになる。

以前にRSSリーダーのことを書いたときに、選択肢がFeedlyしかないならそれを選ばない(選べない)と書いたけど、それに近いところがある。
RSSリーダーのない人生 - new draft

Wordは便利な道具で僕もよく使うけど(どちらかと言えば積極的・好意的に)、それでもWordのプロになりたくはない。使い方に詳しくなって困ることはないだろうけど、マイクロソフトの気分ひとつで左右される技術を磨きたくない。

bitbucketやGHで見られる差分にしたって、それぞれのサービスに依存しているのではないか? と思われるかもしれないが、そこはやはり違う。Wordに熟達することと、GHやGitに熟達することとの間には、わかりづらいが明らかな違いがある。おそらくそこには、その技術が根ざす歴史の違いがある。歴史の長さというより、質の違いだ。
良し悪しを言うわけでもなく、何か決定的な根本の違いがあり、それが理由となってそちらを取るということだ。

一言で言い換えればつぶしがきくかどうか、みたいなことではある。マイクロソフトが「明日からWord使えなくしますね」と言っても困らないかどうか、みたいな話。(僕は残念とは思うかもしれないが困りはしないだろう。逆にGHやbitbuckeやGitが使えなくなったら、結構困るだろう)