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更新され、より確実になった見通しを共有する

少し前から、データをデザイナーさんや校正さんに送るときには、事前に「何日の何時頃に送ります」と予告してから投げるようにしている。

もちろんというか、それ以前の段階で、大まかなスケジュールは共有されているわけだけど、作業を進めるうちに、ちょっと前後に(というか主に後ろに)ズレるということはあって、このような時にはつい、「合意していた目処よりちょっと遅れるけど、わざわざ遅れるって連絡してる間に作業した方が良いだろむしろ」という論理が勝ってしまうが、やはりそれは間違っている。

それは遅刻の言い訳にありがちな論理で、予定より15分遅れるというときに、わざわざ「遅れます」と連絡したら、そのぶんさらに2分遅れるかもしれない、そんな連絡するぐらいなら1秒でも早くついた方がいいだろう、という気に我々はついなってしまう。

もちろん我々の多くは、それが間違っていることも知っている。待たされる側としてはそれが15分の遅刻なのか17分の遅刻なのかなんて分からない。1分、2分と待ち合わせ時間から遅れるごとに、それがあと数分で終わることなのか、それとも1時間以上待たされるのか、そのスケールを見立てることじたいできないのだから、たとえプラス2分の遅れが生じるとしても、「15分(ぐらい)遅れます」と言ってもらった方がずっと助かる。

じつのところ、「事前連絡をすることでそのぶん少し遅れるから、それはしない」というのは自分で自分についているウソであるとも思う。本当のところは、面倒だからやらないだけである。それをやった場合とやらなかった場合の効果の違いを比較して判断しているのではなく、何となくもっともらしい「事前連絡による遅れ」という論理を見つけて、それをその場しのぎの言い訳として使っているだけだと思う。

これはダニエル・カーネマンいうところのシステム1、人間がもつ自動的な直感思考の働きを示すものだとも思う。

(もちろん、そうした事前連絡にリソースを割くことで失う何かもあるかもしれない。しかし充分な検証を経てそれが無用だと結論づけているわけではない、という意味で自動的思考によるその場しのぎの考えなのだと言える)

話を戻すと、しかしぼくが事前に予告をするのは必ずしも遅れが生じたときだけ、ということではなくて、以前には「大体このぐらい」という大きめのブレを想定した合意済みの計画が、その期日に近づくにつれてより具体的に固まってきた段階で、先々の予定の的を絞る意味で言っている、ということも多い。

たとえば以前の合意では「22日から24日の間ぐらいで送る」と言っていたものが、「23日の午後1〜4時の間には送れる」となったならそう伝えておいた方がいい。
相手の状況にもよるけれど、それが事前にわかった段階で23日の午後をその作業のために空けておけるかもしれないし、また24日以降のスケジュールも組みやすくなるだろうから。

そしてまた、経験的にはこの事前連絡をやっておくと、なぜだか不思議だが、その予告を大きくズレるということがなくなる。というか、驚くほどそれは正確に遂行される。事前に通達した時刻の少し前になって、「ああ、これちょっと間に合わないかな」と思っても、集中して終わってみるとちょうど予告したぐらいに終わってる、ということが何度もあった。

おそらく、事前により詳しい予告をするためには、一度言ったらそれなりの責任が生じるから、早めにより厳しい視点から未来のことをシミュレーションしなければならず、そのことがいい具合に作用しているのだろうとは思う。
だいたい何日後に終わってればいいから〜・・などという曖昧な見通しをいつまでも大事に抱えていると、それまでに何をしなければならないのか、という詳細に関する想像力が働かない。そして想像力が働かないとき、大抵の場合、人はやらなければならないことを多く想像しすぎるのではなく、ずっと少なく想像しているのだ。

つねにできるかぎり正確なところまで想像しておく、というのはツライことかもしれないが、もし選択できる場面があったなら、それ以前の曖昧な見通しより、少しでも的の絞られた予定を伝えておく、という作業をした方が良いだろう。
少なくとも、「予告してるヒマがあったら作業進めておく」という、手に取りやすい果実を簡単にとってしまってはいけない。