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螺旋階段を駆け上がる

判断はつねに迷う。キーワードは「後悔」だ。上手くいった場合と比べて、ああ、やはりBではなくAを選ぶべきだった、と後悔することを避けたくて判断に迷ってしまう。

上手くいった場合と比べて残念に思う、ということはよくよく考えると無駄な気もする。何しろ、そうなった人生を歩むことは想像の中でしか、つまり現実の世界ではけっしてできないからだ。
Bを選んで失敗した。Aにすれば良かったと思う。しかしAにした場合の人生を我々は歩んだことがないし、歩む術もない。

だから「上手くいった場合と比べて落ち込むなんて無駄だ」とは思う。思うが、しかしその後悔する心性があるからこそ、それを避けようと思ってより良い判断を指向できるのもまた我々だ。
後悔はだから必要だし、上手くいった場合と比べていちいち落ち込むこともまた有用だ。諦観に至り、何が起きても涼しい顔で受け入れる、という状況に僕は憧れるけれど、そのようになった時でも今と変わらず向上心をもつことはできるだろうか?

後悔は向上心とつながっている。それは物事をより良くしたいと考えるための原料だ。Aにするか、Bにするか、許される限り迷えばよいし、Aにすればよかった、Bにすればよかったといつまでもウジウジ考えていればいい。それは西側と東側の境界線上をまたぐ反復横跳びではなく、西向きの窓と東向きの窓が各階に設えられた高い塔の螺旋階段を駆け上がることに近い。西、東、西、東・・と繰り返し同じ風景を見ているようで、実際にはどんどん高みに上っている。