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RSSリーダーのない人生

LDR終了のブログ記事、何が悲しいと言ってfeedlyしか移行先候補を挙げられないことだよなあ・・
http://blog.livedoor.jp/staff_reader/archives/52170245.html

Gリーダーが終わったときにはまだLDRに戻る選択肢もあったけど、今度はそれもなくなった。これが意味するのは「feedlyが終わったら本当に終わり」ということだろう。 そして選択肢はない。1つしかない選択肢を選択肢とは言わない。そして選択肢のない人生とは自由のない人生である。 よってLDRの代替、その移行先としてfeedlyは選ばない。それは不自由な人生を歩むということだ。

TwitterFacebook、あるいはmixiの更新情報をフィードだと言った人もいるけれど、やっぱりRSSリーダーがもたらす文化とそれらSNSの更新情報の間には大きな違いがある。SNSには想定外の事象が流れこんでくる割合が、RSSリーダーのそれよりずっと多い。 RSSリーダーの購読というのは週刊少年マンガを毎週買うのに似たものがある。それぞれの今週の話の内容を知りはしないけど、誰が描いたどんなタイトルのどんな雰囲気のマンガかは分かっている。SNSがもたらす情報はもっと不確定なもので、ジャンプを買ったつもりがところどころに別雑誌のマンガが紛れ込んでるようなものだと思う。だからそれは違う。けっこう違う。 SNSとかがRSSリーダーに比べて悪いとか駄目だとかいうことではなくて、たんに交換可能なものではない、ということ。

RSSリーダーは便利なもので、はてなアンテナなんて場合によってはもっと便利なものだけど、いずれもそんなに求められていないようだ。というか、それを頑張って運営してもあまりお金にならないということなのかもしれない。

feedlyしか選択肢のない時点でもうRSSリーダーを読むことはできない。それをすることはfeedlyに弱みを見せることになる。feedlyの代替があれば使うがないから使わない。道具とは2つ以上の何かから選び取るようにしなければいけない。そうでなければ道具がいくら悪くなってもそれに従わなければならないからだ。それを不自由な人生と言っている。不自由に生きていいほど人生は長くない。少なくとも今はまだ。