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言葉はカラダに貼りつく名札

誰かのことを気に入らないと思い、そいつに生卵をぶつけてやろうと考える。生卵はコトバだ。あなたは全力でそれをあいつに投げつける。見事にタマゴは相手の顔に炸裂し、殻は飛散し、白身と黄身はあいつの顔の上でスクランブル化。
あなたは溜飲を下げる。
しかし、それはあなたの頭の中だけで、その瞬間にのみ果たされた儚い夢にすぎない。

実際に起こったことは、あなたが自分の体にベシャリと生卵を叩きつけ、黄身と白身はスクランブル化。服の胸のあたりから腹にかけてヌルヌルと光沢のある湿り気がただ流れている。

言葉というのは発信した人間の体から1ミリも離れない。それは自らの身体に擦りつけることしかできないものだ。胸にワッペンを貼り付けて、それを見ろとあなたは言う。言葉とはそのようにだけ使われる。
「あいつは馬鹿だ」とあなたは言う。その言葉は胸にかけたタスキのように、あなたの体の前面に貼り付けられている。あなたはもちろん「私は馬鹿だ」と言っているわけではなく、遠くにいる「あいつ」のことを言っている。しかしそのことを他人に知らしめるためには、自らの身体に「馬鹿だ」と刻みつけ、それを見てもらうことしかできない。言葉とはだから自分の体から離れない。

世の中には、言葉を相手に投げつける生卵であるかのように扱っている人が多くいるように見える。しかし投げたつもりの卵はすべて完全に自分の体に擦りつけられている。それでいいならそれでいい。でもそう思っていないなら躊躇した方がたぶんいい。