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最近のボランティア

ボランティアを初めて1年8ヶ月ぐらいである。時間もお金もとられるし、仕事にも支障をきたさないとは言いがたいけど、これやってなかったらこんな経験しなかったなあ、ということも多い。仕事を通してでは出会うはずがなかったであろう人たちと、対面でもネットでも様々な意見を交換した。こんな考え方や、反応があるのか! と思うのも1度や2度ではない。というか毎日のようにそんなだ。

いやな気持になることもある。でもそれなら仕事や普段の(つまりボランティア以外の)生活時間にもあることだ。それよりは、新鮮な驚きみたいなことのほうが多い。ぼくは新鮮な、知らなかったことを知るのが好きなようだから、そういう意味では体に合っているのかもしれない。
といっても、ぼくがやってるのは通常イメージされるようなボランティアっていうのとは違うかもしれない。ぼくはそれを、誰が見ても立派なものだとは言えない、言うつもりもない、あまりにも地味でささやかな行為であると思っている。具体的には、ネットを通してメンバーと雑談を、ひたすら雑談をするだけなのがぼくのボランティアだ。
だから、被災地なりそれに近いような現場で大変な思いをしている人の中には、そんなのボランティアじゃないよ、と思う人もいるかもしれない。そしてそういう見方があっても自然だと思う。だからその意味で、通常イメージされるそれとは違うかもしれないと思う。

ぼくがやってるのは、場や道を作ることだと思っている。これに似ているな、と思ったのは、ほぼ日のコンテンツを読んでいて出てきた水路のモデルだ。
http://www.1101.com/hubspot/2011-07-22.html
ここでは組織マネジメント的な、けっこう具体的なモデルだけど、ぼくの場合はただの水路だ。機能も名前も必要ない、それは人や部署同士をひたすらつないでいくだけの水路であり、つながっていなかったものをつなげ、つながってしまっていたものを閉じるような作業だ。どこをつなげればより効率良く水が、物が、情報が、あるいは人の意志が、必要な形で動くかを考えてそういう道を作っている。
道路というよりも水路の方が近い、と思うのは、そこに流れるものがすでに決まっているからだ。引力のようなある法則のようなものに従って動くことしかできない、高きから低きへしか流れない水を扱うことにそこではなっていて、その法則に手を加えることはできない。加えることができるのは水が通る道だけ、という状況だ。しかしそのようにすでに決まってしまっていることが前提的にある、という状況は不自由なようでじつはやることが絞られているからシンプルに対応できるという利点もある。ぼくはだからただひたすら適切な道をつくることだけに集中できる。

ぼくは不合理とか非効率なものを見ると許せなくなるような性分がある。もともとはこのボランティアに参加したのだって、文字起こしの作業があると聞いたからだった。しかしそれをやるうちに、目に入ってくる不合理や非効率が無視できなくなりついいろいろ声や手を上げてしまった。それでまだやっている。文字起こしの作業なんて最初の数週間で終わって、それからさらに1年7ヶ月ぐらいやってる。
目について許せなくなる不合理には特徴がある。それは、指示や判断をすべき人がしていないとき、そしてまた指示や判断をすべきでない人がそれをしているときだ。戦争にたとえるが、100人の優秀な兵士がいても、指揮官の指示が間違っていれば100人の優秀さは全く生かされずにただ死んでいく。オリンピックにたとえれば、100メートル自由形の金メダル候補が監督の手続きミスで100メートル走に出場することになってしまえばその力を発揮することはできない。つまりそのような「機会を殺す状況」を許せないという性向がある。なぜなのかはよく分からない。とくに考えたこともないから。

ぼくのやっているチームでは最初、メーリングリストでメンバー間の意見を交換していた。最初はそれで良かったが、そのうちメンバーの急増にともない、メール量が増えすぎてまったく使えなくなった。メーリングリストが機能しなくなったのは誰もが分かっていたが、解決策は誰からも出されなかった。それどころか状況は悪化する一方で、深夜早朝にメールを送るな、とか、くだらない内容をいちいち送るな、とかいう不平が飛び交うようになり(もっともな意見だった)、それがまた重要な情報を埋もれさせることにもなった。たしかに、くだらない内容をいちいち送らない、というのもひとつの改善案ではあったが、そこには「くだらない」の定義が含まれていないし、しかも定義することは難しかった。同じ理由で、「些細なことで投稿するのはやめましょう」という通告がコアメンバーから出されたこともあったが、何をもって些細とするかの定義がない以上、重要なのか些細なのか区別がつかない情報はすべて投稿されない、という萎縮した場が生まれ、それもまた機会の損失につながっていた。重要なのはむしろメーリングリストという場所からの移行であることは明らかで、だからグループウェアFacebookへの移動を提案しそれを実行した。

毎日通る狭い道の真ん中に、大きな箱が置いてある。それはすごく邪魔で、人々はそれを避けて歩くから、箱の左右には渋滞ができる。でも、誰もそれを動かさない。ある時、ふと思い立って箱を押してみると、中身は入っていないようだ。ちょっと時間をかければ片づけられるかもしれない。ぼくは時々その道ですれ違う、顔見知り程度の人に声をかけ、ちょっと片づけるから手伝ってくれと言う。その人は快諾し、自分もできればそうしたいと思っていた、とむしろ喜んでいる様子だ。ぼくらは箱に何も入っていないことを確認し、動かすときに邪魔にならないようパタパタと折りたたみ、二人がかりで道の向こうまで移動する。べつの顔見知りが通りすがりに、「それって勝手に動かしてもいいのかな。誰かが、何か理由があって置いていたんじゃないかな?」と言う。そうかもしれない。だからぼくもしばらくそのままにしていたし、触ることすらためらっていた。でも、そのままにしていれば解決するという保証もない以上、とりあえずリスクをとって動くしかない。問題が生じたらそれに対応すればいい。放っておいても問題は生じているのだから、まずは確実に改善できることをしてみたい。
人はいつも通る道の真ん中に、巨大な、行き来を妨げる箱が置いてあっても簡単に動かそうとはしない。見知らぬものに触れることは危険だと感じるのが自然だし、それは適切な判断でもある。だからしばらく我慢しているのだけど、その我慢を続けているのは、なんだか人生がもったいないことになるような気がぼくにはする。よく分からないもののために毎日渋滞を我慢するのは痛みのようなもので、よく分からないものを変えようとすることにも痛みは生じる。だからいずれにしても痛いのだけど、どうせ痛いのなら、というところもある。ぼくは痛みを感じることは嫌いだが、自由を奪われる痛みが何より嫌で、それを避けるために被る痛みなら仕方なく受け入れる、というところがあるかもしれない。

別のたとえを出そう。
広い部屋の西側と東側に50人ずつの人が固まって座っている。西の50人は100人分の食糧を持っているが衣類や毛布がなくて今にも凍え死にそうだ。東の50人は衣類や毛布は大量に持っているけど食べ物がなくて今にも飢え死にしそうだ。しかし東西の間には分厚いカーテンが引かれ、その向こうに何があるかは分からない。そのような不合理で非効率な状況が、たとえではない現実にも実際にある。このとき、ぼくがやりたいと思うのは、カーテンを開けることであり、また互いのグループのリーダーに対して、双方の余剰物を交換するようアドヴァイスすることだ。
双方に余剰物があることを知るには、現場にいることが妨げになることもある。俯瞰的に状況を知るには、そこから離れていた方がいいこともある。でもそれは、現場を知らない方がいいということではない。現場に依存しすぎてはいけないという程度のことだ。また逆に、双方に余剰物があることを知っているだけでは、両グループの余剰を交換させることはできない。それを実現するには現場へ行く必要がある。だから、俯瞰的に状況を見ながら現場で目的を実現するというのは矛盾もしていて難しい。

俯瞰するという行為は、食べ物を食べたり、地図を読んだりすることに似ている。エネルギーを蓄え、どこへ向かえばいいかを知る行為だ。対して現場で実行をするということは、蓄えたエネルギーを燃やすことであり、地図で確認したように動くということである。だから難しいのは、食べながら動くことであり、地図で自分が今どこにいるのかを知りながら目的に向かって動くことだとも言える。食べるだけとか、地図で現在地を確認するだけ、とかならシンプルでやりやすいが、食べながら、あるいは地図を見ながら走るのはけっこう大変だ。たまにそういうことをできる人もいる。いわゆるリーダーというのはそういう人が向いている。自分で判断ができて、自分で動くことができる人。それは全部自分でやってしまう人、ということではない。食べてエネルギーを蓄えているだけでも、地図で状況を見ているだけでもない、自分で動きもする人、ということだ。
その点、ぼくは食べたり地図を見たりするだけ、というところがある。メンバーが限られている体制下の仕事ではリーダー的な面もあるけど、ボランティアでは少なくともリーダー的なことはできない。だから地図を見て、どことどこをつなげればより効率的に、人や物や情報が行き来しやすいかを考え、できる範囲で提案する。100人の優秀な兵士が無駄に死んでしまわないように、日々苦しいトレーニングを重ねた金メダル候補のスイマーが短距離走に出場させられないように、不要な道は遮断し、必要な道を広げ、あるいは新たに作る。