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参院選で自民党に負けたくないなら民主党に票を集めるしかない

昨夜の選挙は盛り上がった。池上さんの番組が刺激的で良かったらしいけど、まあ番組としてはそれで良くても自分の代わりにTVでハッキリ発言する人を見てスッキリする、というのはあまりいい状況ではないとも思う。ほどほどにした方がいい。快楽を他人の動向に左右されてはまずい。

自民党がヤバい、とネットで話題になり始めたのはつい数週間前からで、そのエッジの利いた改憲案がどっかのサイトでそれなりに精査・公開されてからだと思う。しかしそれまでは、「いろんな意味でふがいない民主党からどこに移行しようかね」という話でしかなかった気がする。まあ自民党でいいか、と、いわゆるリベラルな人なんかでも考えていたような印象がある。
もちろん脱原発がテーマの人々にとっては、震災後に再稼働を決めた民主党の継続支持はありづらい選択肢だったろうけど、かといって現在日本にある原発をメッチャガシガシ作ってきた自民党に投票するというのもどうなのってことでそのどちらでもない党を選ぼうとする流れにあったかもしれない。その末にどこが第一党になってどの人々が国会で力を持つのか、という話はあまり聞こえてこなかった印象だけど、まあたぶん、「考えてはいたけどそれどころじゃなかった」的な感じではないか。
いずれにせよけっこう牧歌的だったのだ。

それが例の改憲案が出てきてから一気に「自民(戦争したい人)vs反自民(戦争したくない人)」みたいな構図になって、昨日の結果でも自民大勝に対してガッカリしている人がネットでは多いようなのでおい大丈夫か? という気になった。
なにしろ改憲案の話が出てから急に「いまは戦前なのだ」とか「ナチスを支持した頃のドイツだ」とかいう言説が一気に湧いてきて、それまで自民党に対しては態度保留というかとくに言及していなかった人たちが突如それを悪の枢軸扱いし始めた。そのブレっぷりを前に、ブレる理由もない自民党が多くの議席をとれないわけがない。
思うに自民党にしたって、勝つに決まってる選挙を前にしているからこそありえないぐらい積極的な(わるい意味で)改憲案を突っ込んでこれたということなのだろう。非自民支持者のバラけ具合、統率力や団結力の無さをふつうに見越していたとも言えるかもしれない。

ぼくとしては民主党一択で、たとえば以前にこのようなことを書いた。11月17日、オバマが再選されて間もない頃だ。

民主党はたしかにいろいろポカをやっただろうがこれまでの日本を作ってきた自民党を引き継いでいるのだから単にそれを民主党の不備だというのは早計だ。
民主党にまたやらせるしか選択肢はない。しかしその民主党をかつて選んだのは他ならぬ国民全体であって、それが自民党を選ぶならまあしょうがないか、とも思う。

オバマが再選されない可能性をぼくは思っていて、再選されるべきだとは思っていたが、なにしろブッシュ息子を再選した国だから全く信頼していなかった。
それでもオバマが選ばれたので、オバマ陣営にせよそれに投票したひとにせよ、へえなかなかやるじゃないかまだアメリカ、と思ったものだった。
思ったものだったが、今度は日本の番になってしまった。これでまた「民主党ダメだからやっぱ自民党だね!」とかいう「喉元過ぎれば族」が多数に及ぶなら結局ブッシュ息子を再選した人々と大差なかったね日本、ということになる。

第3の党に希望を託す、という考えもあるだろうがそれが失敗したらどうするのか。民主党が通った道をそれ以上に上手くやれる理由はどこにあるんだろう。そういう人はそのときまた第4の党に投票するんだろうか。ぼくはそういうのって無責任だなと思うけど、もちろん個々人の意志なのだからそれはそれで構わない。まったくほんとうに。

オバマが再選されたのはやっぱりすごいことだったと思う。でもそれは投票した人よりオバマ陣営が、ということになると思う。相手をおとしめるようなキャンペーンも必死にやったのがやっぱり偉かったとおもう。なぜなら選ばれるためにそれがどう考えても必要だった。「彼は善人だが負けた。そして国から希望を奪った」と言われないようにするにはそれしかない。

愚かな人間も利口な人間も同じ一票をもっていてその二人は一人の中にいる。
世界がもし、というか日本がもし、頭のいい人間ばっかりになったらどうかな、と思うことがある。
実際にはたぶん、そんなことになるはずはない。頭のいい人間が増える可能性はあっても、そいつは心の一方に恐ろしいほどの愚かさを抱えることになるだろうから。
必要なのはその相反する性質をどうアウトプットしたらいいのか、そのデザインのありようを示すことだ。善か悪か、どちらかだけの世界があるわけない。
善をどこでどのように、悪をいつどのポイントで、発揮したらいいのか示すことが求められている。

党でいうなら民主党にもう一度チャンスを与えるべきだろう。なぜなら彼らはまだ充分なチャンスを得ていないから。自民党と比べて云々というなら、同じだけの政権期間を与えなければおかしい。そうすべきというのではなく、そう言うなら、というだけの話。

https://www.facebook.com/notes/%E9%96%80%E6%9D%BE%E5%AE%8F%E6%98%8E/20121117/10151335812711081

もしも自分の望む未来があって、それになるべく近いことを実現させようと思うなら、まずは現実をなるべく正確に把握し、それに対する働きかけのあり方を考えなければいけない。だからいろいろ不備はあったとしても、それ以前の窮屈な日本の社会を作ってきた自民党以外で、半分理想主義・半分現実的な民主党、かつあんまりブレてないっぽい野田っちに継続でやってもらう以外に選択肢はなかった。

しかし保守と言われる自民党支持者、ではないいわゆるリベラルな人たちはどうもそういう現実をあんまり見てなかったんじゃないか、たんに自分がスッキリした気持で投票できる受け皿を探していただけなのではないか、と思えなくもない。

ネットで見聞きしたところによれば今回は「種まき選挙」だったそうである。自民党が勝つことは決まっているのでその次の選挙に向けて下地を作る機会なのだと。なるほど、前向きだ。でも、だからってたとえば急ごしらえの、未来という言葉を冠した党に入れるのは自己満足でしかない非現実的な行為なのではないか? あるいは消去法で可もなく不可もないようなところに入れるのってどうなんだろう?
比較的現実的に、今回そのような消去法でリベラルな人たちの受け皿になったのはみんなの党だったのかな、という印象がある。しかし彼らはすこし前の民主党そのものではないだろうか。理想主義的な面もある、でも現実的な面もあるよと。そしてすでにその路線で政権までとった民主党をかつてのリベラルだった人たちは支持し続けはしなかった。リベラルな支持者に一貫しているのはそのブレっぷりだけだ。これは悪い意味ではない。つねにベストを探し改善を続けることにも通じるから。でも夢見がちだとも思う。

これもまたネットで聞くところによれば、次の参院選はそういった人たちにとってラストチャンスだそうである。ここでも自民に(あるいは加えて維新に)負けるわけにはいかない、のだという。
ぼくの考えとしては、もし本当にそう思うのなら、自民や維新に反対する人は票をひとつに固めなければならない。それも民主党に固めるしかないと思う。これまで数年にわたって政権与党として動いてきたことにより得た様々なリソースをドブに捨て、また新たに蓄積・構築するだけの余裕が彼らに(非自民の彼らに)あるとは思えないから。あるいはそうでなく、たとえばみんなの党に勝ってもらって、またイチからそれを中心とした体制を整えるべきだと言えるだろうか? そんなのって無駄が多いし、それが民主党以上に上手くいく保証もない。ましてや未来や大地を冠した党? 論外だと思う。(野党としては良いと思うけど)
本当に自民の大勝に絶望しているなら、だから繰り返すが民主党一択だと思う。もちろんどこを支持するのも自由だけれど、そこで奔放な自由を行使するのであれば今度こそは自民党が本当の意味で強大になっても嘆くことは許されない。方法は示した。あとは取るか、取らないかのどちらかだ。

なんでこんなに素朴でそれこそバカみたいにシンプルなことを延々書いているのかといえば、今なおそのような現実に目を向けず、あいも変わらず「自民に入れたやつは愚かだ」「投票に行かなかったやつが悪い」「(そして私たちは悪くない)」的な雰囲気がいくらか目に入ってくるからだ。他人のせいにばかりすべきではない。本当に成したいことがあるなら、現実を前提に新たな対策を立てないとさ、と言いたいわけだ。この記事タイトルもだから、そういう人たちに向けて言っている。
ぼく自身はといえば、「自民党に負けたくない」とかはそんなに思っていない。一択の対象にとくに変わりはないけど、それに同調してほしいというのでもない。されても責任とれないし。
といっても、選挙で決まったから、という理由でこれを受け入れているのでもない。民主主義とは「多数決」の言い換えではないと思う。ただたんに、一市民である自分は政治の専門家である彼ら、かつ立場として地域全体のことをやろうとする彼らを一定程度信頼し、また足りない部分に対しては非難や糾弾に留まるののではなく可能なかぎり補ってやる、協力していくのが努めだと思ってるだけだ。まったく受け入れられないことでもないかぎり、そうでもしていかなければ、いつまでも右へ左へと移動し芝目を読み続けてはパットを打たないまま日が暮れてしまうゴルファーのようではないか。何打費やそうと、とにかくホールアウトすることがゴルファーの務めなのだ。

ぼくの住む千葉の熊谷市長はさすがにいいことを言う。危なっかしい印象もなくはないが、さすがオラが村の市長さんだで、と思うことも多い。まあ、ぼくはついこないだまで東京にいて、彼がいつ市長になったのかも知らないわけだが。
すこし前にサッカーのジェフ千葉の監督が成績不振で解任されたときの市長のTwitterを抜粋してとりあえず終わる。監督人事が話の対象ではあるが、もちろんこの時「本当に」彼の念頭にあったのは日本全体の話であり、政治の話であり、また今回の選挙のことだったろう。つまりこれはサッカーファンへの呼びかけではなく、日本の有権者たちへの呼びかけだったのだと思う。

上で言われていることはぼくが考えていることにけっこう近い。だからこれはこれで、TVで池上彰が率直なふうにあれこれ言うのを見て溜飲を下げるのと同じことをしているのかなとも思わなくもないが。