読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

103

Tumblrの「坂本龍一から政治家のみなさんへ」はリブログ歓迎

すこし前から更新されている坂本さんの以下のTumblr

坂本龍一から政治家のみなさんへ
http://skmtsocial.tumblr.com/

初めは数人の著名人からのメッセージがUPされて終わるものというか、そういうのを決意表明のモニュメント的に置いとく感じかなと思っていたらその後も絶え間なくメッセージが増えていってこりゃ大変なことだなあ、と思って見ているのだけど、このサイトのページの一番下には現在以下のような文言があり、

当サイトはリンクフリーです。ただし、無断転載は禁じます。

この後半部分についてTwitterユーザーなどの間で「Tumblrなのに転載禁止とかありえんw」みたいな話があったのを見た。

たしかにTumblrには主要機能のひとつとして手軽かつ素早くTumblr内の他サイトの記事を転載できる「リブログ」という仕組みがあるので、それに馴染んでいる人がこれを見ると一瞬混乱するというか「転載禁止ってリブログも禁止ってこと? それってTumblr使う意味ないというか矛盾してるんじゃないの?(というか教授Tumblrわかってないんじゃないか)」的な疑問が湧き上がるのはわかる気がする。

ぼくとしてはこういう話って放っておけば早晩収まるものだし自分の管轄外でもあるので最初はあまり気にしていなかったが、某所でIT系のひとが「これは坂本さんが悪いんじゃなくてスタッフの問題だろうから近い人が知らせてあげたらいいんじゃないか」と言っているのを見て「世間にはやさしい人もいるものだなあ」と胸を打たれて(または背中を押されて)直接坂本さんに「あの書き方だとリブログ禁止という意味に捉えられますけど、大丈夫ですか?」みたいな確認をしてみる気になってしてみた。
すると、「リブログは積極的にしてほしいのだけど個人ブログなどに際限なく転載されるとコンテクスト(文脈)を変えて違う意図のためにメッセージが使われていく懸念が出てくるので無断転載は禁止としてみた」(大意)という。

つづけて、「でも、もっと適切な表現があるかな?」(大意)と聞かれたけど、そう言われると案外むずかしい。たとえば実際的に「リブログは歓迎しますがTumblr以外への転載は禁じます」とか、「メッセージの意図を改変する行為は禁じます」とか書くのもどうなのか。それはそれでけっこう野暮というか、前者についてはそれがTumblrを使ったサイトだと知らない人にはポカン、という感じだし後者に至ってはたんに常識であってほしいというかそこまで言う必要あるか? みたいな気にもなる。
ただし現状のままだと「Tumblr(=転載の権化)」と「無断転載禁止」という2つの概念のコンフリクトぶりがTumblrをよく知る人たちにとっては無視しがたいものである気もするので、まあとりあえずその後半部分をカットするだけでもいいのかなあ、という気はする。

一方、しかしそもそもその無断転載禁止という文言は誰に向けられているのか、という問題もあって、上記のTumblrを知らない人がポカンとする例の裏返しで、その文言が効果を発する相手というのもやっぱりいるとは思う。それは必ずしも坂本さんに悪意を持っている人とかではなくて、善意なんだけど転載が繰り返され広まっていく媒介のひとつになることで結局問題の火種になってしまう何かというか、そういった無自覚ではあれど現実的に起こりうる事象への予防措置としてはだからある程度アリな気もする。
言ってみればここで求められているのは「自国の言語しか理解しないアメリカ人とロシア人とイタリア人全員に同時に通じる言葉」のようなものというか、対象者はそれぞれ普段は違う言葉をしゃべっていて、彼らに対応する側も個別にその国の言葉をしゃべってコミュニケーションすることは簡単だけど、各国の人に「同時に」通じる言葉を求められてやってみたら一方からは「それじゃ意味がわからない」、もう一方からは「けっこうわかった」と言われるような状況のようだと思う。そこでは針に糸を通すようなバランス感覚というか大局観が求められる。

それはそれとしてぼく自身の考え方としては、ネット上に掲載されたメッセージが本来の意図とは違った状態で広まってしまうこと自体はもう避けがたいというか、悪意の有無にかかわらずコントロール不能な面も大きいような気がするので、そうした注意文言みたいのは清濁あわせ呑むような感覚をもってナシにしてしまっていいんじゃないかとは思う(さっきも言ったが)。その方が無意味な混乱もなくなるような気はするし。
一方でセンテンス前半の「リンクフリー」というのは、いわゆる「シェアさせていただきます」的な「いやそれべつに断らなくてもいいから」という(まあそれ自体は実は定型文というか挨拶というか慣用句みたいなものだからあってもいいと思うんだけどわかりやすい例として)実利的に膨大なレスをしたり神経を使ったりということをしなくて済ませるような効果があるとは思うのであった方がいいかなと思う。

#ちなみに、その「リンクフリー」についても本来の語意と違うのでは、誤用なんじゃないか、という指摘をいくつか見たけど、現状リンクフリーって「リンクはご自由に」という以上でも以下でもない気がするのでそれはそれでいいんじゃ、と思う。
基本的には言葉は入れ物で、郵便における封筒というかその中に入っているものが手紙であれお刺身であれ相手に渡すために詰め込むための「容器」なので、中身がある程度適切に相手へ共有されたら役割は果たしている。誤用の指摘は有用なことがあるし、ただでさえ厄介な性質をもった言葉というものがその上現実的に異なる2つ以上の(場合によっては全くあさってなほど異なる)意味を示しうることになると困るのは確かだけれど、メインの目的が誤用の指摘にとどまるとお互いの時間が無駄になるというか、そのとき人はその言葉を通して何を成したいのか前提的に意識したほうがいろいろ良いと思われる。理想としては現代においておおむね共通理解されている意味と、その語源みたいなものとがそれぞれ適切に把握されていれば人々はより有効にそれを使っていくこともできるだろうと思う。

話を戻すと、いずれにしてもそのTumblrのサイトはリブログ禁止ということではないそうなので(むしろ積極的に歓迎)、すぐにではなくても自然にそのように捉えてもらえるようになっていけばいいなと思う。
また同サイトの件の文言の今後については、一例としては上記のような対応案を考えはしたけど実際にはあんまりガチャガチャ書き換えるのも効率が良くない気もするので全体への影響が見えてくるまでもうしばらくそのまま様子見でいいんじゃないかと思っている。