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自炊代行サービスを通して電子書籍化する本の選別条件

すこし前からブックスキャンといういわゆる自炊代行サービスを使って、蔵書をPDF化する、というのを試している。
多少値が張るけど、いくつかの面でいいことがあるような気がして、すぐにはやめていない。
どの蔵書をPDF化するか、という判断には時間がかかりがちだが、これは引越しなり大掃除なりのときに古雑誌を捨てるか判断するために読み返してしまい時間が経つことに似ていて避けようがないものの、その時間を短縮することはできる気もするのでそのようなことについてメモしておく。

まず、そもそもどのような利点があってそのようなことをするのか、ということを考えてみると、たとえば以下のようなことがある。
1)しまう場所が不要になるから家が片付く(可能性が上がる)
2)目当ての本を探すまでの時間を節約できる(可能性が上がる)
3)文中の語句を検索できる(OCRスキャンというオプションをつければ)

この辺については、おそらくどこでも言われる特長だと思われるが、とくに2)は地味に重要で、資料の本などは、探しているものが手前に積み重なった山の向こうの山に含まれているのか、それともさらに向こうの山にあるのか、あるいは忘れているどこかの本の山にあるのか、いずれにせよパッと見回しただけでは分かりづらいことが多く、いくつもの山を別の場所に一旦移動しながらでなければ見つからない、というかいくら探しても見つからない、ということもママある。
もしこれがすべてデータになっていれば、コンピュータ上でタイトルを検索するだけで出てくる、または出てこなければ持っていたと思い込んでいたのが間違いだった、ということが分かるわけで、一番タチの悪い、「ないかもしれないけど探す」ということをしなくて済むのが非常に良い。今書きながら分かったが、「持ってないことが分かる」というのはいいな。

上記以外の「電子化された本」の利点として、「重くない」「ページをめくるのがラク」というのもある。つまり読む行為自体がラクになる。逆に言えば、本というのはぼくにとって「重い(物理的に)」「ページをめくるのが面倒」なもの、ということになる。さらに逆に言えば、本というのはぼくにとって、それでも読まざるをえない物(だった)ということになる。
とくに、まああのべらぼうに重くてかさばる広辞苑をめくる機会というのはさほど多くはないので除くとしても、普通に売られているハードカバーやら上製表紙やらの本でさえけっして読みやすいものではなく、というか持ちやすくないというかめくりやすくない、という言い方の方が近いかもしれないが、さらにその判型が大きかったりすると、持ち運ぶのはもちろん、手で持っているだけでもだんだん腕が疲れてきて、読むことに集中できなくなってくる。
それってたんに、「ひ弱」なだけじゃないか、という気もこれも書きながらしてきたが、ひ弱でもできる読書があればそれに越したことはないというのがぼくの立場だ。(謎)

しかしそれでも、じゃあ蔵書どんどんPDF化しちゃえばいいね、ということになるかというと、そうでもない。全部PDF化できない(しようと思わない)理由にはたとえば以下がある。
1)電気が使えなくなったとき、あるいは読み取り機器が壊れたとき、あるいはフォーマットが淘汰されるなどの理由で読み取れなくなる可能性があるので全移行は怖い。
2)モノとして魅力的な本、紙で見た方が直感的に読みやすい・使いやすい本もある(地図とか)
3)代行サービスに頼むと結構費用がかかるし、自分でやると時間がかかる。だから無際限にはできない。

上記の1)と2)は似ていて、つまり「大事なものは電子化できない(または躊躇する)」ということになる。上でも書いたが、そもそも電子化するかどうか悩む時間が勿体ないので、悩むようなものは初めから電子化しないと決めておくのが妥当かもしれない。
また、現実的には結局のところ3)が一番効いてくる。無料とまではいかないまでも、たとえば1冊10円とかであれば100冊でも千円、千冊でも1万円払えば家から消えてくれる。「大事なもの」以外はすべてやる、という方針だけで、どれを電子化するか、なんて悩む必要がなくなる。しかし実際には現状1冊150〜300円程度は普通にかかるから、1万円に達するまでが遠くない。

それで必然的に、ふたたび「何を電子化するか」という判断基準の設置に戻ってくるわけだが、上記の条件から考えていくと、以下のような本は外れてくる。
1)大事な本(なかなか買い直せない貴重本、借りてる本(当たり前か)、紙で読みたい本)
2)重くない本(文庫とか新書とか)
3)再読する可能性がなさそうな(つまりそんなに好きじゃない)本

3)は当たり前のようだが、案外そういうのが蔵書の一部を占めている。「売れば?」「捨てれば?」とも思われるが、やはりとりあえず買ってみただけのことはあって、どこかに「時間があれば読み返すんだけどなー」という気持もあってなかなかバッサリ捨てる気にもならない。というか実際、面白い部分は必ずあるはずだし。
とはいえ、費用のことを考えれば、そういうのは必然的に電子化へのモチベーションというか優先度が下がってくる。

そうなると逆に、優先的に電子化したいものとして、以下が入ってくる。
1)重くて、
2)ある程度買い直しが効いて、
3)内容的にも読みたいもの。

だんだん、「重くて」とか書くのもいやになってきたが、やはり重さと読みづらさというのはじわじわ効いてくるので仕方がない。
一方、じつはその観点からして優良なはずの文庫や新書にしても、試しに自炊代行を依頼してみたところ、どちらかと言うとPDFで読む方がラク、という印象がある。というか文庫って、夏目漱石とか森鴎外とかでないかぎり、あんがい厚くて重かったりする。もちろん単行本などに比べればずっと軽くて持ち運びやすく、また家で邪魔になる度合いも少ないので、そうした点ではさほど電子化の優先度は高くないわけだが、内容的に「読みたい」程度が上位にある場合、これもトータル的な電子化の優先度としては必ずしも外れてくれない。だから困る。

さらには、ここに「資料」という概念も入ってくる。貴重な本や借りてる本が対象から外れるのは当然としても、これまで自費で買ってきた資料などを電子化するかどうか、という問題だ。
というのも、資料本ほど「文中の語句検索」や「本自体をどこにしまってあるかという捜索」の向上がもたらす恩恵の大きなものはないわけで、むしろ資料本から順に電子化した方がいい、とすら思えてくる側面がある。
と同時に、資料というのはそんなに、積極的に、たとえばちょっと休憩時間に手にとって読みたくなる、というようなものではなく、「読みたい」かといえばさほど優先度は高くないわけで、だからこれも判断を鈍らせる要素のひとつでもある。

そのような様々な要素を、しかし現状で総合してみると、以下のような感じかと考えている。(重要な順に)

●電子化する本の条件
1)買い直しができる・貴重ではない
2)読みたい・読んでなかった
3)重い・かさばる
例)読みたかったけど重くて外出時に持ち運べなかった本、貴重ではない資料本、etc..

●電子化しない本の条件
1)貴重
2)さほど読みたいわけではない・電子化したところで読むか微妙
3)重くない・そんなに邪魔にならない
例)モノとして愛着がある本、あってもなくてもいい本、etc..

「電子化しない本の条件」の2)3)というのが、その例である「あってもなくてもいい本」につながるわけだが、これは費用面さえクリアできたら、貴重でないかぎり電子化したい気もする。クリアできる見込みが立たなければ、まあ処分した方がいいのかもしれない。(すでにかなりしてるが)

ちなみに、よく電子書籍の話で出てくる、「紙の本には電子書籍にない手触りの良さがあって・・」という言説は、電子書籍の存在理由をまったく誤って認識しているがゆえのもので、「商店街にはコンビニにない人の触れ合いがあって・・」とか「魚には牛にない背ビレがあって・・」と言うぐらい無意味な意見だと思う。それぞれの特性を生かして両方使えばいいのだし、「使えばいい」などと言うまでもなくいずれそうなるに決まっているし、ならなければ人間やばい。