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2. 鳥と歩兵

映画の『シャイニング』やたしか『ハリー・ポッター』にも出てきたような、自分の背よりもずっと高い壁に囲まれた巨大な迷路に入ってしまった場合、どうすれば出られるかというと上空にいる誰かから適切な進路を指示してもらうのがいい。

ボランティア作業の現場や被災地に行く余裕がない身としては、全体の動きを見てあっちがいいよこれがいいよと適度にアドヴァイスするぐらいのことしかできないが、適材適所的な意味ではそれほど間違ってもいないような、またある程度は貢献できているような自覚もある。
このとき被災地に行ったりさまざまな現場に飛びこんで活動している人たちは上記のような迷路とまではいかないがいずれにせよ地上を全力で走っているような状況にあると感じられ、ぼくはその時なんというか巨大な鳥の背中に乗って、トランシーバーで地上部隊に進むべき方向を指示しているような状況にあると感じられる。

よく、そのような指示者をコントロールタワーと表現するひとがいるが、こういった場合に必要とされるのはタワーのてっぺんから指示を出す人間ではなく、動的な鳥瞰者ではないかと考えている。タワーの住人はその場から離れられないわけだから、地上にある者のいる場所によってはよく見えたり見えなかったりしてしまう。しかし指示者はつねに地上部隊がどこにいるかを明確に把握していなければならないし、さらには部隊のはるか前方に何があるのか先回りして様子を見たり、すでに通り過ぎた場所に何か見落としがなかったか自分だけが一旦戻ってみたりと、フイフイ上空を飛びながら、ある意味では地上にいる者以上に動き回りながら全体を俯瞰して得た情報を地上へ伝える必要がある。

迷路を抜け出すためにはこのようにして、地上部隊と鳥瞰者の両方が必要だが、これはひとりで仕事をする際にも応用できる。地上部隊はいわば「アクション(実行)」であり指示者は「計画」にたとえられる。計画だけでも実行だけでもだめで、結局一人が両方を行う必要がある。中には秘書やマネージャーを雇える人もいるだろうがそれにしたってすべての計画を外部化することはできないだろう。
そしてそれとは矛盾しない意味において、効率化を促進するには分業が有効だとも言える。自分だけでやらなければならないことをなるべく最小化し、分業できるかぎりのことをしなければ結果はついてこないというのがここしばらくの仕事を通しての実感だ。
計画と実行は「頭」と「体」にも置き換えられる。どちらかだけでは駄目で、両方を最大限効果的に組み合わせて使用する必要がある。

いずれにせよ、上空からの指示者と地上部隊との関係をいかに理想的に結ぶか、ということが重要なポイントになってくる。地上だけにいては進む道が見えづらいが、上空だけにいては実際のアクションを行うことができない。全力で進んでも方向が間違っていたらまったくの無駄になるが、計画だけでは何もやっていないことになる。
哲学をはじめとする学問はそれだけでは何の役にも立たない設計図のようなものだがその意味を理解し行動へ落とし込む実践者と組むことができれば理想的な世界が生まれるかもしれない。それらはどちらも必要な立場・能力であり彼らはチームを組まなければならない。

ぼくの手伝うボランティア団体では代表のひとがその両方をかねていたのがやはり大きな特徴だと思われる。彼は震災後の多くの場面で実践者であったが、それ以前には研究者として充分にして緻密な設計図をすでに描いていたし、それによってまた実践者としてある中でも鳥瞰する指示者としてあることができたということだと思われる。
彼が一度そのように先頭に立ち両方のモデルを示したことで、続くサポーターたちはその型を真似て指示者向きの人間は指示者の側を、実践者向きはそちらの側を補強することにより団体としての活動に継続性を得たというのが実際のところではないだろうか。

どのようにすればいいか分からない、という状況に追い込まれたときにひとりのモデルがあらわれて「このようにやればいいんですよ」と目の前でやってくれたことによって「それなら自分もできる、というか自分のほうが上手くできる」というスペシャリストを含むメンバーが集まったことがここまでの実績に結びついたということは言える。
彼ではなくてもできるかもしれないそのモデルに求められることは、だから設計図をまるごと飲み込み理解した実践者ということになるかもしれない。