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あたらしいWebツールを使いあうときにありがちなこと(に関する短い考察)

Google+をしばらく使っているけどたしかにいろいろ素晴らしい。みたところ、周りの反応として今までとちょっと異質なのは、Webが本職のひとほど受け入れぎみな感じであるということで、いわゆるアーリーアダプターというひとの中にはとりあえず何でも試したいから試す、というところがあると思うが、それだけのモチベーションだと「なにが面白いの?」て感じで上から冷めた視線を送ってdone(ハイ、次)という雰囲気もなくはなく、一方の受け入れぎみのひとにすればTwitterfacebookでは手が回っていなかったかゆいところがきちんとカヴァーされてるじゃん、という好意的な感じになっている気がする。

ようは以前にここでもfacebookの第2次盛り上がりぐらいの時期に書いたことと同じで、役立つから使う、みたいなことになってる人は楽しんでいるようだし、その違い(つまりTwitterやfbとの)が自分にとってさして大きな利になっていない人はひとまず違いを述べるにとどめて肌馴れたどこかへ帰っていくという感じだろうか。(もちろんそれでいい)
ぼくはと言えばやはりというかこれはありがたい、という感じ。大きな一点としては、限定公開で何かを書いたときに、読者側では自分以外に誰がそれを見れているのか、というのがわかるからいいしfacebookでそれはナイ。もちろん、というかmixiも何度めかのリニューアルの際に日記を限定公開できるようにし、その仕様がまさにそれで、その点においてはfacebookよりずっと良くできてるねmixi、という感じだったが何しろmixiはそれを補って余りあるわかりづらさが満載だから*1比べる対象には(その辺の意味では)ならなくてやっぱりいいねGoogle+ということになる。

しかし本質的な問題は、そんなツールごとの比較レビューなどには本当はなくて、OK、じゃあクリエイティブなコラボをこれ使ってやろうぜ、となるとひとはたいがい「そんな、facebookも使いこなせてないのに色々手を広げられないですよ・・」的なことになることだ。facebookが出たころには「Twitterも使いこなせてないのに・・」と言われTwitterが出たころには「mixiで十分ですよ・・」と言われたようなそれ、まあ実際には、mixiの頃にはまだゲーム会社じゃないGreeやその他の競合SNSがたしかにあったようだしTwitterのときにはJaikuやら何やら多くのクローンがあって、そのへんも並行して目端の内や選択肢にはあったわけだから、そうした混乱が普通じゃないとは思わないが、とはいえそんな簡単にキャパオーバーになるのはやっぱりどこかで、前提的なこういうものへの認識のあり方がチガウんじゃないか? とは思われなくもない。

たとえばフォーマルな場に行くときと休日に海水浴へ行くときとで着ていく服をぼくらは当たり前に使い分けるし、ラーメンを食べるときとカレーライスを食べるときでも同じ道具は使わずに食べる。「これだけあれば大丈夫!ってツールがほしいんです」と、あたかも「Twitterだけあれば十分でしょ」と言うかのように言うのは「先割れスプーンだけあれば全食品対応可能」と言うことに似ているし、「メールは二度と使わない」と言うのも同様だ。どう考えても、箸やフォークやナイフをそれぞれの状況に応じてどれも使えた方が食事をするときにはいろいろ便利だし(先割れスプーンすら使えないよりは使えた方がいい)、実際誰もがそうしている。

しかしことWebツールに話がおよぶと、こうした「箸だけあれば食事はできる」「というか箸すら使いこなせてないのにフォークとか無理」みたいな話になりがちのはどうしてだろう。もちろん、わざわざナイフとフォークで切らなければ食べづらいような料理を食べる機会がナイならそれで全く問題はないが、目の前に、それ切った方がいいよね的な料理が供されており、かつそれに適したツールが置かれているにもかかわらず使わないし使わない理由をさまざまに挙げようとするというのはどういうコトだろう。責めるのでももちろん皮肉でもなくたんに、時間がもったいないじゃない? とは思わずにもいられない。

といっても全くそうした心境について想像がつかないわけでもなくて、たぶん実際の状況を知らないがゆえに想像が膨らみすぎているということはあるかもしれない。近くのコンビニへコーラを買いにいく程度のことに対し、家財一式をもって引っ越すかのように大仰に構えてしまうというか、今までのWeb活動におけるあれやこれやの経験知識を総動員し家族親族そろって大移動しなければならないぐらいのビッグイベントのようにとらえているフシがなくもない。ようは、「失敗できない」という意識があるのだろうか。だとすれば、やっぱりたんに「間違った経験」が少ないから、ひとつひとつの間違いや失敗、あるいは面倒なことになったケースへの印象や記憶が相対的に大きくて、それで必要以上に重大事として考えてしまうということはあるかもしれない。

*1:たとえば日記を書いて確定するときの二者択一ボタンが「編集する」と「やめる」なのは異常で、「編集する」を押すと記事は確定され「やめる」を押せば編集画面へ戻るという不可解な日本語だ。