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風船とスポンジ

この時間まで協業者とメール。ちょっとずつ進んでる。構造も見えてきた、ようやく。ずっとずっとプッシュしてる。30人31脚みたいなもので、全体が進むようにやってるから終わるときは一気に終わる。ゴールには30人が一斉に飛び込む。これがわからないとあの30人はいつ来るのだ?と不安になる。もう来てもいい頃合いだろうになぜ一人も姿を現さないのだ?道を間違えたのではないか?と。でも30人は一斉に来るのだ。コップの中の水が徐々にではなく、一回の小さなショックを与えた瞬間に一気に氷になるように。あるいは膨らまし続けた風船が、あるとき破裂するように。空気は最初からずっと同じスピードで送り込まれている。仕事がただそういうふうに進んでいる。破裂する一瞬がやってくるまで、ずっと風船に空気を入れ続けている。膨らまし続けていることに気づかない人はいらいらするだろう。でもずっと吹きこんでいる。

地震から一週間。あっというますぎる。昨日のよう、というか13時間ぐらい前にしか思えない。ずっと同じ一日のようだ。
無力感、という言葉をときどき聞く。僕はそれは感じない。自分に何か出来るとは思えない。ただ、目の前でその何かが起こっていたら、あるいはそのように想像できたなら、そういうのを感じるかもしれない。想像力がないのだろうか。なにしろ灯油がもうすぐなくなるが、うちの暖房設備は灯油に頼りきりで、どうなるんだろうな〜・・とおぼろげにしかその先のことを想像できない。備蓄の灯油がなくなるより先に春が来るかもしれない。でもそうはならないだろう。月曜には冷たい雨が降りそうだ。その前になくなる気がする。もしそうなったら・・いや、わからない。
無気力なら感じた。いまも感じはする。でも数日まえからちょっとずつ減った。減らしたというか。無気力に若干飽きた気もする。

よく思い浮かべるイメージは、水を吸わないスポンジだ。ビニールか金属か、あるいはゴムか、そういう何かで出来ているスポンジ。いくら水をかけても吸わない。だけどしつこく何度もかけてると、あるいは水の中に長く沈めていると、まったく吸わないわけでもない。ちょっとずつは吸う。