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あいだをつなぐものをつくる

twitterが流行っているからといってtwitterに似たなにかを作ろう、というのは商売としてはいいと思うが、ユーザーとしてはべつに歓迎でもない。なぜならそれはすでにあるからで、一方まだナイ必要なものもあると思われるからだ。
行楽地が増えるのは嬉しいことだが、必要なのは行楽地ばかりではなく、行楽地どうしをつなぐ道だったり乗り物だったりの最適化だったりすると思われる。いうなれば潤滑油の必要性が、既存の行楽地が面白いのであればあるほど、高まっていく。今後本当に作られるべきは、そういうものではないか。
電話がすぐれた機械だと、メールがすぐれた手段だと、facebookがすぐれたソーシャルメディアだと、いうのは間違っていないだろうが、そのあいだをつなぐものを洗練していく大切なお仕事というのもあるはずで、第二のtwitter、第二のfacebookをすくなくともぼくは求めていない。
たとえばメールが得意な人とfacebookが肌に合ってる人と電話が好きな人がいて、誰かが他方に合わせなければいけない、というのはどうも違う。みなが体に合ったものを使ったまま、なのに円滑にやり取りできてしまう変換装置があいだにあればいい。あるいは「やっぱり英語ができなきゃ」ってえじぷとがらみでよく見る意見。それは間違っていないだろうが、その一方で、A国の人はA語を話し、B国の人はB語を話したままコミュニケートできる翻訳機があいだにあったならとりあえずそれでOK。というケースもままあるだろう。ぼくはそういう道具を待望している。
考えるよりもはやく開くメモ帳が必要で、その点まだ紙のほうが若干分がいいと思われる。0.000..n秒の違いで快不快、ひいてはおそらく生産性が変わるように思われる。たったそれだけのことが、ようするにまだ果たされていない。(Evernote、今まで一度も「重いなあ」と思わなかったことがない。誰が推薦してるんだ?)すでにあるものをうまく使いきれる、使い果たせるアイディアと実践力が求められる。新しいものを買っても途中までしか使わずに捨ててしまう、を繰り返すのではなく、チューブ絞り出し器のようなものを作れたらいい。