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facebookの流行と面白さ

最近はfacebook関連の記事を読む機会がウェブ上ではおおくて、というのもたぶんfacebookの自分のタイムラインに流れてくるものをよく見ているからだと思うけど、というのもたぶんfacebookをやっている人がfacebook関連の記事に興味があってそれを流してくるからだと思うけど、そういうのを見ているとやっぱりいくつかの中ではそれが「流行っているかどうか」という観点から語られているのだなと思ったりする。
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逆にそうではない、facebookが「面白いのかどうか」という観点から語る記事となると、それはほぼ一様に「面白いよ!」って内容になっているように感じられ、なぜそうなるのかといえばこれも逆に、「面白くない」という結論に辿りつくひとがそもそも「流行っているかどうか」という観点をもって試しているからだと想像される。
これをまた言いかえれば、面白い!って思う人はそれが流行っているかどうかなんて副次的な要素としてしか捉えていない。僕はfbを面白い!って思うけど、世界で何人がやってるかなんて知らないし知るつもりもないし知らなくても面白さが減るとは思わない。どうして面白く感じるのか、なにが面白いのか、というのはそれこそそれなりにいろいろ記事があると思うのと考えるのがつかれるのとで詳しくは書かないけれど、まあ便利。ということはある。道具として便利で、家電を買いかえたら日常生活がすごくラクになったな〜みたいなことに近い。
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べつに流行について気にしたり書いたりすることが悪いとは思わないが、そもそも「流行すること」とそれが「面白い」ってこととは、関係はあるけど同じではない。だから、「流行していると聞いたが面白くない」とか「面白くないから流行しない」というのはあさってな論だと言わざるをえない。
なにしろそれを面白くないと感じるのは、そのひとに合っていないからだ。流行している服ならば誰が着ても似合うか? その質問が答えになる。
あるいは他人から見たらボロボロで使えそうもないような一本の筆が、ある人にとってはほとんど万能の道具になることもあるんで、それを無関係なひとが手に取って「こんなボロボロの筆、使えませんよねー」といっても「あなたにとってはね」と言うよりない。そして「こんなの使えないよねー」という人にとってもまた、他人には価値のわからない大切で面白い、自分にフィットした道具があるわけだ。
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みうらじゅんがマイブームと言ったように、流行というのは分母によって流行ってるともそうでないとも言える。mixiは日本でブームになっただろうけど世界的にはそうではないし、facebookは日本ではまだ流行っていないと言われもするが日本人の僕やその他数十人は少なくとも楽しんでいるように見えるからその日本人たちのなかでは「すでに流行っている」。Twitterなら流行ってると今では言われやすいかもしれないが、本当に「日本で流行ってる」というには知らない人が多すぎだろと思う。
実際、Twitterに対して「馴染めない、やりかたがわからない、あんなのどうして面白いのか、そのうち終わる、というかもう終わってる」という言い方は今もあって、結局前提の置き方次第でいくらでも言い方は変わるし、逆にいえば前提とする情報が厳密な論ならそれに対してさほど誰とも意見がくい違うはずはない(と思う)。
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ちなみにTwitterであれfbであれそれに馴染めないひとの言い分を聞いているとすこし恨みにも似た感情を感じることがある。わからない俺が悪いのではない、俺にわかられないTwitterが(あるいはfbが)悪いのだ、とでもいいたいのかというぐらいの感じだそれは。そしてやっぱりそういう状況は、とくに自分が興味を感じたり必要だと思ったりしたからではなくて、「どうやら流行ってるらしいから」という理由で試してみたからそうなっているんじゃないかと想像される。
もちろん、試してみたら面白かった!もう手ばなせない!という人もいるだろうけど、結局自分の人生で自分に役立つものであるかどうか、ということがそれを続けているのか、それとも「面白くないね」といってやめるかの違いにつながっているのだと思う。
※ここにはまた、「継続は力なり」的な「続けることは良いこと/やめたら負け」みたいな本来ならケースバイケースであるはずの「継続することの是非」に対する大味かつ強引な刷り込みも関係しているかもしれない。
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面白くないのにやっているのなら、もう義務教育の年齢でもないのだから早々にやめて貴重な自由時間を自分の好きなもの、必要なことのために使えばいいよね。と思う。