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Twitterでも何でもいいんだが、強い言葉というのがあって、その強い、というのはべつにいい意味ではないというかむしろ困る意味だけど、ようするになんか攻撃的なそれだ。そこではまたいくつか種類があっていつもそうなのか、それともそのケースにおいてのみそうなのか、とかもあるけどいずれにせよ共通するのは、それはまさか目の前に相手がいてがっつり聞かれているとは想定されてもいないからこそ言えることだってことがある。
強固な壁になにかしら自分の影響を刻みたい、もしくはとりあえず倒しとく、動かしときたい、的なことを思えば、やはり重い一撃を加えないことには仕方がない、と思うのが普通であって、だからグイっと強いチカラをかけるわけだが相手が重くも強くもないものだったら、え、どうしてそんな思いきりやるの? と思われてあたりまえだ。あるいは届かないと思っていた相手に届けるためにありったけのチカラをもってボールを投げるのと、目の前の人にホイとそれを放るのとではかかるボールの勢いはまったく違う。100メートル先の目標に向かって投げたつもりのボールがすぐ目の前の人のかおにあたってしまったら、ぶつけられた方はどんなに痛いだろうと思うが、ネットでは往々にしてそういうことがあるし、とくにTwitterでわかりやすく生じるのもそれだ。実際には、ネット上で書かれた悪口を本人が目にするなんてことはずっと昔からあったに決まっているしそれがなんか見えやすくなった、という程度のことだろうけど、リプライが、あるいは非公式RTによって発言元にメンションが届いているにもかかわらず、本人から突っ込みがあって初めて「反応があるとは思わなかったので」なんて動揺して謝罪すらできないなんてケースはいくらでも目にするし、あさはかだな、とはたしかに思うが同時にでもぼくもよくそうだなとは思う。
それを少し引き延ばして考えれば、こいつは悪いやつなんだからこのぐらい叩いてもいいだろう、と思われるときがあり、しかし相手がそう思ったような意味では悪いやつでなかったら「悪いやつだと設定されたがゆえに繰り出された強い叩き」はどう正当化されるのか。まあされるわけがない。とそこまで考えて、ではしかし、強く叩いてもいいほどの悪いことというのはどのように固定化・正当化されるのか。結局、そんなことそうそうなくて大抵たんにそう思ってる人の思い込みにすぎない、ということは言えるかもしれない。思い込みだから間違っているということじゃなくて、しかし思い込みの上にしか立ちようがない仮の正当性じゃないかってこと。ということはやっぱり大抵の場合「こいつはこれだけ悪いやつなんで、普通なら絶対こんな強くは叩かないけど今回に限っては思いきりやりますので」なんてことはやっぱり難しいかもとか。