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テレビやUstでちらっと見ただけの仕分けのやつ、すごすぎる。とにかく仕分けている人が。
仕分けられてる方もすごいし大変だとは思うけど、やはりさばいてる側が尊敬にあたいする。
上手く十全に分けられないとか妥当な判断ができてないとか、当たり前じゃんと思う。しかし彼らは顔を出して名前を出して、ダメなときは彼ら自身がダメなのだとまったく言い訳できない立場においてそれをやってる。それをどうして悪くいえよう。至らない点があれば一緒に直していったら皆のメリットだろう基本。あの場にいてあのようなこと、してられるだろうか自分、と思う。あれは凄い。
とにかくその取り組みをはじめたのが特筆にあたいする。ダメなところを見てから脳内で補完するなら誰でもできるというか無意味に近い。思いきりすっ転んでから改善していけるかどうかが大事でそれ以上にすっ転べる最初の機会を作っていることを認めるべきだ。
あれは凄い、あれをやるのが当たり前だが当たり前にはできない。それをやっている。着地した結論が今は間違っていても届いていなくても方向は間違っていない、というか他の方法や方向があったとしてもだからといってあれが間違っている、ということにはならない。それは両立共存十分しうる。
ほとんど同じ目的に向かっているはずが、自らを否定されたかのように悪くいうのは自分の首をしめるようなものだ。さばく側に基礎知識がない、という指摘は仕分け作業に対する本質的な批判にはならない。それを含めた仕分けができるはずだし別に意義が矛盾するわけではない。
もしわずかであれそこに意義を見いだせるならダメな点を改善案として教えてあげてより妥当な方法を考えればいいしそんな余地もないほどダメならそれを指摘すればまた事態が改善されるかもしれない。そのどちらでもないならこのままだろう。

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ところで同件、スーパーコンピュータにかける費用を削られたとかって仕分けしてる人を非難してるあれがありますけど、相手を納得させることができるだけの論理的な説明をできなかった側の責任もセットで言及されるべき。セットで言及できるだけの材料は公開の場でのやり取りってかたちで供されているわけだから。
もちろん、聞き手にそれを理解するだけの素地がなければいくら説明してもムダということがあるのはそうだがそれって「いつか雨が降る」ってぐらい避けられない事態。積極的に受け入れて飲みこんで進むまではずっとそのまま。誰もがいつもスーパーコンピュータのことを考えているわけではないしそのような世界をよくするためのスーパーコンピュータだろう。むしろこれまでそういう納得があった上での予算だったのかの方がよほど疑問というか問題。やり取りの不備を誰もが検証できる今回の機会の方が、これまでの予算決定の場よりはるかに「科学的」なのは誰もが認めざるを得ないはず。これはつまり、目の前の仕分けする人だけを納得させることができれば(クリアできれば)それで済む、というわけではないことを示してもいる。テレビとかUstの前にいる、「なんでこれがOKなん??」という人、なんにもわかってないおれのような人にもその意義をある程度伝えられるようにしないといけないって意味で厳しくも妥当な方法だろう。