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ここ数ヵ月いを痛めるように進めてきた作業が終わったに近い感じでまだ終わってないのだが、それに近い状況になってメンバーとガッチリ握手!はさすがに恥ずかしくて(いろんな意味で)しなかったけどやった、死ぬ前に終わったこれきた、と思ったその感じ、喉元すぎれば熱さ忘れる的なそれ。また忘れて安請け合いするんだろ俺。やだなあ。ずっと、「今日校了」が続けばいいのに。追いつめて、これ以上逃げられませんので。みたいなところに詰むまでにどれだけかかるのか時間と集中力。もう次の仕事はつねにないと思っていて、だからいつも余生だしいつも余力で泳いでいるに近い。ゴールが数十センチずつ伸びて、なんだもうちょっとだから頑張るわってやっているだけだ。大丈夫だ、もう次はない。すぐ消えますから損はありません、という連続。僕がいなくても次世代の似たような人が頑張るだろう。いまは出来ることを出来るよりちょっとだけ頑張るだけ。時間がちょっとだけあるんですよ、だからやっといてくださいよ、ともうひとりに言われやっている。さまざまな方向からひっくり返ったり後ろ向きになったりしながら対象を見て自分も笑っている。音楽にあわせて僕(たち)は踊っている。それが好きなのだ。同日にふたつ校了とかどうなのか。これからscholaのドビュッシーのフライヤーを詰めていくところ。idea満載。しかしどうなのかね現実。わからないな、僕が死んだ後に読まれ聴かれることをしか考えていなかったがそれって怠慢なのか!という気もする。しかし僕・・・足が動いているのはあと何日か、先はない、諦めている。きっとその前に、すべてわかって泣いて後悔するだろう。わかってる、しかし逃げられない。たのしく踊る。同じ場所にはいろんな意味でいられない。体が散って消えるイメージを持っている。木製の大きく重いバットをスイングして、その体を強打してそれに見合う人だと。9月からはさらに本番。scholaもCDも出る。CD?そう、CD。書店さんだけではなくCD屋さんとも最近よく話す。素晴らしい演奏家の方とも。オール知らないことだ。迷惑をかけている。消えてしまいたいと思う必要なく消えるから心配するなと。あと何秒つづいてほしいかこの時間。