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昔あった、いまでもよく思い出す示唆的な話で、バイト先でうっそうとしたもの凄いヤブのある一帯を数人で掃除することになって、メンバーのひとりの女の子が、なかでもとくにひどい、「ここ掃除とか無理だろ人間では」という未開の地を開拓するような大変な場所にあたってしまって、まあ僕は僕でほかの未開の地を開拓していたわけだが、それで休憩になって(その休憩までが異常に長く感じられるんだが)、「どのぐらい進んだ?」とかみんなで聞き合ったりするわけだが、誰もがもうそのときばかりはゲンナリして集団ウツみたいになっているんだが、そこで監督官みたいな人が回ってきて、上記の女の子に「どう?」みたいなこと聞いたら一気に決壊したように「それがどんだけ大変でつらいか」ということを言い、そんな風には普段あまりならない子だったので、「へえ・・」って感じだったのだが、それを聞いてその監督官が「はあ、そんなに? じゃあ見てくるけど」って見に行って、帰ってきて「あんなの、大したことないじゃん」って言ったわけだが、当たり前のようにその子は「んなもん、アタシがそこまで掃除したからだろーが」と、さらにいろいろなったりしたわけだが、たしかに、「どれだけひどいA」が、「どれだけ大したことないB」に変化したのか、というその差分を見られないことには、その子もその監督官も、自分の感じたことを普通に言うことしかできない。しかし人間には想像力というあれがあるわけで、やっぱりそこは、僕としては非常にその女の子に共感するところではあるし、いまやってることがまさにそれ。その、大半の掃除を終えた段階を見て、そこから、そこに足りないものをあれこれ知ったように言うのは、あまりにも何というか、誰でもできるよ、という感じではあり、まあ、とはいえその段階に至る努力なり我慢なり作業なりというのもまた、誰にでもできるわけなのだが、だけどやっぱり、その下地的な作業というのは、あとの作業を行なうためには必須の、その後の作業をある種ラクにする一手でもあって、その点においては意味があるだろうし、というか誰かの役にはきっと立っていると想像しようと思えばできるし、というかそれだけがよりどころ、という部分もあって、しかしそういう作業というのは論理的に考えてやっぱり、その方が大変、なんて言っても同義反復で、ということはまた同時に論理的に考えて、その大変さはわかりづらい。海を見たことがない人に海を説明するぐらい難しい。赤色のない世界で赤色を知らせるぐらいというか。だから、だから何なのかっていうこともないのだが、やっぱり、快適に歩ける道があるのはそういう道路を作ってくれた人がいるからだし、何しろ靴や服が一応あるのもそういうのを作ってくれてる人がいるからで、そういうのがあって当たり前ってことで自覚なく威張ったりするのは、自分も含めて許せないなってこと。まあだから、許せないからどうするのかって言うと、べつにそれもないのだが、それを俺は許せないんだよ、と思うことで、なんかマシになるという気もしている。