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いそがしい。しかし今日の夕方からやるはずだったmtgが明日に延びてそのぶん資料の内容をさらに詰めることができて幸運だった・・。
しばらく思い返していたのは、遠慮とか自粛的なこと。僕は怒られたり責められたりするのが大層こわいので、基本的に冒険しない派なのだが、それで損するのって誰だ・・・?とか思うと、まあ責められてもそれが本当にやりたいならやってもいいのでは、と思うこともある。かといってもちろん、自分のやりたいことが時には誰かにとって本当に迷惑なことだってあるだろうから(その可能性が0%なわけない)、なんだってやっていいとは言えないし言いたくもない。そこはやっぱり「どっちもある」としかいかないのだろう。だけど自粛しすぎでは、ということの方がやっぱり自覚的には多い気もする。本当は?本当にそれでいいの?と自分にはよくゆう。人に何か勧めたり、頼んだりするときには、それほどはあつかましくはしてないというか、意識してるかぎりは意識してるが、自分にはある程度しつこく言う。僕が人から見て恥ずかしいことをしているとき、「見てて恥ずかしくなるからやめてくださいよ」という迷惑のかけ方もあるだろうか?・・・そんな、ひますぎる。どう考えても僕のことなんかあきらめてほしい。では僕自身にとってそれはどんなにつらい状況だろうか・・・?よくよく考えれば、僕が「あいつ恥ずかしいやつだな〜」って言われるような状況があって、そのとき迷惑をこうむっているのは、迷惑をこうむっていると思い込んでいる僕だけではないだろうか。そのときに、それが本当に僕のやりたいことっぽいことなら、それ以上に重視されることとして、「オレ、ばかにされてるわあ・・・」というつらさがあるって言えるだろうか?他人に痛みを与えているならそれはほとんど最重視されないとマズい気がするけど、痛いのが僕だけなら、そのためにやめるべきこととはどんなことなのか?
他人に期待してる。大変してる。だけど前提にはしない(ようにしてる)。自分に期待してない。だけど、他人にやってもらうよりは自分でやった方が気分的には何百倍もラクだ。