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数ヶ月ぶりのペン大今夜。しかし数ヶ月ぶりであるがゆえに資料がまったく見つからへん。楽譜、ノート、その他諸々。手ぶら・・・か?
昨日は行けるかどうか直前になって若干微妙になってふわ、行けないかも、と思ったが、昼間から整理券の件も含め行った渋谷O-WESTでの岸野さんの投げ銭ライブ。ウリチパン郡の1曲目を聴いて、ああ、来てよかった、と思った。相対性のセッティング中の吉田アミさんの選曲が素晴らしかった。相対性はもの凄く好きだった、演奏時の楽器隊の並び方とか演奏中の、そこにあらわれている要素の「これだけだよ」と言うような残っているものの感じ、それだけ、を僕も求めていたがそれに辿りつかないまま死んじゃうかもしれないそれ、を最初から信じて守っているその感じは途方もなく大変なことだろうと想像し、こりゃ遠くまで飛ぶぞと思った。センスという言葉ではきっとこぼれるものが多すぎる、あるいは多く言葉をついでもそれにだけは触れられない、というような、すぐ足下にあるのに見えない届かない触りづらいものとの時間を含めた経験だそれは。地獄先生、、。七尾さんのスウィンギングDJは相当素晴らしかった。僕は七尾さんの『雨に撃たえば...!disc2』を発売当時に買って以前一度新宿ロフトにライブ観に行ったりしたこともあったけどまさか岸野さんとつながっておられたとは思わなかった。本当に楽しかった。凄い、凄いな、と思った。感動した。七尾さんの作品がかつて私に教えてくれたことは、自分の指先のわずかな動き、ひと振りが、それ以外の世界のすべてに影響を与えうる、関係し合っているのだ、という生きていることの壮大さとその圧倒的な現前性(たしかにそれがそこにある、という)で、それはOK、生きてて大丈夫、という肯定そのものでもあったが、それは現在にあっても容赦なく有機的に有効な説だった。ワッツタワーズを見るのは3度めだったが、これまでからさらにがっつり更新されていて感動やたのしみや嬉しさと同時に驚いた。まったく驚いた。次々に繰り出される、たしか聴いたことがあるはずだった曲目が今そのもの、となって生きている。岸野さんの歌っているのか喋っているのか、の動き、プレイスタイルというか、の感じがいつだったかラッパーで詩人の志人さんのパフォーマンスとつながって見えると本かな、書いたけど、またちょっとそういうもう見方では面白味を欠いた言い方になっているというか、そうじゃなくてポップなのだと、そしてちょっとすぐにはわからないって意味での前衛でもあるかもしれないが、誤解を怖れつつさらに言えばロックなのだと、しかしそういった言葉に置き換えるのも大きな意味はない、置き換えられた言葉によって意味の有無も変わるだろうけどロックかどうかは意味はなくて、新しかったし今だったしとがっていて乾いていて豊潤で、熱くて、曲が素晴らしくて最後の最後まで満足するステージだった。これは凄い、これは凄い、と思って「メーンバー♪」と私も歌ったよ小さく。フライヤーを取りに行く時間がなかったので部屋にあった厚紙などにアナウンスを全文書き写してその他いろいろ書き足して自作フライヤーとして提出したのだが2点間違えて、DJのお二人のお名前をきちんと入れそびれてしまったことと、それが展示されている様子をうっかり確認し忘れた。自作フライヤーといえば家で作れるだろうと思って作り始めたが時間が足らず行きの電車の中で続きを作っていたら事故で本格的に止まってしまい、しばらくその止まった車内で書いていたがあまりに本格的な止まり方だったので振り替え輸送バスというのに乗るために駅を出てまったくアナウンスや誘導のいたらないその駅、またバス停、においてほとんどパニック状態の皆の衆とともに不安と猜疑心に襲われながら長い時間行列に並んだりしながらさらに続きを書いたその様子を記してみたりもした。バスに無料で乗ったのはこれまでの人生で初めてだったしその時に思ったのは普段と違う状況に投げ込まれた人間はいつでもその体験の初心者、素人なわけで、それ以外の慣習に沿った行動をしている時のような行動はできない、というかしようとするのがおかしいのだということで、そのときにできる・するべき振る舞いは素人ができる中での最善策なのではないか、ということだ。振り替え輸送バスにどのように並ぶべきか、といったセオリーやマナーの講習がどこかで行われているわけではない、それをその都度自分の中で新しく開講する必要がある気がする。フライヤーのバックアップは会場手前のファミマでとったがその内容は会場に来られた方と今それをどなたがお持ちかはわからないけど関係各位に宛てたものとしたい。しかしいずれにせよ電車のおかげで予定よりずっと遅れて会場についたため整理券、どうなるかと思ったけどなんとか取れて、がんばって生きるというのは前提的には受け入れられないが現在進行形的にはそれを受け入れた方がもしかするとよっぽどラクなのかもしれず、だからやっているのだと思う。諦めたり甘んじたりするのは予定として設定することは悪くない感じだがその場になってみるとかなりつらいものがあるから、我慢を受け入れられない気性の私としてはよりラクな方へ行くために大変なことをしている気がしている