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いや、、一日作業&連絡関係。
以前、もうメールはむりやわ、みたいなことを思っていて今もけっこうそうだけど、だいぶ馴れてきたな、メール。だんだん何というか、諦めがついてきたというのか。
俺主導のプロジェクトなんてありっこないし。そもそもこの世界ですとか私の体もべつに選んでそれなわけではないわけで、その中である程度、やっていくことは受け入れる、というのがある意味では生きるということでもあり、まあ変えれる部分は変えるということもしつつだけど、前提としてはそれは「どっちもあり」(どっちかだけではない)という感じの方がいろいろ楽しいというかラクかもしれない。

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あとはいま一番楽しいのは仕事ですよ。作業というのかな。僕は一番好きなことというのは、人には言うほどのことではないというかむしろ言うべきではない、ようするに普通の人間と同じかと思いますが、だから好きなことなんて出来ないですよ、したらいろいろマズいというかな、だからそれとはべつに、楽しいことって何? といったら、好きなこととは別にっていう前提ならやっぱりこの、仕事というか作業というか、ですね。まあ大変ではあるが、だんだん何というか、馴れてきた、早い話が。それで、つらさが、その質というか種類かな、変わってきた。なるほどこうした方が、こうなるのかも・・・といったことが徐々に積もってきたというか。あとはまあ、今やらせてもらっていることが、おそらくは幸運にも、自分の性格というか「こういうのが好き」みたいなことと少なからず相性がいいのかもしれない、とも思うけど。
まあ、面白くて身が震えるほど、というのではないけど、まあ、そういうのも嘘っぽいし、この程度だよ、しかし、だから、といった感じもある。いや、そういう言い方ではないとも思えるけど、まあ、だから諦めているというか。
仕事、といえば当たり前のようにキリというのは、ある意味ではついていくけどある意味ではまったくつかない。普通に、来年まで。スッキリとかしないねー。いんだけど。「わ!おわった!」とかさ、全然ないね。仏革だって、「おわったー!」とかいまだに思ってないし、、仏革といえばこのまえ、今年読んだ何冊、とかに挙げてくださっている方がいてありがたかったー嬉しかったなあ。まあ年々、そういった人が一人また一人と、増えていったら嬉しいんだけど。それは、大人数になることが嬉しいのではなくて、そういう一人、という人が増えていく、ということが嬉しい、ということでかなり違うのだけど。
仏革本が出たのは今年の3月ですか。ものすげーー昔のようだな、というのがじつは実感です。その刊行から今までに、10年分ぐらい色々あって年もとって、という気が凄くするんですよ。こないだ大谷さんとチラッと話したときも、たしか大谷さんもそう言われていた気がするな。(逆だっけ?いや、逆じゃないと思う。)一回地面が割れて、それがまた戻ったぐらいの永い時間が経ったようなそんな気がするよ。しかし実際には9ヶ月ですよ、イベントとかもやったなー、お金払うイベントで人前で喋るとか誰!という感じだけど、あれはかなり大きな意味が、自分の中ではあった気がするけど全然、にもかかわらずその時ですら、またそれからいくら時間が経っても、「大きな意味があったなー」とか思えないので意味などなかったのかもしれん。いや、あったのだが。けっこう普通に喋りましたよねー、にもかかわらず。
明日はなんだっけ、なんだ、えー、まあ色々あるんだな、まったく新しい予定は入れられません。たぶん来年も似たようなものだろうなあ、打ち合せが普通に年末に入ってますからなー、年末が10月4日ぐらいに終わってそれから新年が始まっているのではないか、というぐらい素(す)で作業が流れていくもんなー、別の言葉、文化、国、の中でその、それなりの新たな別の風習や戒律があってそれにそって生きているような。それを望んでもいるのだが。