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これまでも何度か、何かの検索の果てに見にいったことのあったBushdogさんのはてなで、先日千駄ヶ谷のループラインで行われた、徳永/吉村/大谷トリオ・ライブのレポがあり、それをBushdogさんから下記エントリーへのコメントにてお知らせ頂いたので、さっそく拝読しにいって、レスしました。
http://d.hatena.ne.jp/Bushdog/20071017/p2(ライブレポ)
http://d.hatena.ne.jp/note103/20071008/p1#c(コメント欄)

ライブの後半ではどうやら、吉村さんが一音も(というか)出さなかったらしい、ということは吉村さんのブログで読んでいて、ただそれを、観た人がどう思っていたのか、あるいはテキストに残すときにどう言うのか、というのを知らなかったのでそれも含めて興味深かった。

演奏者が、その意図をブログ等で述べて、演奏を観た人も自分の意見や感想や考察を述べて、その違いやズレが面白いなーというのはまずフツウに思うのだけど、これで仮に、吉村さんが何も、これについて言わない/書かない、ということになったらどうかな、とちょっと思った。
で、それはそれで良いと思うけど、やっぱり今回のようにある意味比べるというか、繋がりはあってもなくても並べて語ることができる、読むことができる、というのは、個人的にはその方が面白いというか、有機的な刺激、楽しみ、みたいのがあっていいなー、と思った。

もう一つ、とりあえずライブなどの、現場でのプレイヤーによるアクションがあって、それを観客があとからブログなどで描写して、さらに感想や考察を加える、という3つの段階があった時に、そうした観客各人による考察(3段階目)が面白かったり独自だったりするのはわかっていたのだが、その前の段階というのか、「こんなことがありました」という、(あえて言えば)たんなる伝達記事(2段階目)でも、やはりそれ自体が批評になりうるというか、書く人の視点が出るんだなーと思った。