103

 そっくりもぐらさんのところで前田/江原話がウケる!とか思ってたら最近あれー、これあらし?と思ってた書き込みがだんだんひどくなっていて、これが普通のスパムだったら、つまりどこにでも無作為・無差別に投げ込まれるものだったらまだいいんだけど(よくもないけど)、明らかにその掲示板の読み手に向けられた書き込みでそれは、しかしながら掲示板の形式というかあり方上、それもまあ仕方ないというかナンなんだけど、問題なのは僕がその掲示板をアンテナとかRSSに入れていて、つまり更新のたびにお知らせが飛んでくるようにしていたので、そうするとそのあらし書き込みがあるたびに目に入って不快になるということがあって、アンテナとかRSSからは外した。
 サイトのトップページ(http://f37.aaa.livedoor.jp/~skmogura/index.html)はお気に入りにあるし、そっくりもぐらさんとのお付き合いがなくなるわけでもないからそれはそれでいいんだけど(よくもないんだが)、まさかあの掲示板をはてなアンテナから外すことになろうとは。というか、これまでそういう発想をしたことがなかったっていう方が驚きなぐらいあの掲示板をチェックするっていうのは日常の一部だった。
 このところ僕は優しく、優しくってそればっかりあちこちで言っている。優しさは、多くの問題に汎用できる一つの大きな答えだ。芸術よりも強い。芸術は弱いが優しさは強い。だからって芸術がいらないのじゃなくて、弱いから優しさの強さで芸術を成就させなくちゃならない。優しさにはきっとそれができる。でも優しさは日常に溶けてすぐ薄まって消える。当たり前すぎて目の前で散っていく。だから「なんか足りないな」と思ったらそれは優しさのことだろう。
 では、寂しくて暴力的な輩に僕は優しくするべきだろうか。相手になってやるべきだろうか。僕はそうは思わない。付き合って疲弊する関係なら、付き合わない方がいいと思う。無自覚に繰り出される暴力や、無邪気な悪意の攻撃は、たいそう相手を疲れさせる。僕が大事にしているものを、それと知らずに、僕の気を引くために奪ったり壊したりする奴がいる。時間を忘れて作り上げた荘厳な砂の城を、満面の笑みで蹴飛ばして破壊する子どもがいる。奪われたものは大事なもので、それが失われるなんて思ってもみなかったから僕はそれに傷つくし、取り返そうともする。でも僕が何を大事にしているかをわからない奴にかける言語は僕にはない。僕の言葉は全部、別の意味に変換されて届いてしまうのだ。そういう時は、距離を取る。大事なものはたぶん、またどっかに別の形で埋もれている。たぶん僕が思うようにそれを大事に思っているのは僕だけで、それに近い形でそれを大事にしている他の人と繋がる余地はまだこれまでと同様、ちゃんと残されている。
 奪われた大事なものを取り返したい、とか、あるいは奪ったそいつに負けたくない、とか思えば思うほど、そのわからない人と僕との付き合いはつづく。そいつの吐き出す息を僕が吸い込まなければいけないぐらい近い場所に、僕は居なくてはならなくなる。それはさすがにいやだ。負けたっていい。そこでいう「負け」は、相手の言語における負け、つまり無限にある考え方の内のたった一つの世界観における、僕の負けっぷりを示すものでしかないとも言える。あげっちゃうしかないね。離れよう。思うのだが、その人は僕が大事にしているそれが欲しくて奪ったわけじゃあ必ずしもない。そっくりもぐらさんの書き込みや、格闘技やファッションについて、僕にとってはまるで外国語のように奏でられる対話を僕は好きだったけど、それ自体が永遠に奪われたわけではない。