103

選挙を前に(1)

参院選がだいぶ近づいてきて、最寄の掲示板にも候補者のポスターが揃ってきた。

ぼくはこれまで、記憶にあるかぎり自民・公明以外の党に投票し続けてきたが、今回は自民党寄りの検討になりそうだなあ、と考えている。

選挙区のほうは人によって(主張の内容によって)検討するから、一概に何党とは言えないが、比例区に関してはやはり党名で考えることになる。

自民党に対するネガティブなイメージとしては、やはり安保法制の暴力的な進め方に尽きるだろう。
また、憲法改正にかかわる議論の最中に出てきた、「働かざるもの食うべからず」的な、職のない人を人として見ないような差別的態度があることも無視できない。

ついでに言うと、安倍首相の野党議員に対する答弁に見られる、攻撃的な様子にもまったく好感を持てない。

しかし一方で、自民・公明党政権になって以降、社会がまともに機能している雰囲気もけっこうあると感じる。

もちろん解決すべき問題はまだまだ山積みだが、それでも地味な取り組みが一つ一つ進んでいるような感覚がある。

何より、今回の18歳選挙権の実現には驚いた。自民党などはむしろ、以前から「高齢者層の支持に支えられている」と言われてきたわけで、その論理で言えば、若者の票数を増やすということは自分たちの首を絞めるようなものだろう。

これを肯定的に評価する声があまり聞かれないことは不思議だが、個人的には現与党の実行力と革新性を象徴する出来事だと感じている。

一方の野党側について、民進党が生まれたときには、「おお、これはアメリカにおける民主党のような、革新的で現実的な希望を訴える党になるかな」と素朴に期待したものだったけど、どうもそういう感じでもない。

政権をいつでも代わりに担えるほどの強力な野党があれば心強いし、それを期待しているが、今の民進党の主張というのは与党がいかに駄目か、という話がほとんどで、代わりにどうしたいのか、ということがわかりづらい。

これまで独裁的とも言えるほど長期間にわたって政権を担当してきた自民党と同等のことを、民進党がすぐにやれると思っているわけではないし、そうなるにはそれだけ長期にわたって政権を担っていく必要があるだろうから、個人的に民進党に求めるのは「建設的な提案」であり、簡単に言えば「夢」を見せてほしい。

しかし実際にはそういうことではなく、「ほら、あっちは駄目でしょう」と言っているだけのように思われ、「まあ、たしかに駄目かもしれないけど、他に選択肢がないような……」という感じになっている。

また個人的には、少し前に舛添氏を攻撃し続けた議員が民進党などの野党中心であったことも支持しづらい理由になっている。

舛添氏はたしかに褒められないことをしたが、かといってまた50億円もかけて選挙をし直さなければならないほどの過失とは思えなかった。

しかし都議会で行われたのは、他の煮詰めるべき議論を脇に置いて舛添氏を追い込むことばかりで、この人々の目的は一体なんなのか? と絶望的な気持ちになった。

だからと言って与党なら期待できるという話にはならないが、少なくともそうした野党に対して期待を持てなくなった、という話。

ぼくは政治家を馬鹿にする気持ちを、少なくとも前提的には持っていない。

上記のように絶望的な気分を味わうこともあるが、それはそれだけの理由があってのことで、初めから政治家は駄目だと考えているわけではない。

むしろこんなに責任が重く、日々ハードに取り組まなければならない仕事を自らやろうとしている人々を尊敬しているし、できれば社会全体がそのように、「政治家を尊敬する」ことを前提にしてほしいとも思う。

しかし周りを見渡せば、どうも「政治家」といえば「悪い人」みたいな、「ラクをして金儲けをしている人」みたいな見方が蔓延しているようで、これでは有能な若者が「将来、政治家になろう!」とは到底思えないし、そうなれば政治家になるのはよほどの変わり者か、それほど能力のない人々になってしまう。

社会を変えるには、「政治家はわるいひと」みたいな単純な思い込みから離れ、誰が何をしたから悪いのか、誰がどんな有意義なことをしたのか、一つ一つ吟味し、評価していくことが必要だと感じる。

政治家とは特定の領域に関する専門職であって、その政治家が扱う対象には我々国民も含まれるのだから、我々が適切なフィードバックをして、政治家を育てながら、ともに社会を作っていく必要があると思う。

上で、民進党などには「夢」を見せてほしいと書いたが、以前の民主党政権における鳩山・菅・野田内閣には、それをやろうとする感じがあった。

結果的には震災などもあり、充分な土台ができる前に終わってしまったが、もっと実力を蓄えられるだけの期間、政権を担当していれば、やがて退くとしてもその経験が日本の政治全体を強くしたのではないかと思わずにいられない。
しかし実際には、民主党政権を生み出したはずの有権者の多くが早々に見切りをつけてしまい、最も得るものが少ない交代の仕方だったのではないかと感じている。

議会そっちのけで舛添氏の糾弾に走った人々を残念に思った、と書いたが、もう一つ印象的な出来事で、以前におおさか維新の議員が、憲法改正の議論の中で自民党に協力する、という旨の話をしながら、その理由として「政治家の一番の目的は後世に名前を残すことだから」と言っていたので驚いた。

政治家の目的は社会を良くすることであって、自分の名前を残すことだとは思っていなかった。

歴史に名を残すことは目的ではなく結果であり、それが目的になると「手段は問わない」ことになってしまうと思うのだが……。

これについては、残念を通り越して「怖い」と思った。
そしてそのような政党と協力する与党もまた「怖い」わけで、なかなか結論は出しづらい。

今回は原発も消費税も争点にはなりづらいと感じる。
あえて言えば、経済ということになるだろうが(我々はより豊かに、食べるものや住むところに不自由せずに暮らしていけるか? みたいな)、それにしても、どうも曖昧に感じられる。
結局のところ、この「人」や「党」に自分たちの未来を託せるか、つまりその人たちと一緒に未来を作っていきたいか、ということを考えることになるだろうか。

その際には、それらの人や党がどの程度専門的な知識や実績を持っているのか、つまり具体的な将来性を持っているのか、ということを吟味することになるだろう。

ぼくは政治家はべつに「いい人」じゃなくてもいいと思っている。それよりも国民を高い確率で豊かにし、外国とも円滑な関係を作っていける専門家集団を求めている。

もう「戦いのための戦い」のような不毛な議論で貴重な人生を費やしたくない。
我々全員の幸福を目指せるような、意味のある検討を行いたいし、行ってほしい。

続編。
note103.hatenablog.com