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失敗という御馳走を食べずに捨ててきた

先日、会社の社長がTwitterでRTしていたので知った以下の記事。

simplearchitect.hatenablog.com

すさまじく、すさまじかった。すごい記事。去年も含めてベスト記事。

以前にこのような感覚を覚えたのは以下の記事で、

gihyo.jp

たしか2015年の年末にこれを読んで、今年読んだすべての記事の中でベストだ、と感じたのを思い出したぐらいだから、3年以上ぶりぐらいのそういう、あれだった。

ストーリーについて詳しい解説はしないけれど、とにかく驚いたのは、そこで示される「日本人的な考え方」というもの。それはぼくそのものであり、ぼくをずっと覆い続けてきたものでもあった。

というか、それが普通で、常識で、それが世界、それが人生というものなんだと思っていたけど、そうではなかった、それはあくまで、いろんな価値観や考え方がある中のほんの一部に過ぎなかったんだ・・と相対化されてしまった、そのことに驚いた。

ああ、なんということだ。ぼくはずっと、失敗を恐れ続けてきた。いや、というより、失敗の存在をそもそも見ないように、感じないように、知り得ないように、してきたのだった。そんなものはない、目に入らない、自分の世界にはないものなのだ、と・・。

失敗とは悪いものだと思ってきた。いやそうは言っても、ぼく自身は今まで、リスクをそれなりに取ってきたじゃないか、と言い張る自分もまたぼくの中にはあるけれど、全然そんなことはない、ずっと避けてきた、ずっとやっぱり、失敗なんて無きものなんだと、思おうとしてきたのだと、その記事を読んで初めて(たぶん初めて)わかった。

失敗は、本当は必要なものだった。人生にとって、楽しい人生にとって、豊かで、かけがえのない人生を得るために、絶対に必要なものだったんだと、その記事を読んで初めて思った。知らなかった。ああ、なんてことだ。ぼくはそれを知らなかった。目の前にある、膨大な量の、大変な重さのそれらを、それと知らずに、そんなに大事で貴重なものだとは知らずに、全部捨ててきた。見もしなかった、触りもしなかった、ましてや、絶対に口に入れたりはしなかった。それはかけがえのない、人生を豊かにしてくれる御馳走だったのに。

失敗をしなければ、成功もなかった。それを知らなかった。失敗とは劇場の入り口のモギリのようなものだった。モギリにチケットを切ってもらわなければ、劇場には入れなかったのに、モギリが嫌だからって劇場に入ることを拒んでいた、その中で行われているものを見もしない、聞きもしない、いやそもそもその中で行われていることを知ろうともしなかった。馬鹿なことをした。その向こうに人生があったのに、それをまったく、知りもしなかった。

ぼくは自分がリスクを取っていると思っていた。果敢に失敗を取りに行っていると思っていた。でもそんなことはなかった。ぼくが自ら向かっていった失敗はほんのわずかなものに過ぎなくて、実際にはその何十倍、何百倍もの失敗を事前に恐れ、避けてきた。ああ、馬鹿なことをした。

目の前には、皿に盛られた大量の御馳走があった。それはエネルギーの源で、それは食べ物で、ぼくはそれを食べなければ「生きる」ことができなかったのに、食べなかった、食べずに、全部そのままゴミ箱に捨てていた。

馬鹿なことをした。貴重な人生を捨ててきた。人生は失敗の向こうにあった。にもかかわらず、ぼくは向こうに行かなかった。失敗が怖かったからだ。人生は失敗とともにあったし、楽しさも面白さも豊かさも幸福も全部失敗とともにあったのに、失敗が嫌だからってそれらを全部捨ててきた。ああ、なんてことだ。馬鹿なことをした。ああ、どうしてそんなことを、でも、それに気がつくことができた。その記事はとんでもなく大切な話だった、それを読むことができた、長い記事だったが、途中で読むのをやめなくてよかった、43から44になろうとしている今、それに気づくことができた。人生はまだ終わっておらず、終わる前に気づくことができた、間に合った、もう間に合わないと思ったときにはまだ間に合っているのだと思っていたが、それだった、まだ間に合った、まだ失敗できる。多くの御馳走を捨ててきたが、まだ目の前にはそれが残っている。あと何年生きられるかはわからないが、ぼくの前にはまだそれが残っていて、それを食べることができる、今までそれが食べられるものだなんて知らなかった、だから捨ててきた、でもようやく今までずっと何も食べずにいた人生から、好きなだけそれを食べられる人生になる。

失敗は人生そのもので、いわゆる成功も幸福も、楽しみも喜びも何もかも、それと一緒にあった、それを知らなかったが、それをもう知った。もっと失敗しなきゃいけない。それは入り口にすぎない、失敗とともにその向こうに行ければ、その向こうにあるものにようやく触れられるだろう。

岸野雄一プレゼンツ毎年恒例新春オープン・プライス・コンサートに行ってきた(ワッツタワーズ/イ・ラン/VIDEOTAPEMUSIC)

すでに半月以上経ってしまいましたが、1/11金曜日、渋谷のO-WESTで行われた岸野雄一さんのライブイベント「オープン・プライス・コンサート」に行ってきました。

岸野さんによるイベント前夜のツイートはこちら。

こちらのイベント、タイトルにもありますように毎年恒例で、なぜ1月11日なのかと言ったら岸野さんの誕生日なんですね〜。岸野さん、あらためましてお誕生日おめでとうございます!

ライブの出演者&DJは以下の方々でした。

ワッツタワーズ/イ・ラン/VIDEOTAPE MUSIC
DJ:岸野雄一、パク・ダハム

以下、感想を記録します。

目次

開場

18時半の開場と同時に始まったDJはパク・ダハムさんで、韓国ではレーベル運営やイベント・オーガナイズなどもしている方だそうです。後述のイ・ランさんを発掘(?)したのもこの方。

ぼくはどのタイミングだったか、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」のカバーが流れてきたのをうっとり聴いていて、あとでご本人とちょっと喋る機会があったのでその話をしたら、どこだったか、アジアのミュージシャンによるカバーだったそうで、「アジアの音楽が好きなんですよね」と素敵な笑顔で言っていました。

話を戻すと、入場後はとりあえずドリンクを交換して、そのまま2階席に行って、初めの2組は2階で座って聴きました。

VIDEOTAPEMUSIC

最初はVIDEOTAPEMUSICで、とても良かったですね。古い映画を字幕付きで見せながら、ある種それとコラボするように音楽を展開していくという。

20代の半ばから後半ぐらい、モラトリアムな気分でじわじわ内心焦りながらも、だらしなくレンタルの映画をただ眺めていた感覚を少し思い出しました。映像も音楽も字幕もぜんぶ目に入ってるんだけど、頭の中では別のことを考えていたその感覚。

VIDEOさん(略称)の音楽はその映像や音や字幕たちがどれも不可分で、映像に導かれるように演奏が流れては演奏に従うように映像が流れて、その絡まり方が不思議でありまた魅力でした。

曲も良かったです。山田参助さんが1曲だけ登場したのも印象的でしたが、とくに最後の2曲? だったか、女子のグループが車に同乗してだらだら歌ってる(なんとかスランバーという)曲、それから最後の、タイトルはフィクション・ゴーンズと聞こえましたが、年配の人たちが楽しそうに踊っている映像のリピート、まるで天国のようですごく良かったです。

イ・ラン

2組めはイ・ランさん。チェロのイ・ヘジさんとのステージで、曲によってみんとりさんやイトケンさんや海藻姉妹の人たちが一緒に演奏していました。

1曲めがたぶん「神様ごっこ」という曲で、それで一気に「なるほどこういう感じか」と全部伝わってくる感じがありました。チェロが入っていたせいか、「誰々みたいな曲」という既存のイメージがあまり浮かばなくて、それに加えて歌詞も内容がちょっと変わっているので目が離せなかったです。

その歌詞、ずっと歌に同期する感じで日本語訳がバックのスクリーンに流れ続けていて、それが良かったですね。歌やパフォーマンスを全然邪魔しないで、でもはっきり内容は読めるという感じで。今までああいう演出のステージを見たことがないのですが、歌詞の内容がわかると受け取れる情報が格段に増えるので、コレ他でもやってほしいなあと思いました。

イ・ランさんは見た目というか佇まいがめっちゃカッコよくて、たしかMCの中で「この衣装は昨日無印で買った」と言ってましたが、「無印にそんなカッコいい服売ってるんかい!」と思うぐらいカッコよかったです。

曲としては「患難の時代」がとくに印象に残っています。最後から2番めの「イムジン河」も良かったですね。「イムジン河水清く〜」の「水」が「ミジュ」と聴こえましたが、これがとても歌の魅力を増しているように感じました。

最後の柴田聡子さんとの「ランナウェイ」という曲(だと思いますが)、マジ最高でした。なんだこれ〜と思いながら最初から最後までずっと酔っ払ったように聴きました。曲も演奏も良かった・・。これは2月に音源がリリースされるようなのでマストバイします。

ランさんと柴田さんといえば、この記事がとても良かったです。2016年の記事ですが、昨日こんな話をしていたと言われても信じるぐらい、こんな感じのステージでした。

mikiki.tokyo.jp

ワッツタワーズ

トリはもちろんのワッツタワーズです。これはスタンディングで見ないと。と思って階段を降りて、前の方に行ったらDJが岸野さんで、そのまま振り付きの歌謡曲DJを楽しみました。しかし気がつくと曲は「ボヘミアン・ラプソディ」になっていて、そのまま岸野さんはステージに移動して、バンドも入ってきて、レコードだったはずの曲がバンド演奏に変わっていて、そのようにしてワッツタワーズのステージが始まりました。

ぼくが初めてワッツタワーズのライブを見たのは2006年でした。そのときのことをブログに書いています。1月12日、ライブ翌日の日付です。

このライブを観に行ったのは、たぶん前年の7月から始まった大谷能生さんのマンスリー・イベント「大谷能生フランス革命」にぼくが半分スタッフ、半分お客さんのような感じで通っていて、その第4回(2005年11月)のゲストとして岸野さんがいらしたことがきっかけだったと思います。

(のちにそのイベントを書籍化したもの。ぼくにとって初めての共編著であり、初めて関わった商業出版物でもありました)

そのフランス革命の帰り道、会場の渋谷アップリンクから駅へ向かう間に岸野さんと少し話すことができて、ぼくはその頃、菊地成孔さんのペン大(音楽私塾)に通っていたのでその話をしたら、だったら映画美学校の菊地クラスの生徒と一緒に何かやってみたら? 場所は美学校の空いてる教室を使っていいよ、という感じのことを言ってもらって、それ以降岸野さんにはいろんな場面でいろんなかたちでずーっとお世話になっています。

2009年

次にぼくがこの新春ライブに行ったのは3年後の2009年で、このときは七尾旅人さんと相対性理論が出ていました。

■OUTONEDISC PRESENTS「FUCK AND THE TOWN」

出演
・WATTS TOWERS(岸野雄一/宮崎貴士/岡村みどり/近藤研二/栗原正己/イトケン/JON(犬)/ヘルモソ)
相対性理論
・ウリチパン郡

DJ
吉田アミ
・SINGING dj 寿子(七尾旅人
・Thomas Kyhn Rovsing (from Denmark)

この回はさっきより力のこもった感想ブログを書いています。

正直、めちゃくちゃ読みづらい上にかなり感傷的な文章なので、ここで紹介するのはウルトラ恥ずかしいですが、まあ当時をこんな風に振り返る機会は二度とない気もするので、勢いで並べておきます。

しかし今思い出しても、このときの七尾旅人さんはすごくすごーく良かったです。ぼくは2階で見ていましたが、これは1階でスタンディングで見てたほうが楽しかっただろうなあ・・と今でも少し後悔します。

とはいえ、このときって相対性理論がブレイクしたちょうどその瞬間みたいなタイミングで、とにかくお客さんがめちゃめちゃ入ってたんですよね・・たぶん岸野さんから相対性理論へのオファーはブレイク前で、それがライブ本番の直前ぐらいでブレイクしてしまって、「え、今このタイミングで相対性理論のライブが見れるの?」っていう状況でこのライブがあったものだからえらい数の人が詰めかけた・・という印象があります。

*いまWikipediaを見たらアルバム『ハイファイ新書』がこのライブのわずか4日前に出ていたようです。
*実際、この日の相対性理論のライブ評はけっこう多かった気も。

なので、その意味では1階で見るという選択肢はあまりなかったのですよね・・。

2012年

次に観に行ったのは、その3年後の2012年でした。

出演
・ワッツタワーズ
岸野雄一(Vo) / 岡村みどり(Key) / 宮崎貴士(G) / 近藤研二(G) / 栗原正己(B) / イトケン(Dr) / JON(犬)/ ヘルモソ(ウサギ))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

戸川純
戸川純(Vo) / 中原信雄(B) / デニス・ガン(G) / ライオン・メリィ(Key) / 矢壁アツノブ(Dr))

・Alfred Beach Sandal
http://youtu.be/lyYvWA_CrWY

・シークレットゲスト ミニライブ:R&R Brothers (ex- Halfnelson)

このときは戸川純さんが出ていましたね。シークレットゲストはスパークスのお二人でした。

Alfred Beach Sandalもすごく良くて、物販でCDを買いました。

しかしこの年はブログを書いていないようです・・なぜだろう?

2013年

翌年も行きました。

OUT ONE DISC presents 「君ともう一段階仲良くなりたいと僕は考えている」

出演
ワッツタワーズ
岸野雄一(Vo) / 岡村みどり(Key) / 宮崎貴士(G) / 近藤研二(G) / 栗原正己(B) / イトケン(Dr) / JON(犬))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

チャン・ギハと顔たち
http://youtu.be/uJf-1Iv16y8

スカート
http://youtu.be/62XacXQlZug

DJ
馬場正道

この年は珍しくトリがゲストのチャン・ギハと顔たちで、ワッツは2番手でした。

最初のスカートも良かったです。終演後に会場の外に出たら、澤部さんがちょうど機材を車に積んでいたので「よかったです」と声をかけた記憶があります。

物販ではチャン・ギハのCDを買いました。

さて、この年にはライブとは別に印象的なことがあって、それは打上げに参加させてもらったことでした。

そしてこの2013年1月11日は、テレビ版scholaの「映画音楽編」の第1回が放送された日でもありました。

しかもその放送がちょうどライブの終演後、出演者やスタッフが打上げ会場に集まった頃に始まるというすごいタイミングで、あれはスクリーンだったか会場の壁だったか、とにかく大きな画面にEテレが映し出されて、皆で岸野さん(のヒゲの未亡人)が坂本さんと喋りながら映画音楽の解説をしているのを見ていました。

ぼくが岸野さんにその番組の元となる企画、CDブック版のscholaに参加してくださるよう連絡をしたのは、いま手元の記録を見てみたら、2011年11月11日でした。偶然ですが、これはぼくが生きている中で一番「1」が並ぶ日です。

その制作は同年末から徐々に本格化して、CDブックは翌2012年4月に校了、5月末に発売されました。

同書には岸野さんと坂本さんを含む座談会の採録記事(テレビとは別に行ったもの)の他、岸野さんの書き下ろし原稿(収録曲に関する解説)もたくさん掲載されています。これは自慢ですが、その原稿はぼくが編集したんです。岸野さんの原稿を編集する日が来るなんて!

想像もしなかった出来事が次々と実現していました。打上げ会場で見たEテレは、その象徴のような番組でした。

2014年

次にワッツタワーズを見たのは2014年でした。

■恒例・新春オープンプライス・コンサート「エンドロールはNG集!」

出演
ワッツタワーズ (岸野雄一/宮崎貴士/岡村みどり/近藤研二/栗原正己/イトケン/JON(犬))
http://youtu.be/h4udQ_THlS0

No Lie-Sense (鈴木慶一+KERA
http://youtu.be/ZZWnNdho950

ケバブジョンソン
https://soundcloud.com/kebabjohnson/hotpark

DJ
安田謙一 / 川西卓

この年にもブログを書いています。

note103.hatenablog.com

いま読み直して思い出しましたが、この2週間前に大瀧詠一さんが亡くなりました。今だからこんな風に書けますが、本当に大きなショックを受けました。まだそこから抜けきれていない感じが行間から少し感じられます。

その中にも書いたとおり、この年のことでよく覚えているのは、最後のDJタイム安田謙一さんが歌った松崎しげるの「銀河特急」です。めちゃめちゃ良くて、そのときの情景を今でも思い出せます。安田さんはフロアで歌った後、ターンテーブルまで戻って、マイクで「岸野くん! 長生きしようね!」と言っていました。

2019年

そんな楽しさのかたまりのようなイベントでしたが、それから4回分、期間にして丸5年、ぼくはそこから遠ざかっていました。

2014年の1月、安田さんの歌を聴いたすぐ後から、ぼくはscholaの第14巻「日本の伝統音楽」の制作を本格化しましたが、それまで約4年にわたって二人三脚でscholaを作ってきたスタッフF氏が別部署へ異動してしまい、なおかつ同巻は後にも先にもこれ以上ないぐらい作業量が多い巻だったので、このときからぼくはschola以外のことは全部後回しにして、1秒でも余裕があったらとりあえずscholaを作る、という感じになっていました。

とにかく締切りに間に合わない、ということが怖くて仕方なかったんですね。

年末年始は他のスタッフや関係者が皆休んでいるので、遅れを取り戻せる貴重な期間でした。毎年1/11はその集中作業の熱が冷めておらず、そのまま作業を続ける、みたいな感じだったと思います。

でも、そんなscholaも去年の春に発売された第17巻をもって退任することになり、11月からは43歳にして初めての会社員になりました。じつのところ、この年末も普通に編集仕事をしていましたが(フリーの時代に請けていたもの)、それでもscholaの時代に比べれば作業量はずいぶん少なくて、今年はようやく行ける! と思って行ったのが今年のライブでした。

ボヘミアン・ラプソディ」が終わり、いつものオープニングの曲が始まるのと同時に気がついたのは、ギターが宮崎貴士さんではなかったことでした。前回見たとき(2014年)まではずっと宮崎さんだったので、少し意外というか、びっくりしました。でもたしか、平日はお仕事との兼ね合いがあると聞いた気もするので、もしそうなのだとしたら、来年の1/11は土曜なので参加されるでしょうか・・。いずれにしても、またの機会に宮崎さんの演奏を見られることを楽しみにしています。

今回のワッツタワーズの曲目は、すぐに浮かぶところで「歌にしてみれば」「ブリガドーン」「正しい数の数え方」「ミュージックマシーン」「友達になる?」「犬とオトナゲ」「メンバーズ」などなど、いつもの素晴らしい名曲たちでした。

それから、最後の「メンバーズ」のひとつ前の静かな曲、曲名はわかりませんでしたが、たぶん初めて聴いた気がします。これもすごく良い曲でした。

「メンバーズ」の導入部分では、イ・ランさんと岸野さんの即興的な、語りと歌が混ざりながら寄せては返す掛け合いが良かったです。ランさんは必要な音をサッと取りながらけっこうすごい声量で歌うので、まるで何かの楽器で音を出しているかのような安定感というか、安心感がありましたが、全部その場であの気の利いた言葉ごと生成して出力してるんだから驚きです(それも日本語で!)。時に岸野さんが引っ張って、時にランさんが引き戻すようなその駆け引きはとても見応えがありました。

あとは岸野さんの「みんな今日からここで一緒に暮らしましょう!」も聞けましたし(すごい好き)、最後の「君たちがワッツタワーズだ!」も聞けて最高でした。

終演後、パク・ダハムさんのDJを聴きながら物販でイ・ランさんのCDRを1枚買いました。最後に支払うライブのお代は、7,000円にしました。

scholaの編集をしていた頃、「これは何百年も残る仕事だから、自分は重い責任を背負ってるし、全力を注がなきゃいけないし、そうするだけの価値もやり甲斐もある」と思っていました。

だから1秒でも余裕があれば、その時間を原稿の読み直しや書き直しに使っていました。

でも会社員になって、そういう時間の使い方をする必要はなくなりました。会社では決められた時間に最大限のパフォーマンスを出しきることが重要で、それができなければ時間外にいくら頑張っても貢献度は低く、非効率だからです。

これからぼくは、休憩時間や休日には積極的に仕事以外のことをして、その度合いは日を追うごとに増すことになると思います。そうなれば、こうしたライブにももっと参加できるようになるでしょう。

考えてみれば、ぼくが最初にワッツタワーズを見た2006年は、まだscholaはおろか、上記の「フランス革命」すら作り始めていない、まったく何者でもない状態でした。

まあ今だって、それほどの者ではないですが、でもscholaをやる前の自分がscholaをやった後の自分になって、何というか、ちょっと1周したかなという感覚があります。

次の1周には何があるでしょうか? 何をするでしょうか? ワクワクします。そんな年の始まりを、ワッツタワーズのライブとともに迎えられたことを幸運に思います。

嫉妬をこじらせない

以前から、同世代か年下の世代の人たちが活躍するのを見るたびに、自分が無価値な存在であるように感じられてしまって、その感覚を嫉妬と呼んでいた。

嫉妬はあまり愉快な感覚ではないから、自然に「嫉妬は良くないな」と思ってもいたけれど、これを完全に排除するのも難しいよな、と最近では思っている。

誰か自分より優れた(ように見える)活躍をしている人がいた時、自分が惨めに思えるのは、その相手と自分とを比較しているからで、つまり嫉妬は「比較」から生じていると言えるだろう。

となれば、嫉妬を排除するには比較を排除しなければならないことになるが、比較を排除するということは、「世界記録を1秒でも更新したい」とか、「昨日の自分より少しでもマシでありたい」みたいな向上心をも排除することになってしまう。

向上と比較は不可分で、となれば向上心と嫉妬心もまた不可分というか、それはコインの裏表のように、同じ現象が持つ別の側面なのだと思えてくる。

同世代や年下の人たちに嫉妬を感じるのは、それが自分との比較対象になりやすいからだろう。逆に、年上やそもそも能力がかけ離れたような人に嫉妬を感じないのは、比較対象として認識しづらいからだろう。

(百歳の人の気持ちを想像できなかったり、メジャーリーガーが自分より野球が上手くても当たり前だと思えたり)

嫉妬をこじらせる、という表現が世の中にあるかどうかは知らないが、そのように言える状況があるとしたら、それは「自分の中に生じた嫉妬を認めない」みたいなことだろう。

自分の中に嫉妬が生じたことを認めないということは、実際には自分にそのように感じさせた他人の能力の高さを(あるいは自分がそう認識したことを)認めないということになるけれど、そのようにしても自分の中の不愉快な感情は解消されず、滞留したままだから、その解消のために相手をおとしめるような言動に至る、というパターンがあるように思える。

何かと何かを比較しなければ向上を図ることは難しい。その向上心や比較能力のいわば副作用のようなものとして、嫉妬という現象があるのだと思える。

現実的に困った現象が生じるのは、だから嫉妬という感情自体が原因なのではなくて、嫉妬を隠そう、誤魔化そうとすることに起因するのではないかと思っている。

時々Twitterを見ていると、若く才能ある女性が心ない言葉を浴びせられていたりして、多くの場合それを言っているのは男性だったりするのだけど、ああ、これは嫉妬を受け入れられず、不適切な形で解消しようとしているのだな、と思ったりする。

ちなみに、前提となる概念にズレがあると話が適切に伝わらないので、一応ここで念頭に置いている「嫉妬」を定義しておくと、Macのデフォルト辞書の「嫉妬」の項目に書かれている以下で大体一致している。

【嫉妬】
① 人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また,その気持ち。特に,男女間の感情についていう。やきもち。「―心」「夫の愛人に―する」
② すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。「友の才能に―をおぼえる」

しかしこの2番の説明、普通に読むとあまり説明になっていないというか、「じゃあ、〈ねたみ〉って何?」という感じなので、「ねたみ」を同辞書で引くとこうなる。

【ねたみ】
① 他人の幸福や長所がうらやましくて,憎らしいと思う。「仲間の出世を―・む」
② 腹を立てる。くやしく思う。

これも今回念頭に置いている「嫉妬」の内容とほぼ一致していると思う。

commmons: schola を卒業します

2008年9月に発売された第1巻「J・S・バッハ」から、今年3月に発売された第17巻「ロマン派音楽」まで、10年にわたり携わってきました坂本龍一さんのCDブック音楽全集『commmons: schola(コモンズ・スコラ)』の編集担当をこのたび退任することになりました。

今までお世話になりましたスタッフの皆さん、坂本さんをはじめとするコアメンバーの皆さん、各巻のゲストの皆さん、執筆家・アドバイザーとして関わってくださった専門家の皆さん、デザイナーの中島英樹さん、第1巻から13巻まで校正を担当してくださったアサヒエディグラフィさん、第14巻『日本の伝統音楽』以降の校正を担当してくださったキモト読物工舎さん、印刷会社のプロストさん、音楽業界では異例とも言える、会社同士の枠を越えて音源や資料の提供にご尽力くださったレコード会社各社の皆さん、そしてぼくをこのプロジェクトに呼んでくださった後藤繁雄さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

読者の皆さんにも感謝しています。ぼくがscholaを作るときに考えていたのは、いつも読者のことでした。

なにしろ税別で8,500円の商品です。17巻に至っては、2枚組ということもあって税込みで1万円を超えてしまいました。これだけのお金があったら、他にもできることがたくさんありますよね。でも、それをせずにscholaを買ってくれた読者の皆さん。中には、1巻からすべて揃えてくれている人もいます。

ぼくは、そういう人たちを大切にしなければならないと思ってきました。それは義務を負うような感覚ではなく、この人たちを大切にしないでいられるわけがないという、「当たり前に大切なのだ」という感覚でした。

お金を払うということは、命を削る行為だと思います。上にも書いたとおり、そのお金でご飯や着る物を買うこともできるわけですから。その大切な元手を使って、scholaを買ってくれる人たちがいました。
そのような人たちのために、ぼくが自分の使命として考えていたのは、次のようなことでした。

  • 坂本さんの濃度を、坂本さんと読者の間に入る自分が薄めないこと。
  • 坂本さんが心から良いと思うものを作ること。

ぼくは坂本さんが満足するものを作りたいと思っていました。それはもちろん、坂本さんのためになることであり、坂本さんのためにやることでもありましたが、でも本当に大事な目的はその向こうにあって、読者が喜ぶのはそういうものであるはずだから、だからこそ、それを作らなければならないと思っていました。

「坂本さんが心から良いと思うもの」は、坂本さんに喜んでもらえるだけでなく、読者に喜んでもらえるものになると思っていました。ここで言う「読者」には、今を生きる人たちだけでなく、これから生まれてくる人たちも含まれます。その新しい人たちは、今とは違う価値観や、社会の空気の中でscholaに触れるでしょう。今を生きる人にも、未来を生きる人にも届くコンテンツを作るためには、ただひたすら、坂本さんが「良い」と思うものを作ることに集中するしかないと思っていました。

結果は……どうだったでしょうか。わからないですね。もちろん、たくさんの時間や労力を注いできましたが、どこまで限界に近づけたのか、どれだけ突き詰めて作業をできたのかといえば、確たる自信はありません。

でも、手は抜きませんでした。「もっと誠実に作れたかもしれない」とは、少なくとも今のところ、どの巻に対しても思っていません。もっと良いものはできたかもしれないけれど、それは自分が担当している間はできなかっただろうと思っています。

commmons: scholaは、現在も制作が続いています。ぼくの後任は決まっていて、すでにバリバリ制作に入っています。後任はすごいです。こういうときには、前任者が「後任は自分よりすごい」と言うのが常ですが、本当にぼくよりすごいです。18巻以降、scholaのクオリティは必ず今までのそれを超えます。

退任の理由について、どう書いたらいいか、いま手を止めて少し考えましたが、「一身上の都合」と言うのが一番適切かもしれません。様々なタイミングが合ったのだと思います。「17巻で交代」と言うとめちゃくちゃ中途半端に聞こえますが、「10年」と言えばこの上なくキリが良いようにも感じられます。

任を離れるにあたって、「卒業」と表現するのはいかがなものか? と少しは思いました。それってなんだか、現場の大変な部分を誤魔化したり、美化したりしているようではないか? と。でも、scholaは「音楽の学校」ですし、ぼく自身にとってもやはり「音楽の学校」でした。

scholaの仕事をしていなければ知りえなかったこと、出会うはずもなかった人たちとたくさん出会いました。知らないジャンル、知らない時代、知らない地域、知らない人々による演奏や録音、文献に触れ続けた10年でした。それもこれも、まずは何よりも先に坂本さんのフィルターを通した候補曲や話題があって、そこから始まる音楽の旅でしたから、いつもこの上なく効率が良かったですし、しかし1ミリ先には常に知らないものが待っているという、猛烈にタフで、刺激的な旅でもありました。知らないことに触れ続け、音楽を通して人や自然を学び続けた10年でした。そんな学びの場から離れるわけですから、やはり「卒業」で良いのでしょう。

11月からは、今までとは異なる環境で、次の活動をスタートします。これについては、またアナウンスをします。

これからのscholaを楽しみにしていてください。これまでのscholaがなければ実現しなかった、でもこれまでのscholaでは見ることができなかった、新しい世界への入り口が示されるはずです。ぼくも楽しみにしています。

commmons:schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

多数派は奪われる

時々読み返している森博嗣さんの日記本で、以下のような文章に出くわした。

セクハラが話題になるごとに感じますが、森よりも上の世代は、やはり子供のときからの環境がどっぷりセクハラ社会だったために、よほど意識が高くないかぎり、ほとんど罪悪感を持っていない、という人が多いようです。口では「最近はセクハラになるからね」と言って苦笑し、でも心の中では、「何が悪いんだ?」と反発しているわけです。たとえば、小学校のときには、スカートめくりなんてものが普通に行われていた社会でした。「短いスカートを穿く方が悪い」「女性だって喜んでいるはずだ」と本気で信じている世代なのです。それを怒る女性を、変人のように見てしまうわけです。
(略)
男女平等などの流れで、「女性ばかりを優遇しすぎではないのか? それでは平等ではない」と反発する声もあるのですが、これは、これまでの歴史を知らない発言だと言われてもしかたがないでしょう。つまり、それくらい女性を優遇する仕組みを押し出しても、まだまだ平等ではない、という歴史です。真っ直ぐ走るためには、ハンドルを真っ直ぐにすれば良いわけですが、今まで右に進んでいたら、左にハンドルを切らないと真っ直ぐにはなりませんからね。
(略)
テレビなどで男性のタレントが、なにげなく話している内容、ちょっとふざけたときに出る言葉、そして態度などに、ときどきもの凄く不快なものがあって、それらは、たいてい上記の「勘違い世代」に根ざした「無意識」です。そういった世代に育てられて、同様の感覚を持たされた若者もいることでしょう。テレビ局はよくああいったものを電波に乗せるな、と思います。おそらく見ている人の大半が、その世代なのでしょう。結局はジェネレーションが変わるまで待たないといけない、のかもしれません。特に悲観的になっているのではなく、言いたいことは、「昔は風紀が乱れていたな」ということです。
(※太字は原文ママ/2001年12月27日の日記より)

ハンドルの喩えはとてもわかりやすい。明快にして適切。自分の中でも感じていた、でもうまく表現できていなかった現象をあっさり言い当てていて、やはり森さんはすごいなと思わされた。

とくに悲観的になっているわけではない、という部分にも共感する。現状を肯定するわけではないけれど、少しずつ良くなってきていることは確かだと思える。

少し似た話で、以前にTwitterで見た以下の表現もこの辺の状況をうまく言い当てている、と思った。

2ページ目にある、ピラミッド型の図説は上記のハンドルの喩えとつながるところがある。

自分なりの言い方でこういった現象を説明すると、「多数派はつねに奪われる」ということになる。

多数派に所属する人は、多数派ゆえの優遇を受けていながら、自分が優遇を受けているとは認識していない(または認識しづらい)。だから、その優遇が抱えている不当さを解消しようという動きが始まると、「すでに平等であるはずなのに、なぜ自分だけが利益を奪われるのだ?」と反発してしまうのではないか、と想像している。

客観的に見れば、「いや、あなたはこれまでわけもなく優遇されていたのであって、それを平等に戻すのだよ」ということになるのだけど、優遇を受けている側からすれば、自分が優遇されているという感覚は持っていないし、社会はすでに「平等」になっている。

タバコの問題にはそれが象徴的に表れている。

受動喫煙を減らそうとか、路上喫煙はやめましょうとか言っても、昔はどこでも気にせず吸える方が「普通」だったわけで、普通のことができなくなれば、その普通による利を享受していた人にとっては、自分が「普通よりマイナス」の環境に追いやられたと感じても不思議はない。

夫婦別氏制度の議論についても似た状況があると感じている。客観的に考えれば、見ず知らずの夫婦が異なる氏(姓)を名乗ろうともそれで不利益を被る人などいないように思えるけれど、夫婦であれば誰もが同じ姓を名乗ることが普通だった社会で長く過ごし、その一員であった人の中には、その「普通」を構成するメンバーが減ることに不安を感じる人もいるかもしれない。よその夫婦が異なる氏(姓)を名乗ることに反対するのは、その「多数派であるところの自分を支えていた状況」が崩れることへの不安が作用しているのではないかと思っている。

しかしながら、いずれにしても、多数派とは物事を任意の範囲で切り取ったときに生まれる暫定的な割合のことであって、もともと不変のものではないだろう。人々の嗜好(指向)や傾向、属性といったものは細かく見ていけば必ずどこかズレているはずで*1、そのズレを「大体同じ」と見るか「全然違う」と見るかの問題であるとも思える。

ちょっとのズレを「いいじゃん、同じで」とひっくるめれば多数派が形成され、その中でもとくにその特性にフィットする人は優遇を受けられるが、「違うんだけどなあ・・」と感じる人は不利益を被ることになる。

逆に、そのちょっとのズレに注目して、違いを価値としてアピールしたり、そこにビジネスチャンスを見出したりする人が増えると、多数派は多数派を保持することが難しくなるかもしれない。そして基本的には、人の指向や傾向といったものは細分化されていくものだと思える。件のタバコにしても、ぼくが子供の頃にはそれほど選択肢はなかった。ハイライトならハイライトだけ。マルボロならマルボロだけ。それが次第に、同じブランドでもマイルド系、ライト系などちょっと軽めのものが出てきて、やがてウルトラマイルド、スーパーライト、3ミリ、1ミリ・・どこまで刻んでいくのかと思っていた。

「大体同じ」から「細分化」への動きはおそらく止められない。人間が自らの快適さのためにそれを求めている。そして細分化されるごとに新たな多数派が生まれ、その多数派はまた奪われる。

*1:同じ人間ですら、時間が経てばかつて好きだったものを嫌いになったり、その逆になったりする。