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Twitterとタバコ

  • 近所に最近できたラーメン屋、店員がしょっちゅう外に出てタバコ休憩を取っている。
  • 1本吸って(時には携帯で喋りながら)、終わったら足元に捨ててつぶして店に戻る。
    • 自分の店の前なのに! ポイ捨て!
    • むしろ感心する。
  • 今どき、あそこまでタバコ依存の雰囲気を漂わす人めずらしいな・・と思っていたけど(しかもけっこう若い。せいぜい30代)、ふとそこで思ったのは、僕を含む多くの人が、仕事中にも関わらずポイポイTwitterに投稿している姿である。
  • そのタバコ休憩の人は、きっと店がちょっとヒマになるたびに、同僚に「ちょっとタバコ吸ってくる」と言って店を出てくるのだろう。
  • ラーメン屋でなくても、たとえば外回りのサラリーマンとか、あるいは事務職の人でも、「1本だけ吸ってから次行きます」みたいな感じのことが少なくないんじゃないか、と思う。
    • 実際そういう場面に遭遇したことが何度かある。
  • ぼくはタバコは吸わないし、自分がそういうことをしているとは思っていなかったが、しかし普段コンピュータを使って仕事をしている最中に、「あ、ちょっと思いついたことあるから一瞬ツイートしてくる」みたいなこととか、あるいは自分がツイートしなくても「んー、ちょっと煮詰まったから一瞬タイムライン見てくる」みたいになることは多々ある。
  • それって、まるっきり「ちょっと1本だけ吸ってきます」みたいな感じである。
  • ここに書いたこととも繋がるが

忙しい(はずの)人たちがその一方でボンボンTwitterに投稿しているの、投稿することによって脳内に何か快楽物質みたいなもの(アルコールとか麻薬みたいなやつ)が出ているからだと思うんだけど、そういう研究をしている人っているのだろうか。

  • やっぱりそれって、一言で言って依存ということなのだろう。
  • 今たまたま読んでいる『習慣の力』という本があるのだけど、そこではタバコ依存について、ニコチン自体の依存性というのはけっして高いものではなく(何日だったか、それほど多くない日数で抜ける)、しかし「これを吸えばあんな気持ちになれる」という、「報酬をもらった記憶・感覚」が習慣として体に染みついてしまっているから、そこから抜けるのが大変、みたいな感じで書いてあった。
  • Twitterにもやはり、そういう「ツイートすることによって得られるスッキリ感」というか、脳の報酬系を刺激するものがあって、それを求めて仕事中でも「ちょっと一服」という感じでやってしまうのかな、と思った。
    • この時の「報酬系」というのは、いいねやリプライのようなわかりやすいフィードバックもそうだけど、たぶんそれだけではなくて、それまで自分の頭の中だけにあった発想が外部にリリースされることによって、ある種の安心感というか、それが人類の歴史の一部に刻まれることでささやかな達成感のようなものが得られる、ということもあるのではないかと思っている。
    • その「明快な反応があるわけでもないけど確かに人類の記録として刻まれる感」みたいなことは、ココにも書いたけど、ようは

TLに流れてしまうということは、「べつにそれを見ようと思っていたわけではない人」の眼前にも強制的に置かれてしまう

  • という、その「強制性」とも言えるTwitterの性質が、地味ながら結果的にけっこうな影響を与えているのではないかと思いもする。
  • Twitterはだから、現代のタバコみたいなものと言えるだろう。

習慣の力 The Power of Habit (講談社+α文庫)

習慣の力 The Power of Habit (講談社+α文庫)

てにをはの混乱=視点の混乱

  • 意味のわかりづらい文章のいくつかは「てにをは」で失敗しているだけではないか、とふと思った。
  • 「てにをは」が間違ってる、というのはどういう状況かと考えると、主語が無秩序にコロコロ入れ替わってしまう、ということではないかとこれまたふと思った。
  • 主語が変わると、「てにをは」も変わるし、能動・受動も変わってしまう。
    • 私は手紙を受け取った。→OK
    • 手紙は私に受け取られた。→まあOK
    • 私は手紙に受け取った。→NG
  • 主語が変わるということは、ある状況を描写する際の「視点」というか、何を中心にその現象を描くか(筆者が何に関心を持ちながらその現象を描くか)、という意味での「話の重心」とも言えるものが変わるということでもある。
  • で、その視点とか重心とかをなかば無意識のうちにコロコロ替えてしまいながら(コントロールできないまま)、対象を描写する人というのがいるように思える。
  • 上記のとおり、視点が変われば主語も変わり、必然的に「てにをは」も適切に変換していかなければならないが、それはなかなか面倒というか、煩雑な操作を必要とすることだから、それが追いつかないままリリースされた文章が読みづらくなりがち、ということではないかと思った。
  • 逆に言うと、そのあたりの秩序をある程度保ちながら書かれた文章は読みやすい、ということかもしれない。
  • あるいは、そうした「視点」や「話の重心」が変わったときに、変わったよ、と読者に明示している文章が読みやすい、ということかもしれないが。

片岡義男「ボーイフレンド・ジャケット」

  • 片岡義男さんの「ボーイフレンド・ジャケット」を少し読み返していた。
    • 小説にかぎらず、片岡さんの文章はむちゃくちゃ読みやすい。べつに砕けた喋り方とか口語体とかを使っているわけではなく、どちらかといえばむしろまどろっこしいような、冗長とも言えそうな「〜なのですけど」みたいな言い回しの方が多く感じられるが、論理が綺麗に流れているので、読んでいてギモンが生じない。
    • あれ、この作者は結局なにを言いたいんだ? という無用な迷路にはまらずに済む。
    • 作者が赤と言いたいのでも黒と言いたいのでもよくて、あるいは「自分でもよくわからないんだ」と言いたいのでも構わないのだけど、作者が本来言いたいことを自分で言えてない(黒と言いたいのだけど読者に伝わらない)、みたいな文章は読んでいてけっこう困る。というか、時間が無駄になりやすい。
    • 片岡さんの文章は読んでいてそういう感じにならない。
      • 片岡さんが実際に何を言いたいかはもちろんぼくにはわからない(あるいは読み終えるまで何とも言えない)のだけど、「これ、どういう意味だろう」みたいに思うことがほとんどない。
    • 逆に、「何を言いたいのかよくわからない文章」がなぜ生まれてしまうのかと考えると、たぶん「言いたいこと」や「伝えたいイメージ」というのが強すぎて、それをうまく表現できないまま、うまく表現できていないことを修正しきることなく公開してしまうからではないか、と思える。
      • だとすれば、その気持ちというか状況はよくわかるし、というかぼく自身そういうことはよくある。
    • 片岡さんの場合は、そういう「伝えたいイメージ」のようなものを文章で言い当てる技術が大変高いか、上記のような混乱を上手く収められるまで公開しないか、その両方か、あるいはそのどれとも関係ないのか、どうなんだろう。
  • そうした技術的(?)なことだけでなく、特徴的だと思えるのは、登場人物に紋切り型の性格の人が出てこない、というのがあると思う。
    • 単純な悪者や、正義の人はおらず、出てくる人はみな「自分なりの」考えとかスタイルとかを持っている。
    • いや、それではうまく言い当てられていない。
    • ここで言いたいのは、ほとんどそういう人だけで物語が構成されている、ということだ。
    • 片岡さんの書くものにかぎらず、面白い小説にはどれも魅力的な登場人物が出てくるものだけど、同時に大抵の小説には、読者に憤りや不安を与えるような「悪者」とか、その場限りの脇役などが出てきて、それらがなんというか、読者の想定どおりに動いたり喋ったりしてしまうことが少なくない。
      • 読者の想定通りに動いたり喋ったりするというのはどういうことかというと、他の作品で誰かのやったり言ったりしたことをそのまま使ってしまう、みたいなことで、それ自体の良し悪しよりも、「こういうキャラクターはこういう場面でこういうことを言うだろう」みたいな、『型』から出ない人物であることに問題がある。
      • それの何が問題なのかというと、そこで登場する悪役なり脇役というのは、あくまで「悪役が必要だから」という理由で出てきただけのことで、その悪役が「人間」として扱われていない(描写されていない)ことに問題がある。
    • 悪役が必要だから「悪役っぽいやつ」を出す。あるいはただ偶然そこを通りがかかって、ふとその後の展開を大きく変えるヒントになりそうな一言だけを呟く脇役がほしくなったから「毒にも薬にもならない脇役っぽいやつ」を出す。
      • どこかで見たようなキャラクターが、どこかで見たようなセリフを言う。
    • こういうことをしていると、読者は作品世界から簡単に脱出できてしまう。
    • 片岡さんの作品の中には、そういう登場人物はほとんど(あるいは多分まったく)出てこない。
    • そこには、その作品世界への通行許可証を持った人だけが出てくる。
      • 普段、他の作家の作品に出入りしているようなキャラクターは、そこへ入ってはこれない。
    • と同時に、その人物たちはどこまでもリアルであるように思える。べつに荒唐無稽な、非現実的な人ばかりというわけではない。
      • すぐ隣、電車でシートに座ったらたまたま隣りに座ったその人かもしれない、というような人が出てくる。
  • そして、さらに言えることとして、片岡さんの作品に出てくる登場人物というのは、単に「紋切り型のことを言わない」というだけではなく、すでに登場人物どうしで同じコンテキストを共有している、というようなところがある。
    • 個人的には、その点こそが片岡さんの作品の大きな特徴であるように感じられる。
    • そこで言う「コンテキスト」というのは、文脈とか前提とか言うこともできるが、より言葉を費やして言うと、そのそれぞれの人が人生を生きる上で大事にしていることが同じというか、似ているというか、近いということを指している。
    • 片岡さんの作品の中では、登場人物が皆同じものを人生を生きる上で大切にしている。
    • 一方、現実世界では、むしろそれらをすり合わせることにこそ多くの時間や労力を費やすことになるわけで、その作品の中で実現している世界、行為、会話は、まるで夢のようだ。
      • つまり、それは夢のようだからこそ、現実世界の中で読んで面白いし、現実を忘れられるし、しかし登場する人たちそれ自体は上記のとおり、どこにでもいそうな、もしかしたら自分もそうあることができるかもしれない人たちだから、本を閉じたらなんとなく気分がリフレッシュされて、もう少し頑張るかみたいになりやすいのかもしれない。
    • 本を読んでいる間、現実逃避できるというのは大切なことだ。
      • 昔、中島らもの本を読んでいたら、アントナン・アルトーの引用だったか、
      • > 詩は歴史に対して垂直に立つ
      • みたいなことを言っていた記憶があるのだけど、そこで言う「歴史」はここで言う「現実」であり、「詩」はここで言う片岡さんの作品なのだろうと思う。

kataokayoshio.com

空目の報告はしなくていい

  • 自分の言った何か(おもにTwitterの投稿)について、「**に空目した」と言われてもなんと答えたらいいんだかわからない。
  • その人に悪気はないだろうし、その人を嫌いなわけでもないのだけど(というかそのようにやり取りできる相手なら基本好感を持っている間柄なわけだけど)、それだけはちょっと、やめてほしいと思う。
  • 元の投稿内容に関する意見であれば、肯定でも否定でも、自分の発した意見というか、投稿を読んだ上でのアクションだからいずれにしてもありがたいと思えるのだが、その人が「空目」した何かというのは、その人が関心を持っている何かであり、またそれをわざわざ報告してくるということは、その人が面白いと思った(そしてそれを伝えたいと思った)何かであって、ということは、元のぼくの投稿とはとりあえず「関係ない」。
  • 単に関係ないことを言うだけならまだしも、その「関係ない」ことは、「元の投稿を受けて」という体をとっているから、必然的に「元の投稿の存在意義をわざわざ無視あるいは否定した上で」投げかけられる「新たな」「関係ない」情報である。
  • 「いやいや、空目というのは、まったく無関係というわけではなくて共通点もあるんだよ、だから伝えたいんだよ」と思う人もいるかもしれないが、「空目」というのは、「元の言葉」と「元の言葉と見た目は近いけど別の意味を指す言葉」との間に生じた「面白い(とその人が思っている)関係」に関する観点なのであって、元の投稿それ自体がもっている論理や価値を尊重したものではまったくない。
  • 上記の通り、「否定」ですら、その元の投稿が提示した論理や価値(あるいは思念というか理念というか、アイデアのようなもの)を踏まえた(それがここで言う「尊重」ということ)意見であるから、「空目」を報告されるぐらいなら、否定してもらった方が100倍ありがたい。
  • 元の投稿を尊重しない、そのような「空目」アピールは相手を否定する行為になっているし、一言で言って「失礼」だし、これまでに言われて「面白い」と思ったことは一度もないので、ぼくに対してはやめてほしい。

auの新料金プランに関する雑感

こんな記事を見た。

news.yahoo.co.jp

第一印象

引越しが面倒な人を引き止めるためのプラン

  • よくよく精査すれば、この価格設定では格安スマホ、というか少なくともぼくの使っているmineoとはまだ比較にならない高さであることがわかる。
  • しかし、現時点でauを使っていて、MVNOへの引越しを希望しながらも面倒でなかなか腰を上げられない、みたいな人を引き止めるには、充分と言える施策なのかもしれない。
  • というのも、以前の自分がまさにそうだったから言うのだけど、引越しを面倒だと思う人は「引越さないメリット」をどうしても探してしまう。
    • というか、「引越さない自分を肯定できる理由」を探してしまう。
  • このプランが出ることで、「前より安くなったし、このままでいいか……」と、引越すモチベーションが下がる人は少なくないと想像する。
  • だから、今から電話会社を選ぶ人に向けてはどれだけ有効かわからないが、今auにいる人を引き止めるためのプランとしては有効なのかもしれない。
  • 一方、ユーザーの立場から言えば、「またしょうもない小手先の対応をしてるな……」という感じもある。
  • 大手のプランというのは、いや、少なくともぼくが精査したauのプランというのは、一般人が日常的な時間を割いて理解するにはあまりにも煩雑な条件の組み合わせの上に成り立っている。
  • 誇大広告というか、詐欺とすら言いたくなるような打ち出し方が常態化している。
  • 小さな文字で書かれた但し書きをすべて読み切るユーザーがどれだけいるかわからないが、実際に適用される料金はその小さな文字で書かれた但し書きをすべて通過した料金であって、それは広告でわかりやすく「月額1980円」などと言われるそれとは程遠い結果だ。
    • たとえば、その「1980円」というキャッチーな価格ひとつ取っても、それは税抜き額だろうから、「最低限の使い方をすれば支払代金が2000円を切るのかな」と想像したユーザーはすでにその直感を裏切られている。
  • こうした欺瞞を感じさせる広告はそろそろ本格的に取り締まってくれないか、とつくづく感じる。
  • 上記の「小さな文字で書かれた但し書き」に象徴されるように、大手キャリアのプランは常人には把握しきれない。社員か、専門家か、よほど暇な人でなければ理解はできないだろう。
    • 言い換えれば、大手キャリアとの契約はそもそもその道の素人、つまり一般人には不向きなのである。
  • 一方、たとえばmineoのそれは大手に比べればだいぶシンプルである。
    • 他のMVNO会社もよくは知らないが、同等にシンプルなところもあると思う。
  • 一瞬話は変わるが、以前からぼくは「Windowsはコンピュータの素人には向かない難しいマシンである。それに比べてMacは誰でも使える部分が多い。パソコン初心者は皆Macにすべき」と思っていて、にもかかわらずなぜパソコンの初心者はWindows搭載のマシンばかり買ってしまうのだろう? と思っていたけど、似た構造がここにもある。
  • 携帯料金の計算や把握になるべくコストをかけたくないなら、MVNOの方がいい。
  • たしかにauなどの大手キャリアとの契約であれば、その手順は非常に明快だ。
    • 全国各地、いたるところに直営店や取り扱い店舗があり、「ちょっとそこまで」という感じでそれらのリアル店舗に出向き、対面で店員に任せてハイハイと書面を作っていけば、すぐに端末を手に入れられるだろう。
      • 結局のところ、大手キャリアが持っている最大のアドバンテージというのは、この膨大な「リアル店舗」と「対面販売をできるスタッフ」なのだと思う。
    • しかし、そこで契約してしまえば、「自分が毎月どのような名目のサービスにいくらずつ払ってその合計金額になっているのか」とか、「今後それらの料金がどう推移していくのか」といった、ごく当たり前の情報を把握することはほぼ不可能になる。

客のためではなく業績維持のためのプラン

  • 上の記事によれば、

今回の料金プランにより、毎月の利用状況に応じて、最適なプランが適用されるため、無駄なくデータ容量を使えるようになる。

  • とのことだが、第一印象は「今さらかい」である。
    • ぼくがauユーザーだったときにずっと求めていたのが、まさにそういうプランだった。
  • なぜauが今さらそんなプランを出してきたかといえば、それはMVNOへの客の流出をくい止めたいからだろう。
  • 言い換えれば、MVNOの台頭がなければいまだにそんなプランは出していなかったと考えられる。
  • 言うまでもなく、そうした「利用量に応じた適切な価格のプラン」というのはユーザーにとってありがたいものだ。
  • にもかかわらず、auがなぜ今までそれを出してこなかったのかといえば、もちろん自社の首を絞めるプランだからだ。
  • スマホを「ちょっと」しか使っていない人からも、「ちょっとではなく」使っている人と同じ金額を一律に徴収できたこれまでのプランを、進んでやめる理由などまったくない。
  • しかし今回は、そこに踏み込まなければMVNOへの流出を止められないと判断したのだろう。
  • つまり、これはべつに客の満足度を向上させることを目的として作られたプランではないということだ。
  • 企業とは営利目的で活動するものだから、利益を求めてプランを設定することを悪いとは言わないが、
    • 1. MVNOが出てこなければこのような(ある意味で良心的な)プランは作られなかっただろうこと
    • 2. 1980円とか謳っているが実際はそれで済むはずがないであろうこと
  • を思うと、肯定的な感情は持ちづらい。

第二印象

想像以上の誇大広告

  • そこまで書いてから、当のプレスリリースを見たところ、

news.kddi.com

  • 「1980円」というのは1GBまでのプランだそうだ。これが3GBまでになると、3480円だった。

f:id:note103:20170711005357p:plain
新料金プラン「auピタットプラン」の提供についてより)

  • 率直に言って、想像以上の誇大広告だった。
    • mineoの基本料金なら、500MBで1512円程度、1GBで1620円程度、3GBで1730円程度である(いずれも税込)。
    • しかも上の図によると、今回のプランが維持されるのは「(1年間)」とのことだから、2年目からどうなるんでしょうね……。
  • さっきは「MVNOの台頭で良心的なプランを出さざるを得なかったのだろう」と書いたが、撤回。間違いだった。
  • MVNO各社の台頭と、それらへの流出をくい止めるために今回のプランが出たことに違いはないだろうが、良心的なプランではなかった。いつものやつだった。
  • ついでに言えば、この新料金プランは、これまでわずかな利用状況だったユーザーにとっては明らかな値下げになりそうなものだが、かといってそのようなユーザーに自動的に適用されるわけではない。
    • ユーザーが自らプランの変更を申請する必要があるということ。
  • そんなの当たり前じゃないか、と思う人もいるかもしれないが、「毎月の利用状況に応じた最適なプラン」なのであれば、ユーザー自身が申請するまでもなく自動的に適用されるべきだろう。
    • 「そんな勝手なことをしないでください、私は自分の利用状況に見合わない、割高な料金を払いたいのです!」なんてことを言うユーザーはいないのだから。

階層化により複雑さが加速する注釈

  • 参考までに、同ページに掲載されている注釈も載せておく。上で言う「小さな文字で書かれた但し書き」とは、たとえばこのことである。
<注釈一覧>
注1)
「auピタットプラン (スーパーカケホ)」または「auピタットプラン (シンプル)」に加入かつ、「誰でも割」適用で、データ通信のご利用が1GB以下の場合。「auピタットプラン (スーパーカケホ)」は「auスマートバリュー」適用の場合。
注2)
「auピタットプラン (スーパーカケホ)」または「auピタットプラン (シンプル)」に加入かつ、「誰でも割」「ビッグニュースキャンぺーン」適用で、データ通信のご利用が1GB以下の場合。「auピタットプラン (スーパーカケホ)」は「auスマートバリュー」適用の場合。
注3)
iPhone 7/iPhone 7 Plus/iPhone 6s/iPhone 6s Plus/iPhone SE/iPhone 6/iPhone 6 Plus/iPhone 5s/iPhone 5c/iPhone 5の購入を伴う新規契約および機種変更時にはご加入いただけません。
ただし、上記iPhoneを既にご利用のお客さまは、料金プランの変更でご加入いただけます。
注4)
分割支払金の総額です。
注5)
端末購入を伴わない機種変更は対象外です。
注6)
「auピタットプラン」はマンスリーポイントの対象外となります。
注7)
2017年7月~2017年12月ご利用分については、「au STARロイヤル」で付与されるポイントの一部を、マンスリーポイントとして付与いたします。「au STARロイヤル」の残りのポイントは、2018年1月にまとめて付与します。その後は毎月付与します。
注8)
月末時点で対象料金プランにご加入の回線ごとの定額料 (基本料金、データ定額料、インターネット接続料金の合計額) に応じて、1,000円 (税抜) ごとに翌月にポイント付与されます。ただし、LTE NET for DATAにご加入の場合も、LTE NETに加入しているものと見なして計算します。auスマートバリューまたは、auスマートバリューmineにご加入の場合、割引額を差し引いた定額料が対象です。
注9)
auケータイ、auスマートフォンをご利用のお客さま。
注10)
WEB、auショップ、お客さまセンターでお申し込み可能です。
  • さて、これらをすべて把握してからハンコを押す人ってどれだけいるのだろう?
  • しかもこれだけの注釈を付しておきながら、その下に

詳細は別紙をご参照ください。
別紙:新料金プラン「auピタットプラン」の提供について

  • なんて言って、さらに別紙詳細へのリンクが張ってある。
    • まだあるんかい!
  • さらに見直して思ったけど、この1980円って、「ビッグニュースキャンペーン」というのを合わせて適用されないと実現しないのか。
    • しかもこのキャンペーンには、

iPhone 7/iPhone 7 Plus/iPhone 6s/iPhone 6s Plus/iPhone SE/iPhone 6/iPhone 6 Plus/iPhone 5s/iPhone 5c/iPhone 5の購入を伴う新規契約および機種変更時にはご加入いただけません。
ただし、上記iPhoneを既にご利用のお客さまは、料金プランの変更でご加入いただけます。

  • という但し書きが入れ子で付いている。
    • この情報の洪水を浴びせられるユーザーは気の毒だな……と思わずにいられない。
  • それらの例でも明らかだが、こうした注釈がなぜ「わかりづらい」とか「うんざりする」ような感覚を読者(ユーザー)に与えるのかと言えば、情報が階層化しているからである。
    • 「情報が階層化している」とは、「注釈の中に注釈がある」ような状況ということ。
  • 注釈の最後に新たな「詳細」へのリンクが張ってあるのは象徴的だが、それ以外にもたとえば、この注釈一覧に登場する数々の固有名詞もそうした階層を生み出している。
    • ぼくは数年間auを使って、その間に2台のiPhoneを購入・使用していたけど、「スーパーカケホ」とか「au STARロイヤル」といった言葉が何を指しているのか、まったく想像できない。
    • 「誰でも割」や「auスマートバリュー」には見覚えがあるが、それが具体的にどういう状況を指しているのか、ということはやはりすぐにはわからない。
    • 「マンスリーポイント」は「毎月機械的に付与されるポイント」を想起させる言葉だが、通常ならばいつ、何に対して、どのような割合で付けられて、どのような使いみちがあるのか、といったことはここからはわからない。
  • つまり、これだけでもすでに膨大に見える注釈だが、実際にはそこで目に入る文章だけでは情報が完結しておらず、「それぞれの不明な語句が何を指しているのか」をさらに調べなければ、全容は把握できないようになっている。
    • この注釈一覧の複雑さの要因はそのようなところにあって、それを端的に示しているのが「スーパーカケホ」とか「au STARロイヤル」のような、そのつど行き当たりばったりに(としか思えない)、使い捨てる前提で量産される(としか思えない)、それだけでは何を指しているのか想像もしづらい固有名詞群である。
  • しかしその固有名詞のネーミングも含めて、こういうキャンペーンを作る人というのは、初めから決まっている最終的な落としどころ(というか徴収額)に向けて、「いかに安く見せかけながら法律にも触れない商品(料金プラン)を作れるか」というニーズに応じた、きわめて優れた能力を持っていると思うけど、尊敬はできないな。
  • ここまで概観した上で、あらためて冒頭のリンク記事に戻ると、このプランで「格安スマホ潰し」とはなんの冗談なのか、もはやステマの領域では? と思うが、同時に初めの方にも書いたとおり、「auの中から外(MVNO)に出ていきたいと考えている人たち」を引き止める意味ではたしかに効果があるかもしれないし、その点にかぎって言えば、その突飛で強圧的な表現も間違いとは言い切れないか、とは思った。

第三印象

大手キャリアはブランドと安心を売っているのだから、MVNOと同額になる必要はないと思う。膨大な注釈にしても、そもそもそんなものを読まない(出費の細目など気にしない)人がターゲットなのだろうから、どれだけ読みづらくても構わないと思う。自分はそのどちらも嫌だったからauからmineoに移行したけど、月々4〜5千円は安くなっているし、毎月何GBのデータを使用して、何にいくら払っているのかも明快に把握できるようになったので良い判断だった。