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空目の報告はしなくていい

  • 自分の言った何か(おもにTwitterの投稿)について、「**に空目した」と言われてもなんと答えたらいいんだかわからない。
  • その人に悪気はないだろうし、その人を嫌いなわけでもないのだけど(というかそのようにやり取りできる相手なら基本好感を持っている間柄なわけだけど)、それだけはちょっと、やめてほしいと思う。
  • 元の投稿内容に関する意見であれば、肯定でも否定でも、自分の発した意見というか、投稿を読んだ上でのアクションだからいずれにしてもありがたいと思えるのだが、その人が「空目」した何かというのは、その人が関心を持っている何かであり、またそれをわざわざ報告してくるということは、その人が面白いと思った(そしてそれを伝えたいと思った)何かであって、ということは、元のぼくの投稿とはとりあえず「関係ない」。
  • 単に関係ないことを言うだけならまだしも、その「関係ない」ことは、「元の投稿を受けて」という体をとっているから、必然的に「元の投稿の存在意義をわざわざ無視あるいは否定した上で」投げかけられる「新たな」「関係ない」情報である。
  • 「いやいや、空目というのは、まったく無関係というわけではなくて共通点もあるんだよ、だから伝えたいんだよ」と思う人もいるかもしれないが、「空目」というのは、「元の言葉」と「元の言葉と見た目は近いけど別の意味を指す言葉」との間に生じた「面白い(とその人が思っている)関係」に関する観点なのであって、元の投稿それ自体がもっている論理や価値を尊重したものではまったくない。
  • 上記の通り、「否定」ですら、その元の投稿が提示した論理や価値(あるいは思念というか理念というか、アイデアのようなもの)を踏まえた(それがここで言う「尊重」ということ)意見であるから、「空目」を報告されるぐらいなら、否定してもらった方が100倍ありがたい。
  • 元の投稿を尊重しない、そのような「空目」アピールは相手を否定する行為になっているし、一言で言って「失礼」だし、これまでに言われて「面白い」と思ったことは一度もないので、ぼくに対してはやめてほしい。

auの新料金プランに関する雑感

こんな記事を見た。

news.yahoo.co.jp

第一印象

引越しが面倒な人を引き止めるためのプラン

  • よくよく精査すれば、この価格設定では格安スマホ、というか少なくともぼくの使っているmineoとはまだ比較にならない高さであることがわかる。
  • しかし、現時点でauを使っていて、MVNOへの引越しを希望しながらも面倒でなかなか腰を上げられない、みたいな人を引き止めるには、充分と言える施策なのかもしれない。
  • というのも、以前の自分がまさにそうだったから言うのだけど、引越しを面倒だと思う人は「引越さないメリット」をどうしても探してしまう。
    • というか、「引越さない自分を肯定できる理由」を探してしまう。
  • このプランが出ることで、「前より安くなったし、このままでいいか……」と、引越すモチベーションが下がる人は少なくないと想像する。
  • だから、今から電話会社を選ぶ人に向けてはどれだけ有効かわからないが、今auにいる人を引き止めるためのプランとしては有効なのかもしれない。
  • 一方、ユーザーの立場から言えば、「またしょうもない小手先の対応をしてるな……」という感じもある。
  • 大手のプランというのは、いや、少なくともぼくが精査したauのプランというのは、一般人が日常的な時間を割いて理解するにはあまりにも煩雑な条件の組み合わせの上に成り立っている。
  • 誇大広告というか、詐欺とすら言いたくなるような打ち出し方が常態化している。
  • 小さな文字で書かれた但し書きをすべて読み切るユーザーがどれだけいるかわからないが、実際に適用される料金はその小さな文字で書かれた但し書きをすべて通過した料金であって、それは広告でわかりやすく「月額1980円」などと言われるそれとは程遠い結果だ。
    • たとえば、その「1980円」というキャッチーな価格ひとつ取っても、それは税抜き額だろうから、「最低限の使い方をすれば支払代金が2000円を切るのかな」と想像したユーザーはすでにその直感を裏切られている。
  • こうした欺瞞を感じさせる広告はそろそろ本格的に取り締まってくれないか、とつくづく感じる。
  • 上記の「小さな文字で書かれた但し書き」に象徴されるように、大手キャリアのプランは常人には把握しきれない。社員か、専門家か、よほど暇な人でなければ理解はできないだろう。
    • 言い換えれば、大手キャリアとの契約はそもそもその道の素人、つまり一般人には不向きなのである。
  • 一方、たとえばmineoのそれは大手に比べればだいぶシンプルである。
    • 他のMVNO会社もよくは知らないが、同等にシンプルなところもあると思う。
  • 一瞬話は変わるが、以前からぼくは「Windowsはコンピュータの素人には向かない難しいマシンである。それに比べてMacは誰でも使える部分が多い。パソコン初心者は皆Macにすべき」と思っていて、にもかかわらずなぜパソコンの初心者はWindows搭載のマシンばかり買ってしまうのだろう? と思っていたけど、似た構造がここにもある。
  • 携帯料金の計算や把握になるべくコストをかけたくないなら、MVNOの方がいい。
  • たしかにauなどの大手キャリアとの契約であれば、その手順は非常に明快だ。
    • 全国各地、いたるところに直営店や取り扱い店舗があり、「ちょっとそこまで」という感じでそれらのリアル店舗に出向き、対面で店員に任せてハイハイと書面を作っていけば、すぐに端末を手に入れられるだろう。
      • 結局のところ、大手キャリアが持っている最大のアドバンテージというのは、この膨大な「リアル店舗」と「対面販売をできるスタッフ」なのだと思う。
    • しかし、そこで契約してしまえば、「自分が毎月どのような名目のサービスにいくらずつ払ってその合計金額になっているのか」とか、「今後それらの料金がどう推移していくのか」といった、ごく当たり前の情報を把握することはほぼ不可能になる。

客のためではなく業績維持のためのプラン

  • 上の記事によれば、

今回の料金プランにより、毎月の利用状況に応じて、最適なプランが適用されるため、無駄なくデータ容量を使えるようになる。

  • とのことだが、第一印象は「今さらかい」である。
    • ぼくがauユーザーだったときにずっと求めていたのが、まさにそういうプランだった。
  • なぜauが今さらそんなプランを出してきたかといえば、それはMVNOへの客の流出をくい止めたいからだろう。
  • 言い換えれば、MVNOの台頭がなければいまだにそんなプランは出していなかったと考えられる。
  • 言うまでもなく、そうした「利用量に応じた適切な価格のプラン」というのはユーザーにとってありがたいものだ。
  • にもかかわらず、auがなぜ今までそれを出してこなかったのかといえば、もちろん自社の首を絞めるプランだからだ。
  • スマホを「ちょっと」しか使っていない人からも、「ちょっとではなく」使っている人と同じ金額を一律に徴収できたこれまでのプランを、進んでやめる理由などまったくない。
  • しかし今回は、そこに踏み込まなければMVNOへの流出を止められないと判断したのだろう。
  • つまり、これはべつに客の満足度を向上させることを目的として作られたプランではないということだ。
  • 企業とは営利目的で活動するものだから、利益を求めてプランを設定することを悪いとは言わないが、
    • 1. MVNOが出てこなければこのような(ある意味で良心的な)プランは作られなかっただろうこと
    • 2. 1980円とか謳っているが実際はそれで済むはずがないであろうこと
  • を思うと、肯定的な感情は持ちづらい。

第二印象

想像以上の誇大広告

  • そこまで書いてから、当のプレスリリースを見たところ、

news.kddi.com

  • 「1980円」というのは1GBまでのプランだそうだ。これが3GBまでになると、3480円だった。

f:id:note103:20170711005357p:plain
新料金プラン「auピタットプラン」の提供についてより)

  • 率直に言って、想像以上の誇大広告だった。
    • mineoの基本料金なら、500MBで1512円程度、1GBで1620円程度、3GBで1730円程度である(いずれも税込)。
    • しかも上の図によると、今回のプランが維持されるのは「(1年間)」とのことだから、2年目からどうなるんでしょうね……。
  • さっきは「MVNOの台頭で良心的なプランを出さざるを得なかったのだろう」と書いたが、撤回。間違いだった。
  • MVNO各社の台頭と、それらへの流出をくい止めるために今回のプランが出たことに違いはないだろうが、良心的なプランではなかった。いつものやつだった。
  • ついでに言えば、この新料金プランは、これまでわずかな利用状況だったユーザーにとっては明らかな値下げになりそうなものだが、かといってそのようなユーザーに自動的に適用されるわけではない。
    • ユーザーが自らプランの変更を申請する必要があるということ。
  • そんなの当たり前じゃないか、と思う人もいるかもしれないが、「毎月の利用状況に応じた最適なプラン」なのであれば、ユーザー自身が申請するまでもなく自動的に適用されるべきだろう。
    • 「そんな勝手なことをしないでください、私は自分の利用状況に見合わない、割高な料金を払いたいのです!」なんてことを言うユーザーはいないのだから。

階層化により複雑さが加速する注釈

  • 参考までに、同ページに掲載されている注釈も載せておく。上で言う「小さな文字で書かれた但し書き」とは、たとえばこのことである。
<注釈一覧>
注1)
「auピタットプラン (スーパーカケホ)」または「auピタットプラン (シンプル)」に加入かつ、「誰でも割」適用で、データ通信のご利用が1GB以下の場合。「auピタットプラン (スーパーカケホ)」は「auスマートバリュー」適用の場合。
注2)
「auピタットプラン (スーパーカケホ)」または「auピタットプラン (シンプル)」に加入かつ、「誰でも割」「ビッグニュースキャンぺーン」適用で、データ通信のご利用が1GB以下の場合。「auピタットプラン (スーパーカケホ)」は「auスマートバリュー」適用の場合。
注3)
iPhone 7/iPhone 7 Plus/iPhone 6s/iPhone 6s Plus/iPhone SE/iPhone 6/iPhone 6 Plus/iPhone 5s/iPhone 5c/iPhone 5の購入を伴う新規契約および機種変更時にはご加入いただけません。
ただし、上記iPhoneを既にご利用のお客さまは、料金プランの変更でご加入いただけます。
注4)
分割支払金の総額です。
注5)
端末購入を伴わない機種変更は対象外です。
注6)
「auピタットプラン」はマンスリーポイントの対象外となります。
注7)
2017年7月~2017年12月ご利用分については、「au STARロイヤル」で付与されるポイントの一部を、マンスリーポイントとして付与いたします。「au STARロイヤル」の残りのポイントは、2018年1月にまとめて付与します。その後は毎月付与します。
注8)
月末時点で対象料金プランにご加入の回線ごとの定額料 (基本料金、データ定額料、インターネット接続料金の合計額) に応じて、1,000円 (税抜) ごとに翌月にポイント付与されます。ただし、LTE NET for DATAにご加入の場合も、LTE NETに加入しているものと見なして計算します。auスマートバリューまたは、auスマートバリューmineにご加入の場合、割引額を差し引いた定額料が対象です。
注9)
auケータイ、auスマートフォンをご利用のお客さま。
注10)
WEB、auショップ、お客さまセンターでお申し込み可能です。
  • さて、これらをすべて把握してからハンコを押す人ってどれだけいるのだろう?
  • しかもこれだけの注釈を付しておきながら、その下に

詳細は別紙をご参照ください。
別紙:新料金プラン「auピタットプラン」の提供について

  • なんて言って、さらに別紙詳細へのリンクが張ってある。
    • まだあるんかい!
  • さらに見直して思ったけど、この1980円って、「ビッグニュースキャンペーン」というのを合わせて適用されないと実現しないのか。
    • しかもこのキャンペーンには、

iPhone 7/iPhone 7 Plus/iPhone 6s/iPhone 6s Plus/iPhone SE/iPhone 6/iPhone 6 Plus/iPhone 5s/iPhone 5c/iPhone 5の購入を伴う新規契約および機種変更時にはご加入いただけません。
ただし、上記iPhoneを既にご利用のお客さまは、料金プランの変更でご加入いただけます。

  • という但し書きが入れ子で付いている。
    • この情報の洪水を浴びせられるユーザーは気の毒だな……と思わずにいられない。
  • それらの例でも明らかだが、こうした注釈がなぜ「わかりづらい」とか「うんざりする」ような感覚を読者(ユーザー)に与えるのかと言えば、情報が階層化しているからである。
    • 「情報が階層化している」とは、「注釈の中に注釈がある」ような状況ということ。
  • 注釈の最後に新たな「詳細」へのリンクが張ってあるのは象徴的だが、それ以外にもたとえば、この注釈一覧に登場する数々の固有名詞もそうした階層を生み出している。
    • ぼくは数年間auを使って、その間に2台のiPhoneを購入・使用していたけど、「スーパーカケホ」とか「au STARロイヤル」といった言葉が何を指しているのか、まったく想像できない。
    • 「誰でも割」や「auスマートバリュー」には見覚えがあるが、それが具体的にどういう状況を指しているのか、ということはやはりすぐにはわからない。
    • 「マンスリーポイント」は「毎月機械的に付与されるポイント」を想起させる言葉だが、通常ならばいつ、何に対して、どのような割合で付けられて、どのような使いみちがあるのか、といったことはここからはわからない。
  • つまり、これだけでもすでに膨大に見える注釈だが、実際にはそこで目に入る文章だけでは情報が完結しておらず、「それぞれの不明な語句が何を指しているのか」をさらに調べなければ、全容は把握できないようになっている。
    • この注釈一覧の複雑さの要因はそのようなところにあって、それを端的に示しているのが「スーパーカケホ」とか「au STARロイヤル」のような、そのつど行き当たりばったりに(としか思えない)、使い捨てる前提で量産される(としか思えない)、それだけでは何を指しているのか想像もしづらい固有名詞群である。
  • しかしその固有名詞のネーミングも含めて、こういうキャンペーンを作る人というのは、初めから決まっている最終的な落としどころ(というか徴収額)に向けて、「いかに安く見せかけながら法律にも触れない商品(料金プラン)を作れるか」というニーズに応じた、きわめて優れた能力を持っていると思うけど、尊敬はできないな。
  • ここまで概観した上で、あらためて冒頭のリンク記事に戻ると、このプランで「格安スマホ潰し」とはなんの冗談なのか、もはやステマの領域では? と思うが、同時に初めの方にも書いたとおり、「auの中から外(MVNO)に出ていきたいと考えている人たち」を引き止める意味ではたしかに効果があるかもしれないし、その点にかぎって言えば、その突飛で強圧的な表現も間違いとは言い切れないか、とは思った。

第三印象

大手キャリアはブランドと安心を売っているのだから、MVNOと同額になる必要はないと思う。膨大な注釈にしても、そもそもそんなものを読まない(出費の細目など気にしない)人がターゲットなのだろうから、どれだけ読みづらくても構わないと思う。自分はそのどちらも嫌だったからauからmineoに移行したけど、月々4〜5千円は安くなっているし、毎月何GBのデータを使用して、何にいくら払っているのかも明快に把握できるようになったので良い判断だった。

書きたいことがあるから書くのではなく、読む人がいるから書きたいことが生まれる

  • 先週の月曜からTwitterの利用機会を減らしてみたが、とりあえず投稿を減らしただけでそれなりに時間が増えた気はする。
    • 閲覧もだいぶ減らしたけど、投稿はより意識的に減らして、たぶん先週トータルでも1〜2本*1
    • それ以前は1日5〜10本程度投稿していたから、週に40本ぐらいか。かなりの削減。
    • ちなみに、以前はむしろ閲覧より投稿(というか自分用メモみたいな)がメインだったので、閲覧数がどのぐらい減ったのかはよくわからない。計測対象がナイ。
  • やはり投稿をすると、そこですべて終わるわけではなくて、そこから派生する反応なり対応なりも増えるので、集中期にこれをやっていると業務の効率が悪くなる気がする。
  • と同時に、つくづく思うのは「読まれる場所がなければそもそも書かない」という現象があるな、ということ。
    • 考えたこととか、やったこととか、見たこと、聞いたことなどのメモがとくにそれ。
  • つまり、書きたいこと(言いたいこと)があるから言うわけではなく、読む人、聞く人がいるから何かを言いたくなる、という状況があると思える。
  • 世の中には「使いやすいメモツール」「書きやすいUI」などと言われるものがよく出回るが、本当に「サクサク書けるメモツール」というものがあるとすれば、それはエディタとかメモアプリとかを工夫して実現するようなものではなく、「聞いてくれる人や場所」こそがそれなのだとあらためて感じる。
  • まあ、そんな言い方はメタ的というか、ある意味で目的の軸を外した視点だから、ちょっとズレている気もするが、「ああ、意見がスラスラ出てくるなあ」と感じるのはアプリや紙製品などのツール類を変えたときとかではなく、そういう「聞き手の集まっている場所」にいるときだな、と思うということ。

Twitterの強制性

  • その繋がりで思ったことだが、TwitterでもFacebookでも、そこにいる人たちというのは、仮に自分をフォローしているのだとしても、べつにぼくの話を聞くためにそこにいる(ログインしている)わけではない。
  • ぼくを含めて、その人がフォローしているいろんな人たちの投稿を(あるいはRTで回ってくる投稿を)眺めるためにそこにいる。
  • そのような場所に何か投稿するというのは、ある意味で強制的に、自分の意見を「その人たちの目の中に入れる」行為であると言える。
  • それは本やパンフレットを相手に渡して、「内容を知りたければ自分の手でページを開いて読んでください」というような状況ではなくて、たまたまそこに居合わせた人たちに100%読まれるという前提で、自分の投稿を送り出すという状況である。
  • その強制性のようなものが、上記のような「サクサク書けるメモツール」的状況を生み出しているようにも感じられる。
  • パッと書いて投稿すれば、相手が(自分をフォローしている人が)その瞬間にぼくの投稿を読みたいと思っていようが、いまいが、自動的にその人たちの目の前に「確実に」現れる。
    • もちろんTwitterアルゴリズムで非時系列的に現れるとかの状況を考慮すれば100%ではないわけだけど、その辺は例外として。
  • 自分は料理だけしてカウンターに皿を置けば、あとはウェイターが客のもとまで自動で運んでくれる。客がどの程度いるかはわからないが、ゼロではない。自分の店に来店している(自分をフォローしている)人には少なくとも漏れなく届けられる。そんな状況がある。
  • これは駅前で行われる街頭演説とか、休日の路上で行われる大道芸とか、あるいはそうしたところで見られる各種のパフォーマンス・アートとか、そういうものにも似ている。
    • たまたまそこを通りがかった人には、その内容が好きであろうが嫌いであろうが、否応なしにそのパフォーマンスが目に入ってしまう。
    • 街頭演説なりパフォーマンスなりをしている人は、もちろんそれをわかっていて、というかそれをメリットととらえて、それをやっている。
      • もはやこの場合は、飲食店とかTwitterとか以上に不特定多数を相手として想定しているというか、自分を見る前提ではない人たちまで相手にしている、という面はあるにせよ。
      • しかしまあ、RTなんていうのはある意味それに近接しているか。RTされた元の投稿を書いている人は、自分をフォローしていない人にまでその投稿が届くという前提を必ずしも持っているわけではないのだから。
  • そしてこの強制性というか、「書けば必ずある程度の人々のもとに届けられる」という前提があるからこそ生まれてくる意見、というものがあると思える。
  • ぼくの場合は、今その「場」というか、前提自体を最小化することによって、そうした「場があることによって生まれてくる書きたいこと」をも最小化し、その書きたいこと(伝えたいこと)を減らすことによって、集中期の業務をなんとか乗り切ろうとしているわけだけど、まあしかし、時々こうしてブログなどでアウトプットしていると、Twitterほど頻繁ではないにせよ、やっぱり「場があることにより生まれる言いたいこと」というのは出てきてしまうな、とこれを書きながら思った。
    • こんなにまた長くなるという前提はまったくなかったので。

*1:3本だった。

電話会社をauからmineoに引越してどのぐらい安くなったか

以下の続編というか、経過報告。
note103.hatenablog.com

細かい作業はけっこう好きなタチながら、電話会社や料金プランなどの精査は面倒で仕方なく、ついつい後回しにしていたものの、2年ぶりの更新月が来たので「これを逃したらもう動けなそう」と思って一念発起でauからMVNOのmineoに引越したのが去年の11月。

すでに半年が経っているけど、その引越しによってどのぐらい月々の電話料金が安くなったのか、あるいはなっていないのか、結構みっちりチェックしたので記録しておく。

昨年との比較

まず結論から言ってしまうと、去年の同じ時期に比べて、端末代(iPhone6sの本体およびAppleCareにかかる代金)を除いた額が月々4,500〜5,000円ぐらい安くなっている。

具体的には、こんな感じ。

mineo(2017年) au(2016年) 前年比
1月 1794 6710 -4916
2月 1859 6623 -4764
3月 1730 7012 -5282
4月 2270 6688 -4418
5月 1730 6623 -4893

なお、現在ぼくはmineoの

Dプラン/デュアルタイプ(データ通信+音声通話)/3GB

というプランで、その他のオプション(留守電など)はすべて未契約。

ちなみにauからの引越しだと、通常はAプランを選びそうなものだけど(AプランのAはau、DプランのDはdocomoのようなので)、今回はテザリングが必須なのでDプランにしている。

その辺の経緯については、前回の記事をご参照。(再掲)
iPhone6sの電話会社をauからmineo(格安SIM)にナンバーポータビリティで乗り換えた - 103

で、その月額費用はこれを書いている現時点(2017/06/30)で1,728円、またそれとは別にユニバーサルサービス料が2円らしいので、1730円か。
そしてそれとは別に、通話をすればそれだけの通話料がかかる。

ということは、ええと、上記で今年1730円ぴったしの月はまったく通話してないということですね。
どんだけ……(ひきこもり)

閑話休題
あらためて、上記のauとの違いを見てみると……だいぶ違いますねえ〜。

まあ、ぼくは普段全然ケータイの通話もしなければネットも自宅のWi-Fiを使っているので、外で仕事をしている人とはいろいろ環境も違うと思うけど、逆に言うとぼくみたいな生活様式の人にはそれなりに参考になるかも。

これは前回も書いたかもしれないけど、とにかくぼくはauの頃からほとんど通話はしてなくて、通話料の欄がそもそも存在しない月や、あっても160円ぐらいの月が大半だったので(手元の記録にあるかぎり一番通話料がかさんだのは2014年後半の作業が超ピークになった時期の3,500円ぐらい)、そういう生活をしていた自分にかぎって言えば、大手キャリアのあのボリュームある定額料金を払い続けるというのは、やはりちょっとお布施感があったというか、端的に無駄だったというか、無知や惰性をお金で買っていたというか、そんな感じがあったかなあ……と思ってしまう。

とはいえ、それで後悔しているのかというとそうでもなくて、上記の二社の違いにしても、今回ちょっと時間をとって精査したからわかっただけのことで、わざわざ精査しなくても、あるいはずっとauのままだったとしても、べつに誰も(ある意味自分を含めて)困らなかったわけで、今の段階でこうして切り替えられたというのは、それだけでもラッキーだったのかなという感想。

過去3年分との比較

さて、上ではとりあえず前年との比較をしてみたけど、せっかくなので3年分さかのぼってみた。
たぶん、この機会にやらなかったら一生そんなことしないので……。

で、結果は以下。
まずは金額だけ並べてみる。

mineo(2017年) au(2016年) au(2015年) au(2014年)
1月 1794 6710 8215 4774
2月 1859 6623 8171 4732
3月 1730 7012 8192 4627
4月 2270 6688 8452 5236
5月 1730 6623 8344 4801

次に、各年と今年との差分が以下。

mineo(2017年) au(2016年) au(2015年) au(2014年)
1月 1794 -4916 -6421 -2980
2月 1859 -4764 -6312 -2873
3月 1730 -5282 -6462 -2897
4月 2270 -4418 -6182 -2966
5月 1730 -4893 -6614 -3071

はいはい。ええと、なんか2015年と今年の差がすごいですね。一律6,000円以上安くなってる……。

逆に(というか)、2014年との差は他に比べると結構少ない。
まあ、トータルで見たら今より3,000円前後高いんだけど、それでも他に比べると控えめな印象。

で、なんでかなーと明細の内訳を突っ込んで見てみたら、これ、ダントツで差がある2015年だけ、端末代金の分割支払いをしてないんですね。

言い換えると、ぼくは2016年にiPhone6s、2014年にはその前に使っていたiPhone5の端末代をそれぞれ分割で払っていて、もう少し詳しく言うと、2014年10月にiPhone5の分割代金を支払い終えてから、2015年11月にiPhone6sの分割代金を支払い始めるまでの約1年間、端末代を払う必要がなかったんだけど、その期間の電話料金がグン、と上がってるということ。

ええ〜……なんで〜……という感じなんだけど、そこにはauの割引プランというのが影響していて、2014年と2016年の分割代金を払ってる間は月々2,500円程度の割引が発生していたんだけど、件の2015年時点ではそれが発生してないので、相対的に電話料金が高くなってしまってるということ。

で、最初の方にも前提として書いたように、上の比較表っていうのは「端末関連代金(本体+AppleCareの分割支払い額)を除いた額」だからそうなるというか、ここに端末の代金も足して総計で比較すると、案外2015年も他の年に比べてそれほど高くなるわけではない、という仕組みになっている。

いや〜……そう考えると、やっぱりキャリアの各種プランというのはそれなりに上手いというか、混乱を誘うというか(笑)、本当にじっくり精査できる人じゃないと全貌がなかなかわかりづらいものだなあ、という感じがしてきますが。

結局なにを見て判断すればいいのか? → 端末代を除いた電話代

ただ、いずれにしても、キャリアがいかに幻惑的なプランを立てたとしても、第一に「端末代金は不変」であること、そして、「固定された月額料金が高かったらいくら割引きしてもらっても無意味」、というのが、この過去3年分の数字を並べて至った結論ですね。

だって、その端末の分割代金を支払っている間に適用された約2,500円にしても、たしかにそれを毎月引いてもらったらデカイなあ、って素朴に考えたらそう思うけど、でもぼくのau時代って定額分が毎月7,000円〜8,000円はあったので、まあ焼け石に水というか、元の額が高すぎますね。

あとは、キャリアの方はいろんなプランやキャンペーンが盛りだくさんな分、1年に何度もそれが切り替わっていくので、「今自分がどの項目にいくら払ってるのか」を把握するのがかなり難しい。

今回は上記のとおり、少し時間をとってじっくり検証したから「あれ……使い方はいつもと変わってないのに、なんでここから急に金額が増えてるんだ?」って違いに気づいたり、その原因を突き止めたりできたけど、普通はなかなかそこまで出来ないですからね……。

一例としては、ぼくは毎月紙の請求書を発行してもらっていたんだけど(確実に記録を保管できるので)、ある時(というか2015年10月)からその発行手数料が値上がりしていたり(税抜50→200円)、かつその前月から、それまでは紙の請求書代も「電話料金」の一部だったのが、なぜかそこから外れて独立した額になっていたり。

それもなんでだろ? と最初は思ったけど、それによって「紙の請求書代は値上がりしたけど電話料金はその影響を受けない(むしろ下がってる)」という状況が生まれていたりして……なんかau、しょうもない小細工してるなあ〜……と思ってしまいましたが。
(もちろん、それが本当に目的だったかはわからないけど、少なくともそういう現象は生じていたということ)

あるいは、2014年4月に消費税が8%に上がったタイミングで、電話料金にかかる消費税額も当然上がるんだけど、その時になぜか課税対象の内容も変わっていて、5%の頃には上記の割引額(約2,500円)もその課税対象に入っていたんだけど、8%になってからはそれが課税対象から外れてしまったので、必然的に消費税額も増えたり(それまでは通話ゼロなら毎月200円程度だった消費税が500円超に)。

でも、明細を見てもその辺の変更がなぜ行われたのか、とかはよくわからない。
いや、きちんと確認すればどこかに必ず明記してあると思うんだけど、まあ、普通そんなに細かく見れないじゃないですか。

というのはしかし、だから大手キャリアはダメだという話ではなくて、ようは情報量が多すぎるというか、大手のサービスを使うと気にしなければならない対象が多くなりすぎる、という話。

キャリアが示す各種のプランや、キャンペーンがフィットする生活や仕事のスタイルの人もいるだろうし、あるいは通話や通信料がぼくなんかよりずっと多い人にとっては、もしかしたらmineoとかを使った場合にはかえっていろいろ手間が増えてしまうこともあるかもしれないし。

なので、auを悪く言うつもりもなければ、mineoは非の打ちどころがないとか言いたいわけでもなく、ただ現状ぼくの環境では上記のような感じでした、ということ。

mineoにしてからは電話料金のことで気にする対象がすごく絞られて、シンプルなサービスになったのが精神的にラクだし、ぜんぜん通話とか使わない自分にとってはプランもフィットするもので、かつ非常に安くなったし、良い引越しだったなと。

ギガが余る

あえて言うなら、ぼくの場合は3GBでも全然データ量が余るので、もう一段階下のプランでもいけそうなぐらいなんだけど、mineoの3GBより少ないプランって1GBか500MBで、しかしそれらの料金って3GBとほとんど変わらないんですよね……月に100円か200円ぐらい安くなるだけ。

その一方、もしデータを使い切ってチャージすることになったら、100MBあたり160円ぐらいらしいので、ええと……20〜30倍ぐらい? すんげー、割高!

なので、まあ現時点でも全然、以前に比べたら高いとかではないし、今月もデータ余るな〜……って、それぜいたくな悩みかもしれませんが、ぜいたくに悩みつつ使っているという感じですね。

ということで、ダラダラした感じになりましたが、ひとまずここまで。
どなたかの(あるいは未来の自分の)参考になれば幸いです。

おまけ

前回の最後にも入れたんだけど、mineoの紹介キャンペーンというのがあって、以下のリンクから契約に進むと紹介者と被紹介者双方にAmazonギフト券が1,000円分贈られるそうです。
機会があれば使ってみてください。
紹介アンバサダー 紹介される方専用ページ|特集|格安スマホ・SIM【mineo(マイネオ)】

文系について(2)

前回の内容は以下。

note103.hatenablog.com

けっこうな量になったので一旦そこでやめたのだけど、もう少し続きがあった。

補足

  • まず補足なのだけど、前回は「基本情報技術者試験を受けたのがきっかけで文系について考えるようになった」的なことを書いたのだけど、よくよく思い出してみると、実際にはそれより少し前にTwitterで「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく!」みたいな話を目にして疑問を持ったことがきっかけだった。
    • そのツイートは今ざっと探したけど見つからなかった。似たようなのはいくらかあったが。
  • 疑問、というのは個人的には「国語をやって論理的思考が身につく」とはあまり思えないということ。
  • 国語をやる、というのは基本的にはとりあえず「文章をよく読む」ということだと思うのだけど、いろんな文章をたくさん読んでわかることっていうのは、結局「いろんな人がいる」ということに尽きるのではないかと思っている。
  • 少し言い換えると、「いろんな考え方がある」ということだけど。
  • 一方で「論理的思考」というのは、ぼくにとっては「よくよく考えれば誰だってそう考えるよね」というものであって、その意味では国語より算数に近い。
  • 「1個100円のリンゴを2つ、1パック300円のイチゴを1つ買った。合計いくら?」みたいな感じ。
  • これで回答者によって答えが違ったら困る。
  • そして論理的思考とは、そういう「回答者によって答えが違ったら困る」ものだと思う。
  • しかし国語で、というかいろんな文章を読んでわかることというのは、「え、そんな考え方があるのか!?」という驚きであり、その体験を通して「自分の知らない世界がまだまだ広がっている」という事実を知ることだと思う。
  • あとは、今は「忖度」という言葉が空前のブームだが、「この人はクチでは賛成しているようだけど本当はイヤなのかもしれない……」とかいうふうに、他人の気持ちをいろいろ想像するようなことも国語の勉強を通して学んでいけるとは思う。
    • 「主人公の気持ちは次のどれか?」みたいな問題とかまさに。
  • 話を戻すと、だからその「国語をちゃんとやれば論理的思考が身につく」という論はよくわからない。その論は果たしてどこまで論理的なんだろうか。
  • ちなみに、前回の文章でぼくは

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • と書いたのだけど*1、これをもう少し言い換えると、文系というのは「その豊かな想像力を駆使して飛躍した論理を操る」ということになって、それはまた「論理的ではない話をあたかも筋が通っているかのように話す」ということになる。
  • で、上記の論についてもなんとなくそういうフシがあるのではないのかなあ……という印象を持ちつつ、「いや文系っていうのはそうじゃなくて、こういうことじゃないのかな?」という感じで前回書いたようなことを考えはじめた気がする。

前回の続き

  • さて、それはそれとして、前回の続きとして記しておきたいことがあったので、以下ではそれについて。
  • どうも一連の論旨として、いわゆる「文系」の人に悪いことばかり言っているような気が自分でもするが、それはべつに目的ではない。
  • では目的は何かというと、「文系や理系に関する話がいろいろあるけど、大半はそもそもの文系・理系の定義が曖昧すぎるだろ。もうちょっと前提を一致させてから話してはどうか? というか少し考えてみようか?」みたいなこと。
  • 実際には、前回の最初の方にも書いたように、ここでそういう定義というか再定義を行いたいわけではない。
    • そんなことしてもいろんな人のオレオレ定義と突き合わされて「それは違う」と言われるだけだろうし。
  • それで前回やったのは、「多くの人は大体こんな意味で言ってますよね?」的なイメージをざっくりまとめるということ。
  • それで出てきたさしあたっての結論が、たとえばさっきも挙げた

文系の人は自分の想像と経験だけでものを言う

  • であり、あるいはこんな感じのこと。

  • ちなみに、このツイートをしたのは以下のツイートを見たのがきっかけだった。

f:id:note103:20170529000058p:plain

  • (その人やいいねした人を責めたいわけではないのでIDとかは隠してる)
  • 上記に近い感じだと、「文系は怠け者」とか。「勉強を嫌いな人」とか。そんなイメージがありそう。
  • しかし言うまでもなく、実態がそんなふうであるはずはないよねえ。という話がここから。
  • 前回も書いたように、基本的には「文系」というのは「いわゆる理系以外はぜーんぶ」みたいに扱われているとぼくは感じている。
  • しかしそれを前提としてしまうとさすがに話を進めづらいので、ここでは古文書などを読み解く歴史家を例として考えてみたい。
  • 江戸時代とか室町時代とかを専門とする研究者がいたとして、その人は一応、普通に考えたら「文系」だと思う。
  • 現代において様々な過去の出来事がわかるのは、そういう人たちが頑張っているからで、だから「文系は怠け者」とか「無能力」みたいな指摘はこの時点ですでにあたらない。
  • また、歴史を扱う論文や学会などでは当然、「このデータとこのデータが揃ったら、まあ結論は誰が考えてもそうなりますわね」という、いわば再現性のある結論に対して皆が合意するはずだから*2、その意味では「いわゆる理系」がそうであるように、文系にもまた論理性や科学性というのは普通に宿る。
  • 翻って、「いわゆる理系」の道を歩む人の中にもまた、「怠け者」や、あまりその分野には向いていない(つまり周りからは無能力だと思われてしまう)人もいるはずで、そういう特徴が文系だけに認められるとは考えづらい。
  • そしてそこから言えるのは、結局のところ「文系・理系」というのは、大学の学部とか進路をざっくり分けるためのものとしてはそれなりに有用かもしれないものの、少なくとも人間の有能・無能を分ける観点にはならないだろう、ということ。
  • いわゆる文系にもいわゆる理系にも、それぞれちゃんとやってる人もいれば怠けてる人もいるだろう、文系だからどうとか理系だからどうとかはないだろう普通。という、書いてみるとそりゃそうだ、としか言えない話になってしまうのだが。
  • ただし、それでも算数的な「計算」というのはなかなか体力や経験を要するもので、なおかつ「算数が得意/苦手」というのはそれぞれの人生を大きく分けかねない要素であるようにも見えるので、その辺が上記のような「文系dis」につながる要因になってるのかな……という気もするが。
  • そして、ここで不意に出てくるのが「体育会系」と「文系・理系」との関わりである。
    • 前回は文脈上「体育系」と書いたのだけど、一般的には「体育会系」の方が使われがちな言葉だと思えるので以下ではそうする。
  • 体育会系というのは、どうも「頭では何も考えてない人たち」のように使われがちの言葉だが、実際には前回提示した「楽器の練習」などの喩えからもわかるように、「算数」や「計算」をはじめとする「学習」というのはどれも非常に体力を使うものである。
  • よくマンガでもTVでも、いまだに「勉強のできる子(=ガリ勉・秀才)は体育ができない、体力がない」みたいに描かれがちだが、実際は勉強するにはめちゃくちゃ体力や忍耐力が必要なので、本当に勉強をやっている人はスポーツ系の部活動をやっている人たちと同じような肉体的努力を普段からやっている。
  • それがわかったのはぼく自身が最近になっていろいろ資格などの勉強をしているからで、言い換えるとまあ、ぼくはこれまで全然勉強しない「怠け者」であり続けていたわけだ。
  • その怠け者だった自分がちょこちょこと勉強を始めて思ったのが、「勉強って、こんなに疲れるのか!」ということで、これも前回少し書いたが、それまで知らなかった知識や考え方を覚えようとすると、とにかくすぐに眠くなる。
  • 一瞬話がズレるが、よく中高生が授業中に眠ってしまうが(いや、自分は大学でもよく講義中に寝ていたが)、あれは怠けているとか、勉強を軽んじているとか、ましてや先生を馬鹿にしているとかではなくて、「勉強しようとしているからこそ猛烈な眠気に襲われている」のかもしれない、とそのとき初めて思い当たった。
  • 話を戻すと、だから「体育会系」というのは少なくとも「理系に対置する」ものではなく、また「文系に包含される」ものでもなく、理系でも文系でも一生懸命勉強なり研究なり仕事なりしている人は体育会系的であり、やってない人は怠け者である。
    • 単純に「怠け者=悪」と言いたいわけでもないのだけど。
  • さらにここでもう一つ、「芸術系」というのも並べて挙げておきたい。
  • 芸術系というのは、くり返し述べているように美大の油絵科に入ったぼくなどはまさにそれと言えるだろう。
  • あるいは、ミュージシャンを目指してバイトで食いつないでいる人とか。
  • またあるいは、マンガ家、小説家、俳優、アイドル、ダンサー、映画監督……そういった表現者の人たちもそう言えるか。
  • こういう人たちはどうなのかというと、やはり芸術系だからといって皆が皆一生懸命なわけでもなければ、逆に皆が怠けてるわけでもなく、ちゃんとやってる人もいればテキトウな人もいるはずである。
  • まあ内容が内容だけに、「一生懸命やってれば夢は必ず叶う」とも限らないのがつらいところだが(何が当たるかわからないというか)、ここでもまた、結局「〜系だからマジメ/不真面目」とは言えないということ。
  • ついでに言うと、上では歴史の研究者を文系の例として挙げたが、では税理士や建築家は何系だろうか? 彼らは様々な数字や公式を使うように思えるが、理系だろうか? 漁師はどうか? 消防士は? 靴職人は? ……とまあ、文系にも理系にも当てはまらない人々は世界にずいぶん多くいるように見える。
  • つまり、前回の話の続きとしてここまでは言っておきたかった、というのは、「文系・理系で分けられる対象なんて世界のほんの一部に過ぎなくて、分けて意味がある観点といったら『ちゃんとやってるか/やってないか』とかじゃないの?」みたいなことだった。
  • とりあえずそこまで話が辿りついたので終わろうと思ったが、今読み返したらちょっと言い足りてないところがあるな、と思ったのでそれを書いて終わる。
  • 少し前に以下のような話題があって。

www.nikkei.com

  • ここで試みられていることは明らかに「理系」に分類されるはずだが、STAP論文がそうであったように、この研究成果を科学的とは言いがたい。
  • 一方、研究リーダーをはじめ当事者の人たちがこの研究をテキトウにやったとか、努力をしなかったのかと言えばそんなことはないだろう。
  • 何を言いたいのかというと、上では「ちゃんとやったか/やってないか」の方が(「文系/理系」の分類より)大事、と言ったわけだけど、それは「一生懸命頑張ったか/頑張ってないか」とイコールではないということ。
  • この内閣府のプログラムでは本来「科学」が求められていたのであり、「実現性はわからないが夢のある話」が求められていたわけではないのだから、どれだけ一生懸命やったとしてもこの内容だとちょっとまずい。
  • 逆の例としては、たとえば映画のラストシーンで、誰もが「この展開でこう来たら……ラストはああなるよな、普通……」と予想していたら本当にそうなった! みたいな展開だと芸術系のプロとしてちょっとまずい。
  • TVの時代劇とか吉本新喜劇のように、予定調和の面白さ(と、それでもわずかに生じるズレ)を味わうものならそれでもいいかもしれないが、「見たことのないものを見たい、体験したい」と思っている受け手に対して、想像通りのオチを渡してしまうのは逆に期待を裏切っている。
  • ここでもまた、「努力したからいいってもんじゃない」という状況は生じる。
  • つまり、上で言った「大事なのは『ちゃんとやってるか/やってないか』」というそれは、単なる努力の総量ではなくて、そのとき必要とされていることに向かってどれだけの力を尽くせたか、みたいなことを指している。

*1:厳密には、「人々が文系という言葉でイメージしているのはそういう状況なのではないか」と書いたのだけど。

*2:少なくとも方針としては。実態は知らない。