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音声入力を用いた文字起こしでブログ(3) 〜schola16巻のつくり方〜

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あけましておめでとうございます。

新年最初の投稿は、音声入力を用いた文字起こしの成果物シリーズ、第3回です。

前2回は以下。

久しぶりだったので、手順を思い出すのに集中してしまって、前のように細かく作業時間をトラッキングするのをうっかり忘れていましたが、スピードは多分そんなに変わっていないか、むしろ早まっているかもしれません。

その辺の検証や詳細な手順については次回、または趣味のプログラミング関連について書いているブログの方で書くかもしれません。

the code to rock

これまでは本当に身辺雑記というか、たんに考えをつれづれに述べていただけで、今回もまったく同じ予定でしたが、最初にscholaの話から始めたらそのままずっとscholaの話になったので、scholaの話だけしています。

と言っても10分程度ですが、プロのおしゃべりでもないので、これ以上長いのもつらいなと思って一旦切っています。

話自体はもう少し続くので、次のトライ時にはそれを使うかもしれません。

たまたまですが、本日夜10時から、NHK FMで坂本さんの年始恒例の特番が放送予定で、それもschola最新刊「日本の歌謡曲・ポップス」と合わせたテーマらしいので、並べるのもおこがましいですが、副音声的にご参照頂くのも一興かなと思います。

なお、素材の音声は年末(と言ってもほんの数日前ですが)に録音しました。

transcript

[0:00]

今日は、2016年12月29日ですね。時間は午後4時半ちょっと過ぎ、もうすぐ5時になるかなという感じなんですけど。

前に録音したのが、いつ頃だろう、10月は入ってないですかね。9月か10月ぐらいだったと思うんですけど、その頃はまだ若干余裕があってですね。

余裕っていうか、仕事以外のことも何かしらできていたんですけど、その後ちょっとと言うか、かなりと言うか、忙しくなって。10月いっぱい、プラス11月のちょうど半ばぐらいまでですかね、かなり忙しくなって。

なんでそんな忙しかったのって言ったら、12月21日、だから1週間ちょい前ぐらいに発売されたんですけど、坂本龍一さんのですね、音楽全集のプロジェクトがありまして。それを作っていたんですね。

それの最新刊が、第16巻ですね。坂本さんたちもそろそろあちこちで、それなりに話題にしてくれてるとは思うんですけど、テーマが「日本の歌謡曲・ポップス」というものでですね。

ええ、大変な目に……(笑)遭いましたけども。まあ、ブログではチラッと書いたんですけど、なんだかんだで2012年ぐらいからもう話し合いは始まっていてですね。ゲストは誰をお呼びしようかとか、こういう曲も入れてみたい、こういう曲も歌謡曲と言えるのでは、みたいな話はチラチラしてたんですね。

[3:00]

ですけど、2012年はまだscholaはひと桁巻だったのかな、まだ他の巻を作っていて、すぐには作れなかったんですけど、やがてというか、ようやくというか、じゃあ次は「歌謡曲」、そろそろ行けるかね、みたいな感じで、去年からはもう本格的にというか、チョコチョコやってて。

それであのー、コンピレーションCDなので、コンピレーションCDというのはつまり、いろんな曲、いろんな歌手によるいろんな曲を入れつつ、そのブックレットがけっこう分厚い、まあ分厚いっていうほどでもないですが、これが120ページぐらいあるんですけど、それをCDにくっつけて発売するという、そういうCDブックなんですけど。

で、このコンピレーションCDを発売しているのはavex/commmonsっていう、avexの中にcommmonsがあるって感じなんですけど、ああ、まあ実際はよくわからないんですけど、ともかくそこが発売元なんですが、そのavexの音源を収録するってことは稀でですね。

というのは、やっぱり他にそのワーナーさんとか、ユニバーサルさんとか、大手のいろいろな……って、大手に限らないんですが、いろんなレコード会社さんが出してるいい曲っていうのがやっぱりたくさんあって、坂本さんにしても他のゲストの方にしてもですね、当然そのいろんなところにある、いろんないい曲を入れたいということがあるので、そういうところの会社さんにですね、「この曲をぜひ収録させて欲しいんですけど」なんてこと言うわけですね。

これがけっこう時間がかかるというか、そういう作業がまあ、今年ですかね、メインでやって。

で、それが決まらないと作れないブックレットのページっていうのも当然たくさんありますので、それに関わるページもたくさんやったのが今年ですね。

[6:00]

まあだから、メインの作業は今年なんですけど、その土台になるようなことは去年からけっこうやってて、さらにその前の年……だから2014年ですか、にも、そこそこ話し合いはやっていたんですよね。だからまあ……長いですよね。

候補曲もですね、これはどこかで言ったかもしれないですけど、とりあえずその今回坂本さんの他に、小沼純一さんと、北中正和さんと、牧村憲一さんという方々がメインで、どの曲を入れようか、なんて話し合いをしてるんですけど、その方々それぞれから100曲ずつですね、これは坂本さんから指令というか、提案ですかね、100曲ずつ持ち合おうよ、みたいな話になって。

って、そういう話はしたかな? もしかしたらあまり他ではしてないかもしれないんですけど、まあ、秘密ってこともないと思うので、大丈夫と思いますが……ああ、ブックレットに書いたかもしれないけど、ともかく100曲ずつ、皆さんがですね、持ってくると。

自分が良いと思った、これは今回の歌謡曲&ポップスにいいんじゃないの? みたいなものを集めて、持ち寄るんですけど。なぜかですねえ、あの普通、こういう場合って重複する曲がたくさんあると思うんですけど、なんか集計したら、重複を弾いても380何曲とかなってて、その時点で。

あれ、こんなにみんなバラバラなの?(笑)って。坂本さんもそうですけど、他の方々もなんだか知らないけど、かぶらないのを持ってくるんですよね。不思議なことにね。

それで、その時点でも400曲弱ぐらいかあ、なんて言って、それをもとにまた、そこから絞っていこうってなるんですけど、でも増えていくんですよね(笑)。これもこれも、これもあった、思い出した、ってなって。それはもう、本当にウェルカムなんですけど、当然。すごくありがたいことだし、scholaの内容をより面白くする、あるいはより未来に残す、質を高める、という意味ではすごくいいことなので、ぼくもですね、「遠慮なくどんどん持ってきてください!」みたいなことを言ってたんですけど。

[9:00]

まあ一方で、それによって作業はですね、当然のことながら、延びていくわけなので、そこのジレンマというのもありつつ、まあでも最大限、候補は集められるだけ集めようといってやってましたね。

それで400はまあ、ゆうに越してですね、やがて。けっこう膨大な。

しかもそれですら、400とか言っても、絞った時点でそれですからね。皆さん厳選して持ってきたものを集めてそれになっちゃって、これをCD1枚に入れるってなるとですね、最終的に22曲になったんですけど、じゃあ倍率何倍だって言う。すごいですよね。

だからまずその絞っていくのがけっこう大変……大変っていうか、バランスみたいなこともありますし、同じ人の曲ばっかり、同じ歌手の曲ばっかり入れるってのも、まあできないですし。

あと時代も、この時代だけなんかやけに無茶苦茶多いね、みたいになってもちょっと違うし、その絞っていく過程というのはなかなか、まあ時間かかりましたよね。

けど、最終的には本当に、ええとね、あれですね。他のレコード会社さんが本当にすごく前向きに、協力してくださってですね、それはレコード会社さんだけじゃなくて、レコード会社さんを通して、さらにその作曲された方とか、歌ってる方まで話が行くケースもあってですね。

だから普段、この人のこの曲ってあんまりコンピレーションにないよね、みたいのもけっこうあると思うんですよね。まあ、「けっこうあると思うんですよね」って言って「そうそう」って言う方もあまりいないかもしれないですけど、今回は、坂本さんのそういう企画ならいいですよ、ということでOKを頂いたところもありましたね。

[11:30]

commmons: schola vol.16 Ryuichi Sakamoto Selections: Japanese Pop Music

commmons: schola vol.16 Ryuichi Sakamoto Selections: Japanese Pop Music

commmons: schola 第16巻「日本の歌謡曲・ポップス」本日発売です

本日2016/12/21(水)、コモンズ・スコラの第16巻「日本の歌謡曲・ポップス」が発売されました。

【vol.16】 Japanese Pop Music| commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

commmons: schola vol.16 Ryuichi Sakamoto Selections: Japanese Pop Music

commmons: schola vol.16 Ryuichi Sakamoto Selections: Japanese Pop Music

いやあ、長かった……っていつも言っている気がしますが。

今回はメインの編集や許諾等の作業は今年、2016年に多くをやりましたが、その土台になる作業は去年から進んでいて、さらにその準備的な作業は2014年から始まっていたのだよなあ、と思い、いま過去のやり取りを見直してみたら、最初にけっこう具体的な、このテーマに関する話し合いを始めていたのはなんと2012年でした……どんだけ……。

もちろん、というかブックレット等の内容にはその2012年から話し合ってきたことも様々なかたちで反映しています。

今回のメンバーは、坂本龍一さんとレギュラーの小沼純一さんの他、音楽プロデューサーの牧村憲一さん、音楽評論家の北中正和さん、それから座談会のゲストとして奥中康人さんにもご参加頂きました。

北中さんは第8巻に続いて二度目のご登場ですね。

commmons: schola vol.8 Eiichi Ohtaki Selections:The Road to Rock

commmons: schola vol.8 Eiichi Ohtaki Selections:The Road to Rock

奥中さんは現在、静岡文化芸術大学の教授でいらっしゃいますが、今回のテーマに深く関わる分野を研究されていて、

面白いお話をたくさん聞かせて頂きました。

その他、今回の見どころ・聞きどころとしては……なんでしょうね、まあおそらく本日以降、ようやく本作を手にできたという方が大半だと思うので、ネタバレ的なことは避けながら書きますが、とにもかくにも業界の錚々たる方々が協力してくださってようやく実現した、というのは大きな特長かなと思います。

もちろんこれまでの巻にしても、各レコード会社をはじめ本当に多くの方のご協力があってようやく作れたものなのですが、ユーミン美空ひばりさん、シュガー・ベイブといった通常であればこうしたコンピでは見かけないような方々の曲が、会社間の垣根を超えて1枚の中に収まっている、というのはこのプロジェクトならではかな、と思います。

あとはやっぱり、scholaでしかありえない選曲の妙というか、誰もが知るような曲もあれば、「え、これなの」みたいな意外な曲もあるかと思われ、これについてはじつは最終的な22曲に固まる前の、準決勝的なリストのほうがより今回の選曲のユニークさを示しているように思えてならなかったので、初の試みではありますが、そういう結果的に次点になった曲群も、ブックレットではまとめて掲載しています。

さらに言うと、「誰がその曲を推薦したのか」ということも読者としては知りたいところだろうと思って(というか自分ならそう思うと思って)、その辺も頑張って明記していますので、お買いになった方はぜひそのあたりも楽しんで頂けたらと思います。

あとは何でしょうね……ああ、解説ですね。上に記した方々のほか、今回はscholaへのご参加が初となる東端哲也さん、高岡洋詞さん、松永良平さんに充実した原稿を書いて頂きました。
毎回、初めてお仕事をする執筆家とのやり取りは緊張が絶えないですが、皆さん期待を超える文章を届けてくださって、読んで「ああ、頼んでよかった」と安堵するパターンをだいたい22本(曲)分くり返しました。

あとはそうだ、「歌詞」も普段はあまりないコンテンツで、というのもscholaの場合はインストものがけっこう多いので、歌詞は時折例外的に入れる、というぐらいなのですが、今回はテーマがテーマなので全曲歌詞掲載でした。
そのためのデザイン・フォーマットも新たに中島デザインさんに作って頂きましたので、ぜひご注目を。

あとは巻頭のところに毎回1ページ分、その巻を象徴するような口絵を入れていまして、たとえば上記の8巻ならプレスリーの肖像写真、14巻(「日本の伝統音楽」)なら網野善彦さんの本で紹介された「逆さ地図(日本地図がひっくり返ったもの)」を載せていたりするのですが、今回も良いものを掲載することができました。
内容については読者に最大限楽しんでもらえるよう、ここでは隠しておきますが。

ということで、毎回思うことですが、今回も作りながら途中で「ああ〜これ本当に終わるんかいなあ、最後まで出来るんやろか〜……」と不安でいっぱいになりつつ、でも「これが最後だと思って頑張ろう」と力を振り絞って*1なんとか最後まで駆け抜けた、という感じでした。

今回はとくに校正さん、デザイナーさん、印刷所の方々など、普段にも増して各所へ迷惑をかけてしまいましたが、その他のここには名前を挙げていない皆さんも含め、多くの方のご協力のおかげで形にできたこと、本当に感謝しています。

ちなみに個人的には、今年の「紅白」の前にこれをリリースできた、というのが嬉しいですね。

上の方で、「誰がその曲を推薦したのか」も楽しんでほしい、みたいなことを書きましたが、最終的には全曲坂本さんが「これを入れるべき」と推したものだけが入っていますので、坂本さんが選んだ22曲の「日本の歌謡曲&ポップス」と、2016年の紅白を並べて聴いて頂くのも面白いのではないか、と勝手に思っています。

【vol.16】 Japanese Pop Music| commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

*1:実際にはこの巻で終わりなわけではないですが、次があると思わず悔いが残らないように頑張ろう、ということ。

「リライト」と「剽窃」を分けるもの

「リライト」とは何か

  • キュレーションメディアの騒動において、「リライト」という表現がよく聞かれた。
  • その意味としては、「他人が書いた文章を、内容はほとんど変えず、細かい表現を書き換えることによって、自分の文章にしてしまう(元の著者の形跡を消してしまう)」という行為を指すようだった。
  • しかし通常、というか少なくとも僕にとって「リライト」というのは、本人がやるのであれ、他人がやるのであれ、「文章をより良くするためにその一部または全体を書き直すこと」であって、少なくともその過程で「執筆者の名義が変わってしまう」などということは意味しない。
  • キュレーションメディアの運営において行われていた「リライト」とは、元の執筆者の著作権・名義・匂い、といったものを消すための行為であって、これは文章を何度も洗浄(ロンダリング/laundering)する様子を想起させることから、同様に「資金を転々と移動させることによりその出どころをわからなくすること」を意味する「マネー・ロンダリング資金洗浄)」にならい、ここでは便宜的に「テキスト・ロンダリング」と名付けておきたい。
  • 上述のとおり、文筆業の世界では通常、「リライト」と言えば執筆者が同一であるという前提で行われる行為だから、執筆者が変更されてしまう前提の「テキスト・ロンダリング」を、「リライト」と呼ぶことには違和感がある。

目的の違いがもたらすもの

  • より踏み込んで考えるなら、前回の記事にも書いたとおり、執筆を職業とする人はほとんど誰もがそうした「テキスト・ロンダリング」に類する行為をしているとは言える。かつて誰かの書いた文章をまったく参考にせず、依頼された原稿を書くなどということは、不可能とまでは言わないまでも、相当に困難か、あるいは事実の調査を行わないという意味で無責任か、そのどちらかだろう。
  • では、そうした一般的な「他人の書いた文章を素材として自分の文章を書くこと」と、上記の「テキスト・ロンダリング」との違いは何かと言えば、前者が「素材にした情報を踏まえて、新たな内容を生み出すこと」を目的とするのに対し、後者は「原著者の形跡を消し、自らの文章として発表すること」を目的としている。
  • 何であれ、「行為」というものは「目的」と結びついて、初めて「意味」を持つ。
  • たとえば「棒で叩く」という行為そのものは特定の意味持たないが、「音を鳴らすために・太鼓を・棒で叩く」なら「楽器の演奏」という意味が生まれるし、「心身を傷つけるために・他人を・棒で叩く」なら「暴力」という意味が生まれる。
  • それと同様に、「他人の書いた文章を素材にして自分の文章を書く」という行為そのものに特定の意味はないが、「新たな内容を生み出すこと」を目的とするのか、「原著者の存在を消し、自らの作品として発表すること」を目的とするかによって、その行為がもたらす意味は大きく変わる。
  • 「原著者の存在を消し、自らの作品として発表する」という行為に「リライト」という名前をつければ、それまで社会の一部で通用し、承認されてきた、従来の「リライト」という言葉がもつ意味やイメージを、それは横から奪い取ることができてしまう。
  • 実際にキュレーションメディアの界隈で「リライト」と称して行われていることは、「著者の名義は変えずに、文章をより良く書き換えること」ではなく、「他人が書いた文章から原著者の名義や権利を剥ぎ取り、自分の文章として世に発表すること」、つまり「剽窃」を目的とした行為だから、当事者が無自覚だとしても、その二つの違いを示すこともなく、同じ名前をつけて語ることには、不適切さを感じる。

WELQとキュレーションメディアと私

最大の謎

  • 数日前のことだけど、DeNAの医療系キュレーションサイト「WELQ」が全記事非公開となり、それにあわせて同系メディアのサイト群が立て続けに非公開になった。
  • この件を通じてぼくが一番疑問に思っているのは、不確かな医療情報が量産され、しかもそれらが検索結果の上位に出てくるという状況は、正確な医療情報を切実に求める人々にとっては害悪でしかないのに、なぜそれをよくわかっているはずの南場さんが組織の中枢にいるDeNAで、そんなことが起きたのか? ということだった。今この時点においても、ぼくにとってはこれが最も大きな謎になっている。*1

否定的な共感

  • 一方で、BuzzFeedの告発記事に載っていた、「1本2000文字で1000円」という条件でそれらの記事を書いていたライターの人たちと、それらを統括する編集部とのやり取りを見て思ったのは、「自分がその場に居てもおかしくなかった」という、ゾッとするほどの身近さだった。
  • ぼくは出版社や編集プロダクションに所属した経験はないけれど、現在は雇われ編集長のような立場で、複数の書き手にテーマや諸条件(締め切り・ギャラ・留意事項)を伝えながら紙面を作っていく、ということをしているから、あのチャットワーク上に示された説明書き、あるいはライターに対する各種の具体的なノウハウ(コツ)などを見て、「うわ〜リアルだなあ……」とひしひし感じた。
  • 幸い(というか)、ぼく自身はそのような業務に携わったことはないけれど、一方で、そもそも「オリジナルな文章を書く」というのは、じつは多かれ少なかれ「かつて他人が書いた文章を土台にして、そこに自分の考えを足したり、自分と異なる考えを削除したりすること」でしかない面もあると思っている。
  • もし、「何も調べずに書けること」なんてものがあるとすれば、それは「自分のこと」ぐらいで、昨日何を食べたとか、どんなことを考えたか、ということならば、ただ思いつくままに書けばそれで正解になるけれど(読みたい人がいるかどうかは別として)、「執筆を仕事にする」とか、「依頼されて文章を書く」ということをするならば、それはすなわち「自分以外のことについて書く」ということなのであって、となれば、いかにそれが得意な分野であったとしても、つねに「自分が知らなかった情報」を調べたり、「たしかこんな話があったはずだけど詳細は覚えていない」ことなどについて確認しながら書いていく必要がある。
  • これは司馬遼太郎が書くような歴史上の人物を扱う小説とか、今放送されている「真田丸」のようなものでも同様で、彼ら執筆者は、他人が調べて書き残したことをいくつも読みながら、その中の使える情報を拾ったり、使えない情報を捨てたりしながら書いているはずだ。
  • その意味で、あのBuzzFeedの記事にあったライティングの「コツ」というのは、どんな書き手にも多かれ少なかれ関わる作業なのであって、たしかにそこには「不正か、そうでないか」という観点から見れば明らかな違いがあるかもしれないが、同時にその違いは非常にわかりづらいものでもあると思う。

擬似ライター養成講座

  • たとえば、その指南書では繰り返し「コピペは禁止」と言っていて、それ自体は誰もが賛同する方針だろう。また、「語尾や言い回しを変えるだけでもダメ」だと言っていて、これについても反対する人はいないだろう。
    • 「そういう問題でもないんだけどな」と思う人も少なくないだろうが。
  • 個人的に極めつけだと思ったのは、「事実は参考にしても良いが、表現を参考にしてはいけない」というアドバイスで、掛け軸にして飾っておきたいぐらいまっとうな指導だと思う。
    • 実際のニュアンスとしては、「事実ならパクってもバレづらいからよいが、後者はバレるからやめとけ」と読み替えるべきなのだろうが、いずれにせよこれ自体は不正の指示とは言えないということ。
    • ただし、一緒に紹介されている「書き換え例」などを見ると、元の文章にある筆者の「視点」や「発想」もそのまま使ってしまっているので、実際に行われていたのは「事実の参考」にはまったくとどまっていないとも思うが。
  • その他の告発資料を見ても、同様の編集部からライターへの事細かな指示が満ちていて、このような指示やチェックを行う編集部も、それに応じるライターも、どちらも大変な労力だなこりゃ……というのが素朴な感想だった。
  • もはや、そこで行われているのは「ライター養成講座」のようなもので、とくにライターのほうにあまり経験がない場合には、「報酬をもらいながらライティングのコツを伝授され、かつ各記事の校正までやってもらえる」という状況なわけで、これはそこそこ居心地のよいコミュニティだったのでは、という想像まで頭に浮かんでくる。

もしも自分だったら

  • それと同時に思うのは、もし自分が何かの弾みで、ライター側であれ、編集部の側であれ、その場に居たとしたら、果たしてこれらの行為の問題性に気づけただろうか? ということで、この疑問(妄想)が頭から離れない。
  • ぼく自身は職業としてのライターの経験はないけれど、それでも少ない経験上、普通ライターというのは、よほどの実績でもなければ「自分の書きたいこと」だけを書いて生計を立てるなんていうことはまず無理で、となれば、上にも書いたとおり、必ずしも詳しいとは言えないことについて、調べながら書いていかなくてはならない。
  • そして、そこでやっている行為自体を取り上げるなら、通常のライティングの依頼でも、このWELQのライティングでも、本質的なところは変わらないのではないか、という気がしている。
  • たしかに結果だけを見れば、WELQにおける書き換えは「コピペであることがバレないため」の姑息な操作だったのかもしれないが、上記のとおり、実際には通常のライティングにしても、数多の参考資料の中から一部を使い、一部を使わず、そしてそれをいくつも重ね、組み合わせていく中で文章を編み上げていく、という過程が普通にある。
  • そのような中で、もし「自分だけの(オリジナルな)意見」というものが生まれるとすれば、それはそうした地道な作業の繰り返しの末にようやくにじみ出てくるものであって、だから「どこまでが他人の文章でどこからが自分の文章か」という境界を見つけることは難しい。
  • その意味で、このWELQの一連の作業工程においても、果たしてライター自身がこの行為をどう考えていたのか、あるいは指南役のほうですら、どこまで不正性を自覚していたのか? というと、人によってはわかってやっていたかもしれないが、もしぼくだったら、とくに何も考えず粛々と作業を進めてしまっていたのではないか、と考えずにはいられない。
  • それに、仮にそうした工程や方針に違和感を覚えたとしても、その仕事の他に収入を得られるあてがなければ、簡単に断ることも難しい。上の告発記事で、そうしたあり方に疑問を感じて辞めたライターさんが出てくるけど、なかなかできることではないと感じる。

ユーザーのために

  • ではそのように、局所的には不正を自覚することが難しいかもしれない行為・作業があったのだとして、それならWELQを初めとするDeNAのキュレーションメディアに責められるべき問題はなかったのか? といえば、もちろんそんなことはなくて、結局のところ、そうやって作られた膨大な記事が、そもそも「何のために」必要だったのかという、メディアの「目的」に最大の問題があったのだと思う。
  • TechCrunch Japanによる以下の社長インタビューによれば、

まずはユーザーに喜ばれるコンテンツ作りをやっていきます。

ユーザーにとって役立つサイトになれたら再開したいと思っています。(略)ユーザーにとって役に立つ記事が出せて、ビジネスとして成り立つのであればやっていきたいと思っています。

ユーザーにとって役立つコンテンツを作り、その記事の検索順位を上げていければ、社会的にも良いことだと思っています。

  • と、今後の対応に関して、「ユーザーのために」という「目的」を何度も述べているが、少なくともこれまでの各キュレーションサイトの運営においては、そのような目的を持ってはいなかっただろう。
  • 一連の記事作成の工程を見れば、それらのプロジェクトが大切にしていたのは、「SEO上の要件を踏まえた記事を大量に作れ」という方針であり、記事の内容や質についてはどうでもいいと思っていたことがよくわかる。
  • 同時に、その事業は「記事の中身はどうでもいいが、記事がなければ成立しない」という矛盾した性質を自らに抱えたものでもあって、かつ大量の記事を作るためには一本一本に時間をかけることもできず、時間のかけられない記事の内容は薄くならざるを得ないから、必然的に「中身のない記事を量産しろ」という方針になってしまう。

食玩、あるいはそれ以上の悲しさ

  • この一連の話を通して、ぼくが思い出すのは、ロッテの「ビックリマンチョコ」である。
  • ビックリマンチョコには、ウェハースで挟まれたチョコレート菓子と、「おまけ」のビックリマンシールが入っているが、子どもたちが欲しがるのはもっぱら「おまけ」のシールの方であって、これがまた購入者の射幸心を煽ることから、一時は子どもたちが大量のそれを買い漁っては、シールだけ抜いてチョコを捨ててしまう、という行為が問題になったものだった。
  • キュレーションメディアにおける記事は、まるでこのチョコレート菓子のようだと思う。といっても、ここで購入者の「子ども」にあたるのは、記事を読むユーザーでもなければ、ライターでもなく、運営会社である。
  • 運営会社が本当に欲しいのは、記事ではなく、それを大量に公開することによって得られる「何か」である。しかし、それを得るためには記事が必要だから、望まないチョコレート菓子を一緒に購入するように、ライターに対価を支払い記事の執筆を依頼する。
  • 運営会社にとっては、その記事の中身なんてどうでもいい。それが日本語で書かれた、かつ最新のSEO対策が施された文字の集積でありさえすればいい。
  • 必然的な帰結として、書かれた記事は読まずに捨てられる。捨てると言っても、削除してしまっては検索に上がらないから、運営会社はそれをネットの海にただ流す。漂流する記事は、高い確率でユーザーに拾われるが、そのたびにナンダコレ、と捨てられる。
  • これはある意味で、食べられないまま捨てられる菓子以上に悲しい扱われ方である。

想定読者は検索エンジン

  • ぼくは上記のように、キュレーションメディアというものは、そもそもの「目的」に問題があると思っている。
  • 運営会社の目的は、「ユーザーに価値を届けること」ではない。もしユーザーに価値を届けることが目的なら、BuzzFeedの記事で元ライターが証言しているような、

「『この商品がオススメ』といった軽いテーマの記事にも、8000字を求められるようになりました。検索順位が大事なのはわかるけど、読む側の都合をまったく考えていません」

  • という事態が起きることはないだろう。
  • またもちろん、転載元の各サイトの書き手、写真家、クリエイターたちを世の中に紹介することが目的なわけでもない。本来であれば、自らソースを持たない手法の性質上、転載元の理解や協力は不可欠であるにもかかわらず、転載元への価値の還元は考慮されていない。
  • だから、このようなことも生じてくる。

www.photo-yatra.tokyo

  • 運営会社の目的は、「人間向けではない、検索エンジンに読ませるための記事を作ることによって収益を上げること」であって、それは関わる人々の人間性を軽視しても成立する。

BuzzFeedの標的は「キュレーションメディア」ではない

  • ところで、じつは一連のDeNAを告発する流れの中で大きな役割を担っているBuzzFeedはどのような運営をしているのかというと、キュレーション記事としか言いようのないものがいくつも掲載されている。
  • それぞれのライターさんに対して悪意はないし、BuzzFeedのすべての記事がこのような体裁だというわけでもないが、これらの記事を読んで思うのは、「記事の中身や読者よりも、とにかく量産することを目的に書かれたのではないか?」ということだ。
  • そのような前提をもって、あらためてBuzzFeedによる告発記事を読み直すと、BuzzFeedが問題視しているのは、どうも「キュレーションメディア」そのものではなく、「キュレーションメディアを謳っているのに実際はライターに報酬を支払って内部の方針に沿って記事を書かせていた」とか、「盗用がバレないように画策していた」といった、悪質性が明白な、具体的な論点に絞られているように見える。
  • しかし翻って、今回の問題に対する一般的な意見の多くはと言うと、これはやはり、「キュレーションメディア」全体への批判や不満であるように思う。
  • ここには、地味だけど大きな関心のズレがある。
  • 果たして、BuzzFeed自体は、「キュレーションメディア」についてどう考えているのだろう? 上のような記事を書いているライターさんは皆、転載している素材の作者の承諾を得ているのだろうか? あるいは上に紹介した写真家のように、「無断で使われた」と言われたり、感じられてしまったりしないような対策を取っているのだろうか? そうした各ライターによる転載元との連絡を、一元的に管理している機関が編集部内にあるのだろうか? 仮に転載元から苦情が寄せられた場合、BuzzFeed編集部はどのように応じるのだろうか? 「ライターがやったことだ。編集部は知らなかった」という事態にならないだろうか?
  • 個人的にはどうしても、こうしたある種の矛盾というか、ブーメラン感を感じる部分はあった。と同時に、そんなことは同編集部でも当然想定しているはずで、それでもなお、今回の一連の記事執筆、公開に踏み切ったのは評価すべきだとも思うのだけど。

キュレーションメディアの問題は、その暴力性

  • そろそろまとめに向かう。
  • 上記のように、ぼくは今あるようなキュレーションメディアのあり方はひどいものだと思う。
  • DeNAに限らず、ここ数日のうちにたまたま知ったものだけでも、サイバーエージェントのSpotlightとか、リクルートのギャザリーとか、あるいは老舗のNAVERまとめとか、ディテールはそれなりに異なるとしても、共通するのは「読みづらい」「何を言いたいのかわからない」「まともに構成されていない(まとまってない)」というようなことで、読み手によっては「そんなことないよ、読みやすいよ」という人もいるかもしれないが、ぼくとしては、「なるほど、人間が読むために作られていないから読みづらかったのか」という感想に落ち着く。
  • また、そのような記事に自分の文章や写真等を無断で転載された人がどう感じるかといえば、綺麗に言えば「リスペクトを感じられない」ということになるだろうが、もう少し直接的に言えば、いきなり暴力を振るわれたようなものだと思う。
  • それは尊厳を傷つけられるということであって、人間扱いされない、ということでもある。
  • キュレーションメディアにおいては、記事の中身は何でも構わないわけだから、無断転載をされた側としては、自分が他人の儲けのための「道具」や「モノ」として扱われたように感じるに違いないし、もしぼくがやられたら精神的な傷を被るだろう。

理想のキュレーションメディア

  • もしそれでもなお、今あるキュレーションメディアがその運営を維持したいと思うのであれば、第一に、記事の内容がまともにならなければならないと思う。
    • しかし当然のことながら、良い記事を作るには時間がかかるから、現在のような「長文」「量産」を前提とした体制では無理だろう。いろいろな前提を変える必要がある。
  • 第二に、ひき続き独自ソースではなく、様々なところから素材を転載してくる手法を用いるのであれば、それによって収益を得た運営会社から転載元に対し、収益に応じた何らかの還元を行う必要があるだろう。上に挙げた、転載元の尊厳を奪う行為を改めるには、そうした観点が欠かせない。
  • ちなみに、ぼくがキュレーションメディアと聞いて、理想的なあり方として思い浮かべるのは @yto さんによるヲハニュースである。
  • はてなブログ版もある。
  • ここでは書き手のたつをさんのアンテナに引っかかった物事を日々紹介していて、「対象」「引用」「それらに関するコメント」の区分もわかりやすい。記事の主目的は「対象の存在を紹介し、それらへの個人的見解を述べること」であり、対象サイトへのリンクも明快なので紹介先から不満を訴えられることもないだろう。
  • また、技術的な話題が主だが、@t-wadaさんによるはてなブックマークも面白い。
  • ご本人の備忘録的な側面もあるだろうけど、同時にこれを見ている読者にも、多少なり益をもたらすことを想定しながらコメントされていると感じる。
  • これらのサイト(ブックマーク)と、現在問題になっているキュレーションメディアとの違いは何か? と考えてみることは何らかのヒントに繋がるのではないだろうか。

テクニックだけでもいい

  • 途中に挙げた社長インタビューの最後で、守安社長は「今回はテクニックに頼りすぎてしまっていたのではないか」と言っていた。
  • しかしぼくの感想では、「テクニック以外に何があったのか?」と思う。
  • 独自ソースもなく、他人が公開した文章や写真を使って、誰に伝えたいわけでもない記事を量産できるだけの編集技術と、最新のSEO技術を駆使して、事業を成功させようということ以外にどんな目的があったのか? と。
  • その上で、じつはぼく自身は、「テクニックだけでいいじゃないか」とも思っている。中身のない記事と、SEO技術だけでどこまで行けるのか、見てみたい気もする。それもまた新たな人間の可能性を発見するきっかけになるかもしれない。
  • それに、極限まで突き詰めて考えれば、人間が生きる目的というのは結局、ひとまず今日・明日に食べるゴハンを確保することであって、その方法が他に何もなければ、ある程度グレーのことでもやらなければならないときもあるかもしれない、とも思う。
  • 綺麗事をいくら並べたところで、他に手段がなければどうしようもない。
  • そのゴハンを食べていくための過程において、他人の尊厳を貶めたり、キュレーションメディアだと言いながらライターに執筆依頼をしたり、検索結果の上位に質の低い記事を蔓延させたり、さらにはその中に命や健康に関わる誤った医療情報を増やしたりすることは、たしかに常識的には許されないが、他にどうしようもなかったなら仕方ないですよね、とも思うし、そんな救いのない感想とともにこの長文を終わりたい。

*1:コメント欄で参考記事を教えて頂いた。

トモフスキーとピーズにハマった

年明けのピーズのライブに行けることになったので、その予習ということでもないのだけど、ふとYouTubeでピーズの曲を見て回っていたら(Spotifyには入っていなかったので)、関連動画とかいってトモフスキーの以下のライブ映像にぶつかった。

www.youtube.com

2曲のメドレーなので、ちょうど曲が切り替わる3:19のところからスタートするように設置してみたが、その「我に返るスキマを埋めろ」という歌の弾き語りがすごすぎて、その後ずっとこれをリピートしている。

公式のビデオクリップもとてもいい。

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僕はトモフスキーって「タイクツカラ」とか「うしろむきでOK!」のような、歌詞や発想で屹立する人だとこれまで思っていて、曲もいいとは思っていたけど、こんなにロックでこんなに良いメロディ(というかコードというか)を書く人だとは思っておらず、びっくりした。

このAメロ、というかサビに入るまでのコード進行はbonobosの「THANK YOU FOR THE MUSIC」でも使われていた、いわゆる「Just the two of us進行」だろうか。延々聴き続けることができてしまう。
しかしこの曲の場合、その不滅&普遍の黄金進行をサビではなくAメロに使っているのがミソだと思う。サビではないから飽きづらい、という気がする。

すっかりハマってそのまま「カンチガイの海」とか「明日、君に会うのか」というのも続けて聴いていたが、やはり良いものだった。

じつは少し前に、このトモとピーズのハルが地元にライブに来ていたのを知っていて、行くか迷ったけど別件を優先して行かなかった、ということがあり、これらを聴いてけっこう後悔した。

彼らは千葉県出身の双子のロッカーで、たしかにというかなんというか、ぼくの小中学校の友達にまじっていてもおかしくないような近い匂いというか、雰囲気を感じる。

ピーズを好きになったのは14才か15才のときにまだ開局したばかりのbayfmから「そばにいたい」が流れてきたときで*1、たまたまカセットテープにエアチェックしていたから何度もそれを聴き返した。

そのままおそらく当時まだ出たばかりだった『グレイテスト・ヒッツ Vol.2』*2を近所のCD屋で買って、これもまったく何度も聴き返したものだった。

グレイテスト・ヒッツ Vol.2

グレイテスト・ヒッツ Vol.2

その後、二度目のブームになったのが大学の頃に出た「底なし」のビデオクリップを見たときで、聴いた瞬間に「うわ、なんだこれ!」と衝撃を受けてそのままアルバム『どこへも帰らない』を買いに走った。

どこへも帰らない

どこへも帰らない

次に出たアルバム『リハビリ中断』もすごいもので、このときは国分寺の駅ビルに入っていた新星堂だったか、そのCD屋で買って、そのままアパートへ帰るバスの中でCDウォークマンに入れて、1曲めの「線香花火大会」を聴いてまた気を失うほどのショックを受けてその弾みで前の座席を両足で蹴り上げてしまった。

リハビリ中断

リハビリ中断

3回目のブームはもうそれから何年もして、何かの機会にたまたま「君は僕を好きかい」を耳にして、うわー、これすごいなあと思っていろいろ探したけど、ベスト盤にしか入ってないらしい、という感じだったのですでに知っている曲も多く入っていたがわざわざそれを買ったりした。

ブッチーメリー The ピーズ1989-1997 SELECTION SIDE B

ブッチーメリー The ピーズ1989-1997 SELECTION SIDE B

一緒に入っていた「どっかにいこー」は知らなかったけど好きになった。
「シニタイヤツハシネ」は彼らの代表曲でその存在を知ってはいたけど、通して聴いたのはたぶんこのアルバムを買ってからで、これもまた中毒したように何度も繰り返し聴いたものだった。シンプルなつくりだけど、ボレロのように構成・展開の妙で飽きずに最後まで聴かせる。

これらを聴いたのはたぶんまだインターネットに触れていない最後の頃で、しかしその後はYouTubeで知らなかった彼らの曲を聴ける機会も増えた。

YouTubeで初めて知って好きになった曲としてはこれとかだいぶハマった。

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大学で一番仲の良かった友人に『どこへも帰らない』や『リハビリ中断』を聴かせたら彼もハマって、その後は僕よりもリアルタイムでピーズを追いかけるようになって、いくつかCDを逆に借りたりしたものだった。

The ピーズ

The ピーズ

とか、

アンチグライダー

アンチグライダー

とか。

彼との付き合いは1996年から2005年頃までの、10年にも満たない時間だったが、僕は彼にウィーザー中村一義やピーズを教えてやり、彼は僕にドラクエのサントラやたまやポール・サイモンを教えてくれたものだった。

カセットテープに好きな曲を詰め込んで、交換したこともあった。ああいうの、今だったらどうやればいいのだろう? やり方がわからない。

YouTubeのリンクをリストにするのか? いや、そうではないだろう。

46分や60分や90分のカセットテープのA・B面に、自分で構成した大好きな曲たちを順番に入れていく。それがそのまま友人の家でプレイされ、一緒に聴くこともあれば、後日その感想を伝え合うこともあった。

CDラジカセはなくなってしまった。カセットやMDのような共通の空メディアもなくなった。
ぼくらは今ならどうやってオリジナル・テープを作り、交換できるのだろう?
わからないな。

14才の春先にFMラジオから流れてきて好きになった彼らを、41才の真冬に初めて直接観に行ける。
楽しみだが、少し怖い気もする。

*1:たしか当時の新進バンド紹介みたいな番組だかコーナーで、16TONSの「銃殺の朝」も流れてそれもアルバムを買った。

*2:デビュー・アルバムなのに2枚同時発売でそんなタイトルだった、ということは後から知った。