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Spotify無料プランの感想

はじめに

  • Spotifyが日本でのサービスを始めたので使ってみた。

www.spotify.com

  • まだベータ版状態というか、誰でもすぐに使用できるわけではなく、事前に待機リストに登録した人順、という感じらしいが。
  • 以下、雑感をつらつら書いてみる。

類似サービスとの比較

  • 第一印象としては、なかなかいい感じ。音楽サブスクリプション・サービスの特徴と言える、「何曲聞いても定額(または無料)」や「独自のレコメンド・リスト」などの機能を通して知らない音楽にどんどん出会える。
  • これまでこの手のサービスではApple MusicやAmazon MusicAWAなども試したが(LINE Musicも一瞬)、このように選択肢が増えるのは純粋にいいことだ。
  • 今まで使った中では、レコメンド機能的な部分ではApple Musicが一番面白かったと思っている。しかし、残念ながらApple Musicは音楽再生プレイヤーであるところのiTunesとの相性がすさまじく悪い。社内での連携が取れていないのだろう。
  • ぼくはiTunesを消去法的に常用の音楽プレイヤーとして使っているので、その機能性を低下させるApple Musicを使うことができない。残念。*1
  • Amazon Musicはカタログとしてかなり偏りがあり、「あの曲を聴きたいな」とふと思ったときにそれがない場合が多い。しかし、ぼくは仕事の都合もあってプライム会員にはなっているので、追加の金額を払うことなくフルでこのサービスを使える。そしてまたAmazon Musicにはなぜかやけにジャズ系の品揃えが多く、またポップスやロックもそれなりに(バラつきはあるにせよ)あるので、結局これが無難な落としどころかな、という感じになっている。
  • Apple Musicを諦めてしばらくした頃、AWAが出てきたので、Amazon Musicに並行してAWAも使っていた。
  • AWAというのはぼくがscholaを作っている版元のavexが主導しているサービスのようで(よくは知らない)、それなりに信頼を置けるので数ヶ月有料プランで使っていた。*2
  • 使い心地としてはApple Musicに近くて、一部ながら歌詞もちゃんと表示されるし、品揃えも洋邦を問わず多くてけっこう気に入っていたのだけど、少し前からMacアプリがやけに重くなってしまい、ぼくは主にMacAWAをかけていたのだけど、他のどのアプリを使っても発生しないぐらいファンがけたたましくうなるようになってしまい、それがまたAWAのアプリを起動するたびに再現するのでたまらず有料プランを解除した。以後使っていない。
  • そんな中でのSpotify。なので、自分としてはApple MusicやAWAの系譜に連なる、品揃えの多い&使いやすいサービスとして期待した。
  • 果たしてその期待は裏切られることなく、レコメンドされるプレイリストも、ちょっとあれ聞きたいなと思ったときにそれがちゃんとあるという品揃えも、基本的には申しぶんのないものだった。
  • 意外な長所としては、無料プランだと曲間で定期的に音声のCMが入るのだけど、これがYouTubeTwitter、あるいは各種バナー広告にあるような下品なものではなく、クオリティの高いものが多い。この感覚は何に似ているかというと、ラジオCM。最初はAMラジオのそれに近いかなと感じていたが、最近はFMっぽいかなと思っていた。(とくに根拠はない)

Spotifyのまずさ

  • そのような感じで、今日まで3日ほどだろうか、ほとんど悪印象もなく楽しめたので、有料プランに換えてもいいかなと思い始めていたのだけど、つい数時間前、突然「無料で楽しめるのは残り1時間です! 無料プランでは月に15時間しか聴けません!」みたいなアラートがMacアプリに出てきて、ええ〜という感じになった。
  • いや、無料プランに時間制限があるのはべつにいいのだけど(たしかAWAの同様の制限に比べたら15時間というのは破格に長い)、無料プランと有料プランの違いを示すいくつかの場面において、この制限のことがほとんど記されていないのだ。
  • 通常目に入る場所で示される、無料/有料の違いはこの程度。月に15時間までなんてどこにも書いてない。

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  • わざわざヘルプのこの辺に行ってようやくわかる。

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  • つまり、時間制限の存在というのは実際にその15時間を使い切る頃になってようやくわかるようになっている。これはちょっと、印象が悪い。急に熱が醒めてしまった。
  • 悪意はないと思うが、利用者からすれば騙されたように感じてしまう。Spotifyに限らないことだが、有料と無料それぞれのプランを選べるようにしている場合は、その違いがひと目ですべてわかるようになっているといいと思う。
  • ということで、有料プランへの切り替えは一旦見送り。もう少し熟考してみる。

Spotifyの良さ

  • フォローというわけではないが、良い点もあらためて明記しておくと、Spotifyの良いところはやはり品揃えの良さ。そしてアプリの使いやすさだろうか(Mac用もiPhone用も)。
  • Apple Musicはどうだったかもう忘れてしまったが、Amazon MusicAWAの場合、その直前までMacで聴いていた続きをその後iPhoneアプリで聴く、というのが出来ない。デバイスごとにその辺の管理がバラバラになっている。
  • これは電子書籍を読んでいるときにも感じることだが、デバイスが変わっても直近まで触れていた内容の続きにすぐアクセスできるかどうか、というのはその体験を大きく左右する。
  • 電子書籍でもEPUBやPDFで提供されているものが少なからずあるけど、ぼくはこの理由によりAmazon Kindleで買えるものは結構Amazonで買ってしまう。Kindleではデバイスを変えてもちゃんと続きから読めるので。
  • SpotifyのそれはKindleのそれほどシームレスではないが、Amazon MusicAWAに比べるとずっと「さっきまで聴いていた曲(やプレイリスト)」にアクセスしやすい印象がある。

次世代のネットCMを

  • それから、つくづく思うのはこうしたサービスにおけるCMの役割で、上述のようにSpotifyで流されるCMは異例と言えるほど良質だと思うが、それでも「CMをこれ以上聴きたくないなら有料プランにしよう」なんて言ってくる。
  • それって、「こんなCM、不快なだけで聴きたくないよね」と言っているようなものであって、スポンサーに対してはもちろん、それを甘んじて受け入れているユーザーにも失礼である。
  • で、こういうCMに対する姿勢というか使い方はSpotifyに限ったことではなく、むしろ多数派だろう。前にも書いたがこのはてなブログもそうだし。
  • CMが不快になるのは、第一にその商品とユーザーがマッチしていないときであり、第二にその広告自体の品質が粗悪な場合である。
  • 後者の「良質・粗悪」の基準は前者に左右される部分もあるが、いずれにせよそれらの点がクリアされればCMはむしろ面白いし、クリエイティブな文化でもある。
  • 広告をユーザーにマッチさせられない、またはマッチしているかどうかを評価できない状況を作っておきながら、「こんなCM見たくもないですよね、ではお金ください」という世界からはそろそろ卒業したいものだと思う。

*1:と言っても、「こりゃ使えない」と音を上げたのは半年以上前なので、多少は改善されているかもしれないが、料金を払ってまでわざわざ検証する気にもなれない。

*2:もちろん自費で。

やる気の研究

取りかかるべきなのに取りかかれない、というモチベーション管理のコツが少しわかった気がする。

何らかの作業をやりたい、と強く思えるのはどういう時かというと、その作業が上手くいった時の状況を想像できてる時のようである。ではそういった想像をいつできるのかというと、その作業をしているときが一番想像しやすい。

 

つまり、取りかかる前にそんな想像をかきたてることは不可能ではないが困難。というか非効率。その作業を実際やっているときの方がずっと容易に「もしこれが上手くいったら・・」と想像できる。

 

例外的に、まだやってもいないのにそれをやりたい、と思えるのは目の前で自分以外の誰かがそれを上手くやってる時。

他人が上手くやっている姿を見ることにより、自分がそれを上手くやった時のことをありありと想像できるからまだやってもいないそれをやろうと思える。

しかし大半の場合はなかなかそんな状況には遭遇できないので、やってもいないのにやる気になれることはほとんどない。

 

よって「やる気が出たらやる(出るまでやらない)」という取りかかり方を選択したらいつまでも取りかかれない方が自然。

やる気はやってない時に自然発生するものではなく、それをやってる時に後追いで出てくる。その傾向を生かした方が効率的。

 

具体的な方法としては、取りかかるきっかけはやる気以外の何か(時間とか他人の行動とかの外部的な出来事)に託してとりあえず始めてしまい、その後に発生するやる気を使って持続&加速する、というのがラクに思える。

2016-09-20 Tue: 信頼を失う・お宝・Panasonic

  • 猛烈に忙しいここ半月だった。前回の日記が3週間前だったのでだいたいそれと同期している。
  • 昨日おとといぐらいは1日あたりの作業時間が年間ベスト3に入る勢いだった。
  • 今日火曜の午後3時過ぎぐらいにそのピークが一旦過ぎた。人間に戻った。という感じ。
  • じつは昨日月曜の夜にも一旦ブログを再開しようと思って書きはじめたのだったが、あまりに疲労がすごくて途中で断念した。本当に疲れると数行のブログすら書けない。
  • 今日はサッカー雑誌のインタビュー記事に関する捏造疑惑が話題になっていた。率直な感想、いたたまれない……。
  • 疑惑告発的な案件に関しては、基本的には告発する側が最後まで証明すべきだと思うが、本件については告発側がけっこうしつこく出来ることをやっている感じなので、結論的には「あとは読者が決める」という感じなのだろう。
  • 告発している側は誰でも確認できる事実を並べて「この事実をもとに推測すればこうなるよね」という論法を用いているので、受ける側も同様に、誰でも検証できる事実を並べて「この材料をもとに論理的に考えればそれは間違っていて、こう捉えるのが筋だろう」と言わないと信頼は得づらい気がする。
  • 信頼といえば、「信頼を得るには時間がかかるが失うのは一瞬だ」みたいな話がよくあって、しかしそれは本当か? と最近よく思っている。
  • もし誰かが何か一つ決定的なミスをして、そのミスした人を信頼できなくなった、なんて状況があったなら、そもそもそれまでにしてもその人に対して曖昧な根拠をもとにぼんやり「信頼っぽい何か」をしていただけでは、という感じがする。
  • ぼくにとって「信頼」というのは「シャワーでお湯の蛇口をひねればちゃんとお湯が出てくる」とか、「お気に入りのボールペンで文字を書いたらいつもどおりのインクの出方をする」とかいったことで、これを抽象化して言えば「これまで出来ていたことが今後もできることを期待・予測できる」ということだ。
  • 何か一つ、期待していたとおりの動作をしなくなったとしても、それはべつにこれまできちんと動作していたことを否定する理由にはならない。ボールペンならインクが切れたというだけのことだし、シャワーなら蛇口のネジがゆるんだのかもしれない。
  • 「信頼を一瞬で失う」というのは、それまで出してきた結果・成果・実績が立ちどころに全部「なかったことになる」ということで、しかし「全部なかったことにできるような成果」とはどんなものだろう? ちょっと想像がつかない。
  • 言い換えると、そのようなことが実現されるなら最初からそのような成果はなかったのではないか、ということ。
  • さらに言い換えれば、普段着実にそれなりの成果を出しているなら、一度や二度の失敗で「信頼=それまでに積み上げてきた実績」を失うなんてことはないのでは、と考えている。
  • 夜、「なんでも鑑定団」を見ていたのだけど、1500万円だかで購入した仏像がニセ物だったそうだ(結果だけ見逃したので家族から聞いた)。本人は「本当のことがわかったからよかった」と殊勝なことを言っていたようだけど、いやそれ、普通に売っている人、犯罪なのではないか・・?
  • というか同番組、お宝の内容を紹介するための映像部分が良くできているので時々見るのだけど、しかしどう考えてもこの「ニセ物でした、残念!(笑)」という、この最後の(笑)が理解できない。いやそれ、詐欺じゃないの? 売った人に問題はないの? ・・謎である。
  • リオ・パラリンピックのまとめ的な番組をEテレで見ていた。閉会式の様子を映していて、東京との引き継ぎパフォーマンスのところ、前半は「ああ、カッコイイね、音楽も綺麗だね」なんてふうに見ていたが、ピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」が流れはじめたあたりから「・・あれ」という感じになって、その辺でようやく気づいたのだけど、パフォーマンスの一番目立つスクリーンの場所にピカーンと「Panasonic」のロゴが映っていて「ああ・・」という感じになった。
  • どうしてあんなところに企業ロゴを出しているのだろう? まったく理解できない。宣伝のつもりなら個人的にはまったく逆効果だった。そのスクリーンでどんなに先進的な映像を流していようと、その前でどんなに目を見張るダンスをしていようと、どんなにカッコイイ音楽が流れていようと、暗闇の中で一番光を放って目立つ場所に置かれているのはそのロゴなのだ。周りのパフォーマンスとの同期もなければ調和もない。ただひたすら無視しようのない輝きで「このスクリーンを作ったのはPanasonicです」というメッセージを放っている。
  • どうしてあそこにロゴを出しっぱなしにしよう、と思えたのだろう。憤りに近い諦めを感じた。あまりにも視野が狭い。その場にいる選手も、パフォーマーも、お客さんも、スタッフも、すべてがそのロゴのもとに等しく軽んじられている。あの場であのロゴが燦然と輝いて、誇らしい気分になった人がいるのだろうか?
  • 実在の誰かがそうするように求めたのだろう。その人には悪意もなかったに違いない。しかしそれゆえに、救いがない。胸を締めつけられるような思いをした。

2016-09-02 Fri: Facebook休止・最近読んだWeb記事

  • 昨日金曜の作業時間は4:59:53。前日から1〜2時間減った。
  • メイン系の作業はそれなりに継続できたが、その作業時間が若干減ったかもしれない。
  • この土日はけっこう作業するつもりだったが、少し疲れが出てきているので控えめにやるかもしれない。
  • 最近はだいぶFacebookを見なくなった。以前は自分宛の通知が多少あったので、それを見ることを主目的に習慣的に見ていたが、それもだいぶ減った。
  • 今までTwitterの内容をFacebookに流していて、自分宛の通知の多くはそれにいいねがついたりコメントが付いたりするという、そういうものだった。
  • そのTwitterからFacebookへの連携をやめたら通知が格段に減り、それで見にいく回数も自然に減った。
  • べつにFacebookをやめたことによりさらに充実した人生を送れるようになりました、みたいな話ではなく、今ほんとにけっこう集中的に作業をしている時期なのでどうしても必要なこととかでなければ切り詰めたい、みたいなこと。
  • 最近読んで面白かった/いろいろ考えさせられた記事。

bylines.news.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

  • Twitterで匿名アカウントにプライバシー侵害をされたが泣き寝入りせず訴訟を起こし、勝訴したという話。
  • いかなる正義感によるとしても私刑として非公開の個人情報をさらすのは許されない。
  • というか、そういうのは自分が匿名でいられるというほぼ絶対的な前提があってこそできることだと想像されるので、その前提が一部であれ崩れたのは良いことだと思う。
  • ちなみに匿名アカウントの人にどう対するか、みたいな話は以前に書いた。
  • 匿名の相手と戦ってはいけない - 103

www.tokyo-np.co.jp

  • 東京オリンピックが今さら中止になっても何も嬉しくないというか、むしろリオの様子を見るうちに「東京もうまくいってほしいなあ」と思うようになったが、それはそれとしてこの2億円に関するJOCの姿勢はひどい。
  • 調査チームはできるかぎりのことをしたのだろうし(本人がそう言うなら)、その結果として報告内容が中途半端になってもそれは仕方ないことだと思うけど、この報告を受けて「疑念は払拭できた」はさすがにナイだろう。
  • というか、かえってJOCの本件に関する認識がそのようなものだ、ということを示しており信用を落としている。
  • 当時認識していなかった行為が後になって問題視される、ということは人間には避けがたいことで、ミスがあったならミスがあったとして対応すればいい。この場合であれば仏検察に最大限協力した上で、もしもその結果に不服があるなら裁判等できちんと争うとか。
  • そういうことをせず身内で適当なことをして「もう終わりました」とするのは「やっぱり何か隠してるんかな〜」という疑念をかえって増やしてしまうだけだと思うのだが。

チケット転売問題の解決法 大竹文雄の経済脳を鍛える 日本経済研究センター

  • チケット転売の件。問題を整理しつつ、最後には具体的な案も提示されていて面白い。
  • 行動経済学に関する部分は基礎的なというかあるある的な事例を出している感じだけど、行動経済学はほんとにこういう人間のソン・トク勘定的心理を扱っていて面白いのでお勧めできる。
  • このブログでもしょっちゅう抜き書きなどしているので「ダニエル・カーネマン」で検索してもらうとけっこう出てくると思う。

2016-09-01 Thu: 苦手なものが減る過程

  • 今日木曜の作業時間は7:15:46。先週はこのぐらいから4時間台にペースダウンしていたけど、今週はどちらかと言うとのぼり調子。まあまあ集中できている。
  • ただし、成果はかんばしくない。いたずらに時間が過ぎていく。焦る。ストレスが高まっている。
  • 対策は・・? ない。我慢して続けるしか。
  • 昨日に続きscholaの話。
  • 今作っているのは16巻目。クラシックにポップス、民族音楽と地域も時代も性格もバラバラの音楽を幅広く扱うこのシリーズに携わってまる8年半経った。
  • さぞかし音楽に詳しくなったでしょ? と思われるかもしれないがまったくそんなことはない。
  • ぼくというコップの大きさは8年前から変わっておらず、その器の「中身」がただ毎回入れ替わっているだけである。
  • 前のぶんを捨てなければ次が入らない。自分では捨てているつもりなどないのだけど、時間が経つとすっかり忘れている。
  • ちょっと調べる必要があって過去に編集した座談会などを読んでみると「こんな内容だったっけ〜・・」という感じになる。いつもなる。
  • だから詳しくない。そもそも覚えていない。
  • 言うまでもなく毎回真剣に作っている。おかげで髪も随分白くなったし、薄くもなった。全部scholaのせいである。
  • いや、8年半という月日のせいかもしれない。
  • ただ、全部忘れているとしても、かつて自分という器の中に入れたそれは、二度と苦手なものにはならない。
  • ふたたびコップに喩えて言えば、そのコップには以前入れた飲み物の匂いが残っている。こびりついている。
  • なにしろ半年とか1年とか、毎日毎晩同じコップで同じ飲み物だけを飲んでいるようなものである。すでに液体は一滴も残っていないが、その匂いはかすかに、しかし確実に残っている。
  • クラシックも、ジャズも、ベートーヴェンも、現代音楽も、アフリカや、日本の伝統音楽も、だからもう怖くない。
  • たとえば日本の伝統音楽。もし今、三味線や浄瑠璃や能の専門家が突然目の前に現れても、それなりに対応できると思う。ぼくはいまだにそれらの素人だが、もう「自分が何を知らないのか」を知っているから。
  • ジャズもクラシックも現代音楽もそう。ぼくはそれらを、その等身大以上には恐れていない。それが「どのようにすごいのか」について、詳細は知らないながらもアサッテの方向には認識していない。
  • それまでの人生で一度も魚屋に行ったことのない人は、魚屋で「どんな野菜を売っているのだろう?」と想像してしまう。魚屋で売っているのは野菜ではなく魚である。素人とはそれを知らない人である。
  • そのようにして無用な苦手意識を減らしてきた。あくまで結果的にであって、それを目的としたわけではないが。
  • 2013年からプログラミングの勉強を始めて、同夏にYAPC::Asiaに初めて参加し、それをきっかけにPerl入学式という有志のプログラマーたちが運営する無料のプログラミング講座に通いはじめた。
  • ぼくは不良メンバーで最近はほとんど現場に顔を出さなくなったが、Perl入学式のおかげでまた一つ苦手意識が失われた。コンピューター関係の何が難しいのか、そのうちの何を自分が知らないのか、以前よりはわかっている。
  • 去年の春からは簿記の勉強を始めた。2級には落ちたが(2回)、3級には受かった。
  • 以前から金の計算が苦手で、それは自分が金に関心がないからだと思っていたが、そうではなく計算ができないことを実感したくなかったからだった。
  • 今は源泉徴収の額も積極的に検算している。数字は曖昧な解答を出さないことがわかったから。企業の決算書を見ながら実際に電卓を叩き、報告どおりの数字が出てくるとけっこう驚くが、べつに驚くことではない。
  • これはプログラミングにも通じる。おかしな結果が出たら、プログラミングの途中に必ずそうなる理由が潜んでいる。
  • あらゆる分野を克服することが人生の目的ではないが、苦手なものが減るのは悪いことではないだろう。