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commmons: schola vol.15『20世紀の音楽Ⅱ 〜1945年から現在まで』発売

もう先週のことになりますが、掲題の巻が発売されました。

【vol.15】Music of the 20th century II - 1945 to present(20世紀の音楽Ⅱ~1945年から現在まで)| commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

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前回の第14巻『日本の伝統音楽』が12/17、今回は12/16に発売されたので、ギリギリ1年以内に出ましたね!(謎)

しかし6〜7巻ぐらいまでは年に3冊、その後もしばらくは年2冊のペースで出していたので、その頃は一体どうやって作っていたのか……というぐらい、今もまったく全力で作っているのですが、だいぶ時間がかかっていますね。

どういう違いがあるのか……数年前に遡って自分に聞いてみたいぐらいですが。

さて、今回のテーマは20世紀後半以降のクラシック音楽です。
具体的には、収録曲中一番古いのがブーレーズの1945年作曲の作品なので、それから後。

と同時に、じつは「20世紀の音楽」と言いつつ21世紀の作品もいくつか入っているので、巻タイトルの確定までにはけっこうな時間と労力を要しましたね……。
ようは「20世紀の音楽」という小テーマ(シリーズ内シリーズというか)を、第12巻の「20世紀の音楽Ⅰ」の「Ⅰ」という表記で伏線的に置いているので、それを回収するには同じ小テーマ名をここで使わなければいけないんだけど*1、でも今回は20世紀の作品だけじゃないし……という。

結論的には、小テーマ名(「20世紀の音楽」)は残しつつ、これまでscholaでは使ってこなかったサブタイトル方式を採用して21世紀以降の音楽も暗示する、という絶妙なソリューション。って、いや出来上がってみれば普通〜な感じのサラッとスルー可能なタイトルですが、こんな10文字前後の言葉の選択でも後悔のないよう、坂本さんを中心にみっちり検討を重ねて作りました。

で、事前の見込みとしては、この巻の参加者は藤倉大さん以外はどなたも以前にscholaに登場したことのある(というかレギュラーの)方ばかりで、かつ内容的にもクラシックの範疇ということで、その前の「日本の伝統音楽」に比べたらまだ作りやすいだろう〜、と考えていたのですが、まったくそんなことはなく今回も課題・難題の連続。

いくつもの「ん〜……これ、どうしたらいいんだ……」という壁や山に直面しながら、グイグイと地道にほふく前進しながら参加者&スタッフ皆で大岩をゴールへ押していった感じでした。
いやあ……大変だった。

しかし結果として、幸運なことに、と同時にこれは今までの巻すべてに対しても言えることですが、今回も胸を張ってお勧めできる……と言うと実感とはちょっと違うのですが、そうだな、制作に関わったことを後世に誇れる内容になったと思います。
認識の間違いや誤植、違和感のある表現などは残っているかもしれませんが、そのようなことがあればぼくの能力の至らなさゆえです。逆に言うと、今できるかぎりの事・物はすべて惜しみなく投入できました。

そのようにプロジェクトやその対象に全力を注げる、ということはそれだけでも幸運なことだと思います。
そしてそれを実現させてくれているのは、やはり坂本さんをはじめとする関係各位です。わざわざすべての方の名前は出しませんが、ひっそり&深く感謝しています。

さて、「20世紀後半のクラシック音楽」と言えば、ようは「現代音楽」ということだと思います。

しかし今回の制作にあたっては、ぼくの頭の中には「まあ一般的には、これを《現代音楽》と言うだろうな」という認識はありつつも、ほとんどそのキーワードは浮かびませんでした。

というのも、「現代音楽」というと、どうしても難解とか、聴きづらいとか、「音楽として楽しむというより体験することに意義がある」的な印象を持ってしまうのですが(少なくともぼくはそうでした)、今回は最初のラフな選曲関連のやり取りから、最後の許諾確定の大詰めまで、そこで取り上げられる音楽のほとんどがぼくにとって「面白い!」とか「ウケる!」とか「楽しい!」とかいった曲ばかりで、名前の挙がる作曲家や演奏家たちも興味深い人ばかりでした。

だから、今回の収録曲やその候補曲に関して言えば、ぼくはそれらを「現代音楽として」というより、どこまでも「schola 第15巻の音楽として」聴いていて、それは今を生きる、「今の音楽に希望を持っている」人たちに向けた音楽でもあると思っています。

「今の音楽に希望を持つ」とは、次に何が出てくるかがわからなくてワクワクできる状況というか、たとえて言うなら、まだビートルズが活動している頃に「次の彼らのアルバムはどんな内容になるだろう?」とワクワクするような感覚です*2

今回取り上げられたそれらの音楽は、ジャンルとしては「クラシック音楽」の延長というか、範疇で語られるかもしれませんが、実際にはまさに「今、この時」に作られ、演奏され、聴かれている音楽であり、実際にそれを感じとれる内容になっていると思います。

もう一つ、今回schola初参加の藤倉大さんは、世界的に活躍する作曲家ですが、充実したご自身のWebサイトを見てもわかるとおり、
Dai Fujikura home page

非常に先進的な情報活用力を持ちながら、これは坂本さんと同様、まったく偉ぶらないというか、ぼくら制作スタッフに対しても本当に自然に、対等に&真摯に&積極的に関わってくれて、おかげでそれと相乗するように、チーム全体としてもとても良いコミュニケーションを取りながら制作を進めることができました。

もちろん、言うまでもなく浅田彰さん、小沼純一さん、岡田暁生さんという錚々たるメンバーも、皆さんオリジナルかつ豊かな見解の数々で、どなたが欠けても今回のレベルには行き着かなかっただろうと思いますが、その上でやはり、今回の巻の特徴を簡潔に、未読・未聴の方々に知ってもらうためには、藤倉さんの魅力をまず伝える、ということが有効だろうと思っています。

で、これについてはじつはすでにいくつかの媒体で、藤倉さんの最新インタビューが行われているそうで、そのうちにそうしたメディアを通して、それに近いことが実現されるだろうと期待しています。

最後に、簡単に宣伝ですが(というかここまでもある意味宣伝ですが)、commmonsのスタッフに聞いたところでは、現在渋谷のタワレコ代官山蔦屋にて、それぞれschola15巻を店頭展開してくださっているそうです。

ぼくが直接見にいったわけではないのと、明確な開催日程がわからないので*3、やや曖昧な情報になりますが、もしお近くへ寄られたらついでに見てみてください。

どうもこの時期、坂本さんの『Year Book 1971-1979』が来年早々に出るそうで、

Year Book 1971-1979

Year Book 1971-1979

それとも絡めて展開してくれるお店があるようですね。こちらもcommmonsスタッフを含め、関係各位に多謝です。

ということで、1年ぶりのscholaリリースのご報告でした。今後の展開もお楽しみに。

*1:当初は「20世紀の音楽」って「Ⅲ」まで続くつもりで計画していたのだけど、その後いろんな構成をどんどん新たに考えていく中で、「Ⅲ」どころか「Ⅱ」というネーミングも不適なのではないか、という話になったということ。言い換えると、scholaのラインナップはつねに検討と更新が繰り返されているのです……!

*2:ビートルズはぼくが生まれる4〜5年前に解散していたので、実際にはそんな体験をしたことはありませんが。

*3:スタッフ間で情報が共有されていないということではなく、現場の状況によって変わる催しであるため公に明示しづらいということ。

いま読んでいる本のメモ 〜 一般書、小説、プログラミング

基本的には仕事をしていない時はプログラミングか簿記の勉強をしているので、そのどちらかの教科書や参考書を読んでいるだけで紹介しても面白くなさそうだけど、後から記録になるかなと思ってメモ。

なお、schola関連の資料は次のテーマが広報解禁になるまで秘密にできるようココでは書きません。 ;)

まず一般書だと基本こちら一択。

海賊のジレンマ  ──ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか

海賊のジレンマ ──ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか

移動の合間などに読みつつ、いま最初の3分の1〜半分ぐらいまで来てる。すごく面白い&ノリがいいのだけど単純にページを開く機会が少ないので毎回そのちょっと前から読み始めて、内容を思い出しつつ先へ進むので返し縫いみたいになっていて終わらない。
とはいえ、内容としては楽しんでいる。これは読み終わったらまたメモを書きたい。

小説だと、こちら。

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟4 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟5?エピローグ別巻? (光文社古典新訳文庫)

Kindle版のカラマーゾフの兄弟亀山郁夫訳。なお、光文社は来年1/7までけっこう長めの半額キャンペーン実施中。


すごいことだと思う。どんどん買うといい。
www.amazon.co.jp

カラマーゾフの兄弟は以下のような流れでとりあえず1冊だけ買ってあったのだけど、

上のキャンペーンを知って残りも買った。
読みやすいし、面白い。数分読むだけでも別の時空間に入っていける感じがある。どこかでまた途中経過を記したい。

その他、プログラミング関連だとこちら。

すぐわかる オブジェクト指向 Perl

すぐわかる オブジェクト指向 Perl

Gitによるバージョン管理

Gitによるバージョン管理

C言語体当たり学習 徹底入門 (標準プログラマーズライブラリ)

C言語体当たり学習 徹底入門 (標準プログラマーズライブラリ)

どれも面白い。最後のC言語の本は平成13年というから・・(すぐに西暦換算できない&する気にならない。もう公的な情報は西暦で合わせよう国全体の生産性を上げるために)2001年という普通に考えたら技術書的にはありえない古さだけど、サンプルコードを打ち込んでみると普通に動く。これが枯れた言語のメリットか。
著者の前橋さんによる以下の本を以前に読んだら面白かったので、買ってみた。

センス・オブ・プログラミング! 抽象的に考えること・データ構造を理解すること

センス・オブ・プログラミング! 抽象的に考えること・データ構造を理解すること

同氏によるC言語本としてはポインタの解説に特化したものもあるようなので、上のが終わって余裕があれば手を出したい。

その他、プログラミングの話題は以下のブログで書いているので、進捗があればそちらに続きを書きます。

簿記関連は普通に教科書でとくにバラエティに富んだものではないので、割愛。

重い扉の開け方

人は重い扉があれば「強い力」で押し引きするし、なかなか埋まらないクギには「強い力」で金槌を叩きつける。

人間同士のコミュニケーションでも似たようなことが生じがちで、相手が思い通りのリアクションを返さなかったり、こちらの意見を素直に聞き入れなかったりすると、こちらからのアクションはさらに強さを増してしまう。

相手がそれで「わかった、言うことを聞きます」と受け入れればまだ良いが、そうはいかないことも多い。
そもそも、そんなことをする必要もなかったのにこちらの勘違いで無用だったはずの強い力を行使してしまうこともある。

だから「重い扉」に出会ったときには、ひとまず身を引いて諦めて、気がついたら自然に開いていた/閉まっていた、だから何もする必要はなかった、少なくとも強い力をかける必要はなかった、となれば最善ではある。

実際にはそうはいかないことも多いが、自分が誰かに強い力をかけつつあるとふと気づいたら、そのようなイメージを持つことで多少は状況をマシにできるのではないかと思う。

酒を飲んで投稿してはいけない(2)

以前に書いたこれの続き。

酒を飲んで投稿してはいけない - 103

なぜダメなのか、ということを説明するためのイメージ(映像的な)が以前から頭にあったのだけど、なかなか煩雑な話でもあったので、書くのも面倒でそのままにしていたが、そろそろ忘年会シーズンですし、大切な誰かが取り返しのつかない何か*1をしてしまう前にちょっとトライしてみようかと。

言うまでもないことですが、余計なお世話! と思う方はそっ閉じ推奨です。これは人類全体への警鐘とかではなく、あくまで僕の親しい誰か(およびそれに類する人々)への助言なので興味のある方だけどうぞ。

舞台は100人の社員を抱える企業のオフィス。
昼には様々な部署の様々なプロジェクトが活発に動いている。

夕方、午後5時を過ぎるとホワイトなその企業では社員が一人また一人と帰っていく。
やがて午後10時を過ぎた頃、会社には最後に一人、今年新卒で入った男子だけが残っていた。
昼間に上司から振られた作業がなかなか終わらず、まだ終わる気配はない。

広いオフィスに一人、残った彼はしかし、どこか解放感を味わってもいる。
厳しい上司も気の合わない他部署の先輩も、微妙な競争意識を感じている同期もすでにその場にはおらず、オフィスはあたかも彼一人を主とする城のようだ、と彼は感じている。

その時、一本の電話が鳴る。相手はどこかのメディアの記者で、その会社が関わるとある取引案件について、コメントをくれと言う。

もし昼間に電話を取っていれば然るべき部署へ回すところだが、今は彼の他に誰もいない。
そして彼には普段からその案件について考えていたことがあったから、自らの見解をとうとうと流れるように記者に語った。

記者は礼を言って電話を切り、翌日には新入社員の彼の考えが、会社全体の見解として全国に報じられた。

喩え話は、ここまで。

さて、酒を飲むと人は楽しくなったりリラックスしたりする。
なぜ楽しくなったりリラックスしたりできるかというと、おそらくシラフのときであれば自分を悩ませるはずの様々な事象が、酒を飲むことでその人の中から姿を消すからではないか、とぼくは考えている。

自分を悩ませるあれこれ。それは言い換えれば、「他者の視点」ということになるだろう。
「本当はこうしたいけど、周りがそれを許さない」とか、「誰々に嫌われる」とか、「この年でそんなことをするのは恥ずかしい」とか、そういういろんな抑圧が普段は働いていて、しかし酒を飲むことによりそれらの要素がグッと影を潜め、相対的に残った自分の考えや、他者から解放されたような感覚が、その人を楽しくラクな気分にさせるのではないかと考えている。

これはつまり上の企業の風景そのもので、自分を抑圧する存在(他の社員たち)が、酒を飲むたびに一つまた一つと目の前から消えていく。

そして最後に楽しい気分の核(自分)だけが残され、そのこと自体はけっして悪いことではないけれど、さてそのときに、それまで存在していた抑制機能が外れた自分の見解を「自分全体の見解」として述べて良いのかどうか。
自分をチェックしてくれる様々な要素が機能していない段階で考えたことを、「自分の発言」として流布して良いのかどうか。

ぼく自身は翌朝になって、「『本来の』自分のチェック機能がすべて働いてさえいれば、あんなことは言わなかったのに」などと後悔したくないから、アルコールに口をつけたら外部へのアウトプットはしない。

喩え話を重ねるならば、それはスポーツの国際大会に代表メンバーたちが万全の態勢で臨めるかどうか、ということにも似ている。
「エースのあいつが怪我さえしていなければ」とか「誰々の体調が万全じゃなかったから」とか、あるいは「監督の采配が悪かったから」といった空想上の理想的な自チームとの比較を元にした言い訳は、「酒を飲んでいなければあんなことは言わなかった」に似ている。

しかしスポーツ選手の不調や監督の采配ミスが避けがたいことに比べれば、酒の失敗はまだずっとコントロールしやすいはずだ。

実のところ、かく言うぼくも友人や仕事仲間との雑談であれば、そしてクローズドに限定された場であれば、酒を飲んだ後でもチャットやコメント等のやり取りをすることはあるし、その意味でもここに書いていることは絶対に守るべき戒律みたいなものではなく、一つの目安みたいなことに過ぎない。

しかしそれでも、ひとたびアルコールを口にすれば普段より劣ったチェック機能しか働かなくなることは明らかで、そんな状態ではいつどんな失言をするかわからない。自分では肯定的な意味で言ったつもりが、そう伝わらない可能性はシラフのときより高まるだろうし、限定公開だからといって許されるわけではないことを、つい口走ってしまう確率も上がるだろう。

そのような可能性じたいを元から断つための明快な方法が、「アルコールに口をつけたら投稿しない」というものだ。

ちなみに、前にも書いたことだが、これは「飲んだら何もしてはいけない」ということではない。
業務内容によっては、酒を飲んでもそれなりに作業を進めることはできるかもしれないし、むしろ自分はその方が生産性が上がる、と思う人もいるかもしれない。

しかしそのような場合でも、「外部にアウトプットしない」ということはなるべく守った方がいい。
なぜなら、酒を飲んで失われるのは上記のとおり、「自分の中の他者の視点」であり、言い換えれば「これを他人が聞いたら(読んだら)どう思うだろう?」という想像力だからだ。
よってそのような想像力が必要とされる作業、つまり外部への公開を後回しにさえできれば、後悔に至るような大怪我はしづらいと思われる。

目に見えない不確実な自分の経験や精神力よりも、簡便かつ確実に事故の確率を減らせるシステムの方を信用することを勧めたい。

オールタイム・ベスト・アルバムを考える

ここ数日、南房総まで小旅行に行ってきたのですが、その帰り道にぼんやり考えたのは「それを聴く前後で価値観が変わるほど影響を受けたり、いつ聴いても退屈を感じないような好きなアルバムって、なにがあるかなあ」ということで、それを以下にまとめてみます。(順不同)

国内

Jr.

Jr.

ソウルセット、9+9/9もトリプルバレルも好きですが、最初に国分寺新星堂の試聴機で「ヤード」を聴いたときの驚き。ほんとびっくりしたので。

緑黄色人種

緑黄色人種

これはロッキンオン・ジャパンの山崎洋一郎さんが見開き2ページのミステリアスな紹介文みたいのを書いていて、とりあえず聴かなきゃ! と買ったもの。まだほとんどメディア露出もしてない頃で(その記事もインタビューとかじゃなくて山崎さんの解説のみ)、本人を見るためだけに苗場のフジロック行って、それが最初のフジロック体験でもあったという。2000年頃かな。

どこへも帰らない

どこへも帰らない

ピーズは次作の「リハビリ中断」も超名盤ですごく迷ったけどとにかく「底なし」がオールタイム・ベスト過ぎるのでこれで。特別なことはやっていない普通の日本のブルース風ロックっぽい気もするんだけど(バンドブームの匂いも含みつつ)いつ聴いてもピーズでしかない別次元の音楽という印象になる。

金字塔

金字塔

これもロッキンオン・ジャパンでまだデビュー前とかに山崎洋一郎さんが、それもまたインタビューとかじゃなくて紹介文を書いていて……みたいなのを見て「これは買わなきゃ!」と思って「犬と猫」を歩いて探し回ったっけ……大学のあった小平から彷徨い探して結局清瀬の初めて入ったツタヤみたいなところにたまたま売っててゲット、みたいな感じだったかも(って暇だな!)。その「犬と猫」は初回限定だったのか紙パッケージ仕様で、開けたら渋谷陽一さんのライナーが入っていて「新人の1stシングルのライナー渋谷陽一が書いてるってこれ異例では」って思った記憶がある。
アルバムとしては完成度・オリジナリティともに高く感じられる本作を挙げますが、シングル的には「主題歌」が好きです。

ザ・ブレストローク-ザ・ベスト・オブ・コールター・オブ・ザ・ディーパーズ

ザ・ブレストローク-ザ・ベスト・オブ・コールター・オブ・ザ・ディーパーズ

スペースシャワーか何かで音を聴いたのかな……なんかすごい好きかも、と思って買った。「サブマージ」とかかなりフィットしますね。自分(だけ)のための音楽だなあ、みたいな。

FAB GEAR

FAB GEAR

ここまでに挙げた中では一番古いかも? フリッパーズ・ギターイカ天の途中で流れた「フレンズ・アゲイン」のCM(15秒ぐらい)で知って、うわーこれイイなあ、と思って探し始めて、でもその頃はあまりフリッパーズのアイテムってなくて、どうやらなんか参加してるらしい、というのでこれを買った(たぶんCD屋のフリッパーズコーナーにこれがあった……とかかな)。
図らずもというか、フリッパーズ以外の曲もどれもよくて、かつ余り他にないトーンを醸していたので結構自分の趣味に影響与えたかなあ、という。
海外勢の曲も多いので、国内枠と海外枠半々、という感じでもある。

海外

Weezer

Weezer

これは多分予備校1年目とか。スペースシャワーで「バディ・ホリー」が流れて、うわーいいじゃんーと思って買ったらもうアルバム全体すごく良かった、という。1曲目から最後までほんとよく出来てる。とくに好きなのは3曲目と最後ですかね……。

Pop Pop

Pop Pop

これもスペースシャワーでリッキー・リー・ジョーンズがジミヘンのカバーを歌ってるのを見て(「アップ・フロム・ザ・スカイ」のビデオクリップだった)、うひーカッコイイなこれ、と思ってメモしようとしたらもう終わってて、次にそれがたまたま流れるまでひたすら待って、次に流れたときにようやく少しメモできたけど書ききる前にまた終わってしまい、また次に流れたときに……とか何度か繰り返してから、たしか近所にあった&今はない新星堂かなあ……に行ってようやく買った。高校1年か2年の洋楽聴き始めの頃ですね。なんかそのジミヘンのカバーっていうのが、「ジミヘンってあのうるさいやつでしょ?」みたいな、でもそのビデオクリップはめちゃシャレてて、ゾッとするほど静かで綺麗な感じもあって、そのジャンルレスな感じに影響受けたーっていう気がします。

First of a Million Kisses

First of a Million Kisses

これまたスペースシャワーのせいというかおかげというか……船の上で歌ってる「パーフェクト」のビデオがすごい良くて、これほしいわーってたしか近所のディスクユニオン(それは移転しながらまだある)で買った気がする。同時期にXTCの「オレンジズ&レモンズ」も買ったと思われ、ほんとに高1とかの洋楽体験最初期ですね。
でもなんか洋楽入門編だからって甘すぎるとか、わかりやすすぎる、というのでもなく、今でも楽しく聴ける良作なので自分の耳ナイス、という感じですが。
ちなみに、この国内盤のライナーがピーター・バラカンさんで、もうさすがのバラカンさんでライナーだからってただ良いところを並べるっていうのでもなく、ちょっと斜めに見ながら俯瞰的に語るというか、すごい独特でその「味」みたいのがすごく印象に残ってますね……まさかその後、一緒にお仕事できるとは思ってもみなかったけれど(当たり前か)。

The Book Of Life (1998 Film)

The Book Of Life (1998 Film)

唯一のサントラ盤にして上記「Fab Gear」と対になるような感じかも。P・J・ハーヴェイやヨ・ラ・テンゴその他洋楽勢が中心のコンピでありながら嶺川貴子さんも参加しているという。ハル・ハートリーの映画はそれも90年代だったか、BS2で夜中に「トラスト・ミー」と「シンプルメン」を連続放送したことがあって、たまたまそれぞれの断片を見て「うひー、カッコイイ!」って(これ何回目)思ってその後つかず離れず的にチェックしていたのだけど(「ぴあ」とか)、そしたら渋谷のアップリンクでこの「ブック・オブ・ライフ」というのを上映するというのを知って(今の場所じゃなくてその前の所)、観にいって。でもたしかこのサントラはそこで買ったとかじゃなくて、後日にたまたまどこかで見つけて映画の追体験するか〜みたいな感じで買ったような。
アップリンクはその後私の初共編著作となる「大谷能生フランス革命」の舞台となった場所でもあって(それは移転後の方)、まさかそんな付き合いになるとは……って、それはそんなに不思議とかでもないですか。
ハル・ハートリー、しばらく見てないのでこれを機に作品チェックしてみよう……(TODO)。

しかしこのようにして見てみると、90年代にかなり偏ってる感ありますね……その後一体何を聴いていたのだろう。大学を出たのがちょうど21世紀に入った頃で、インターネットがウチに開通したのが2003年とか。やはり音楽ソフトをバリバリ買って、音楽雑誌をバリバリ読んで、みたいなのはその頃を境にだいぶ無くなって、音楽の聴き方も変わったのかもしれないな。